第52話 沈黙の兼任
朝の外周詰所は、まだ夜番の空気が抜けきっていなかった。
篝火の煙が廊下の隅に漂い、当直の騎士たちが交代の記録書を挟んで話し込んでいる。ガレオスはその脇を通り過ぎ、廊下の突き当たりに立った。
「ヴィサル・クロウを呼んでくれ。業務上の問い合わせがある」
「お待ちを」と当直の騎士が引っ込んで、しばらくして戻ってきた。「外周南区の確認に出ております。じきに戻るかと」
「待つ」
ガレオスは腕を組んで壁に背をつけた。ハルトの肩に乗っていたメモが、ひらりと腕に移って翼を縮めた。
「ぼくはここで待ちます、ですのです。なんか廊下の空気が重くて」
(来なくていいと言っただろう)
「ハルトさんが来たからついてきたのです」
「俺は何も言っていないが」
「じゃあ心の声が聞こえました、ですのです」
短いやり取りが途切れたとき、廊下の角から足音が聞こえた。
背の高い男が現れた。三十代後半か四十代、人間。体格はあるが管理職特有の疲れが重なっており、動きに無駄がない。ガレオスを見ると、口の端を少し引いた。
「ガレオス主任。何かご用でしょうか」
「ダグラス・フィルという正騎士の件だ。五年前に東の渡渉任務で殉職した。お前は当時、書記室で受領の署名を入れている。受領台帳の受領日が加入記録の提出期限より十四日遅い。その理由を聞きたい」
ヴィサル・クロウは、一瞬も動じなかった。
「手順通りに処理いたしました。受領日は内部処理の完了日を記録しています。提出日とのずれは確認や検証に時間を要した場合に生じます」
「十四日、かかるか」
「案件によっては」
「その案件はそうだったということか」
「記録の通りです」
ガレオスの声が低くなった。
「なぜその時期だけ書記室と外周の兼任だったのか」
クロウは目を伏せ、ゆっくりと首を振った。
「人事上の配置ですので、私の一存ではお答えできる立場にありません。ご不明な点があれば、書記室の管轄部署にお問い合わせください」
「その管轄部署はどこだ」
「総務部の書類管理係が窓口になっています」
丁寧な声だった。だからこそ、何も答えていないに等しい。ガレオスは一歩踏み出した。
「ダグラスは俺の部下だった。俺の指揮した任務で死んだ男の遺族が、記録の不備を理由に年金を受け取れないでいる。それを知っているか」
クロウは静かに目を落とした。
「……お気の毒なことです」
「お気の毒、か」
「当時の処理が規則に従っていたかどうかは、改めて確認が必要な事案かと思います。ただ、私は現在その件に関しては。。。」
「答えるつもりがないということだな」
短い沈黙があった。クロウは否定も肯定もしなかった。
ガレオスは踵を返した。
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昼すぎ、詰所の隅でガレオスはハルトに向かい合っていた。
「何も引き出せなかった」
「どんな様子でしたか」
「手順通りだと言い続けた。兼任の理由も、日数がかかった理由も、何一つ説明しなかった。最後には『答えられる立場にない』と言いおった」
リーシャが手帳に書き留めながら、静かに聞いている。
ハルトは少し考えてから言った。
「自分の意思で答えないんじゃない気がします」
「どういうことだ」
「答えさせてもらえない、ということだと思います。誰かにそう言われてる、か、そう分かってる、か。クロウさんひとりで判断してるわけじゃない、ってことです」
ガレオスが机の縁を一度だけ握った。
「……俺の話し方が悪かったか」
「いいえ。ガレオスさんが何を聞いても、今日は同じ答えが返ってきたと思います」
ガレオスは黙った。否定できなかった。
メモが翼をひとはたきして言った。
「クロウさんを動かした上の誰かが、まだ別にいる、ってことですのです。その人が見えてくれば、次の手が打てるですのです」
「……お前、そんなに物事がわかるフクロウなのか」
「肩に乗ってるとたくさん見えますので、ですのです」
ガレオスが短く息をついた。怒ってはいなかった。
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午後、ハルトとリーシャは補償院へ向かった。
窓口にはフィアとフィナの双子がいた。フィアが書類を受け