第61話 七日の向こう
七日目の朝は、羊毛色の雲が低く垂れていた。
評議会からの使者が聖騎士団の正門に現れたのは、夜明けを三刻ほど過ぎた頃だ。白地に紺の縁取り、評議会の公印が押された封印蝋を、使者は静かにハルトへ差し出した。
「送達完了通知です。受付番号六〇〇一番、送達先はアイゼングリム補償院機構長ドルカ・アイゼングリム殿および財務局審査調整係長ルハン・ドアーレ殿、各一通、本日午前に正式に送達いたしました。評議会規則第四十一条に基づき申立人側へ通知いたします」
リーシャが受領書に署名し、封筒をハルトへ渡した。
ハルトはしばらく、その紙の重さをてのひらで確かめた。紙一枚の重さなのに、もっと重い気がした。
(七日、終わった)
「送達、されたんですね」とリーシャが呟いた。
「された」
使者は一礼して立ち去った。廊下に残った三人の間に、少しの静かな間があった。
「次は審問の日程が来る。評議会が通知してくる」とガレオスが言った。
「はい」
メモが肩の上で羽を広げた。「七日、長かったですのです。でも今日からが本番ですのです」
「そうだな」
ハルトは窓の外を見た。同じ空の下に、補償院がある。今頃、ドルカのもとにも同じ紙が届いたはずだった。ドアーレのもとにも。
七日間、二人はどう過ごしただろうか。
すぐに打ち消した。
今は次を考えればいい。
■■■
来訪者が現れたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
正門の詰所から報告が入った瞬間、ハルトの心拍が一拍跳んだ。
「補償院の機構長殿が、単独でお見えです」
(単独で、来た)
ガレオスがすでに廊下に出ている。リーシャが半歩後ろについた。
応接室のドアを開けると、ドルカ・アイゼングリムが窓際に立っていた。がっしりしたドワーフ族の体格。背は低いが、首の太さと肩幅が部屋の空気を変えた。補償院の制服に機構長の印章を胸に着けている。随員は誰もいない。
「座れ」
ドルカがまず言った。自分自身に言い聞かせるような声音だった。それからハルトたちを見て「お前たちも」と続けた。
ガレオスが無言で腰を下ろした。リーシャが隣に。
ドルカはテーブルに評議会からの送達書を一枚置いた。「受け取った。以上だ」
「……それだけのために、わざわざ来たわけではないですよね」
ハルトが言うと、ドルカはわずかに間を置いた。「そうだ」
椅子に深く座り直す。指を組んで、テーブルの上に置いた。
「一つ、確認したいことがある」
「何でしょうか」
「費用対効果目標の設定が理事会の承認を経ていないとすれば、それは誰の責任になると、お前は考えるか」
ハルトは少し驚いた。ドルカ自身が、その問いを立てている。
「補償院理事会規程第五条の観点から言えば、設定権限を行使した者の責任です。今回の申立でもその点を問うています」
「俺が行使したのではない。財務局が提案し、機構内部の手続きで処理した。俺の決裁ラインとは別だ」
「だとすれば、誰が提案し、誰がそれを通したかが問われます。それが審問の焦点の一つになります」
ドルカはまた間を置いた。テーブルの上の指が、ほんのわずかに力を抜いた。
「俺は三十年間、補償院の財政を守ってきた。一件認定するたびに翌年の予算が削れる。削れれば次の百人が制度を使えなくなる。それが俺の判断基準だ。変わっていない」
「はい。それは理解しています」
「ならば、聞け」
ドルカが少し前に身を乗り出した。寡黙な人間が、珍しく言葉を継ごうとしている。ガレオスが表情を変えずに見守っている。
「俺がそう考えるようになった理由がある」
メモが静かに羽をすぼめた。
「ドワーフの鉱山共同体に生まれた。俺が子供の頃、そこは共済制度を持っていた。病気になれば共同体が負担する。事故になれば共同体が出す。情に厚い制度だった。申請がくれば断らない。どんな理由でも受け入れた」
「ある年、申請が増えた。翌年も増えた。俺が十二のとき、基金が底をついた。制度が止まった。みんな、誰かに頼る先をなくした。共同体は三年で解体した。俺はそこから逃げるように外へ出た」
部屋に静寂が落ちた。窓の外で鳥が一声鳴いて、遠くへ飛んでいった。
ハルトはその話を聞きながら、何かが引っかかっていた。
(申請が増えたから、基金が底をついた。本当にそれだけか?)
「機構長、一つ聞いていいですか」
「言え」
「その共同体の共済基金が底をついたとき、制度の設計そのものは、申請が増えることを前提に作られていましたか。積立率の設定は?給付水準は?何人まで対応できる想定だったか」
ドルカの指が、テーブルの上でわずかに動いた。
「申請が増えたことが問題だったのか、そもそも制度が申請の増加に対応できる構造になっていなかったことが問題だったのか、どちらですか」
しばらく、沈黙があった。
ドルカは何か言おうとして、止めた。もう一度、止めた。
「……俺は、情に流されたことが原因だと、ずっとそう思ってきた」
ハルトは何も言わなかった。言う必要がなかった。問いを置けばいい。それで十分だ。
ドルカがゆっくり立ち上がった。
「申立には規則通り応じる。審問には出頭する。それだけだ」
部屋を出る。廊下を歩く音が、少しずつ遠くなった。
ガレオスが長い息を吐いた。低く、短く。「……あの男が、自分のことを話すとは思わなかった」
「俺も、思いませんでした」
メモが肩の上でゆっくり体を揺らした。「ドルカさん、揺れてますのです。揺れてる人は、もう一度考えますのです」
ハルトはその言葉を、心の中で何度か繰り返した。
■■■
夕方、フィアが補償院から走ってきた。
「あの、関係あるかわからないんですけど」と、いつになく緊張した声だ。「ドアーレ係長の代理人名義で、評議会宛に書状が届いたと聞きました。審問の前に、申立人側と和解協議を行いたいという内容だそうです」
「えー」とフィナが横から言った。「つまり怖くなったってこと」
「フィナ!」
「だってそうでしょ。理事会未申告が書面で確定したら、財務局まで揺れますよ。おさめたいんでしょ」
ハルトは少しの間、考えた。
(ドルカは審問に出る、と言った。ドアーレは和解を求めている。二人の反応が、まるで違う)
「和解協議には応じません。評議会宛にそのように回答します」
フィアがほっとした顔で頷いた。
「それともう一つ確認したいのですが、ポルヴォさんの所在を探しているような動きはありますか」
二人が顔を見合わせた。フィナが声を落とした。「ドアーレさんの関係者と思われる人が、補償院にここ数日で三人来てます。表向きは別件みたいに振る舞ってたんですけど、補償院の人に聞いてることはセドリクさんの話ばかりで」
(やはり。ドアーレがポルヴォを探している)
招致状がポルヴォに届く前に所在が割れれば、接触を試みるかもしれない。あるいは証言を翻させようとするかもしれない。
「わかりました。ありがとうございます」
二人を送り出してから、ハルトはリーシャとガレオスを見た。
「評議会書証課に連絡して、証人招致状の発送を急ぐよう伝えます」
「招致状が送達されれば、ポルヴォさんには正式な法的保護がかかりますのです」とメモが言った。「それまでが、一番危ないですのです」
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夕暮れ、ガレオスがグレタの家を訪ねた。
狭い通りに面した借家の扉を叩くと、グレタが出てきた。鍛冶の煤が少し手に残ったまま、訪問者の顔を見た。
「送達が届きました。ドルカ機構長と、財務局審査調整係長のドアーレ、両方に」
グレタは一度だけ目を閉じた。それから、静かに聞いた。「審問は、いつですか」
「評議会が日程を決めます。早ければ二週間以内だと思います」
ヤネが後ろから出てきた。母親の肩に、少し迷ってから手を置いた。
グレタは長い息をついた。「五年。ダグラスが死んでから、五年かかりました。こういう日が来るとは、途中で何度も思えなくなりそうでした」
ガレオスは何も言えなかった。「そうだ」とだけ返した。
夕暮れの空の色が、鈍い橙になっていた。
帰り道、ガレオスが一言だけ言った。「あの女は、愚痴ひとつ言わなかった」
ハルトは何も答えなかった。
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夜、評議会書証課から返信が届いた。
「証人招致状、明日発送の予定です。ただし、ポルヴォ殿のご住所が当方では確認できておりません。申立人側で補足情報があればご提供をお願いいたします」
ハルトはその文面を読み終えて、封筒をテーブルに戻した。
ポルヴォは潜伏中だ。招致状が届かなければ、彼は証言台に立てない。届く前に所在が知れれば、ドアーレ側が動くかもしれない。
でも、ポルヴォが自分から評議会に居場所を知らせれば、招致状は届く。
「どうするですのです?」とメモが聞いた。
「ポルヴォさんに、こちらから連絡する方法を探します。評議会に申立人側から居場所を仲介できないか確認してみます」
リーシャが静かに言った。「届けば、審問に間に合います」
「届けます」
ハルトは返信の紙を折りたたんだ。明日、また動く。
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**プチ解説コーナー**
今回の「送達」は、現実の行政不服申立制度にある通知義務に対応する仕組みです。日本では行政不服申立法により、審査庁が処分庁に弁明書の提出を求め(第29条)、申立人・参加人には証拠書類の閲覧機会が保障されます。「審問前の和解協議」は実際の行政事件訴訟でも行われる和解勧試に近い制度です。そして「証人招致状」は行政審判における証人喚問(第35条相当)に対応します。制度が正しく機能するかどうかは、使う側の姿勢にかかっています。




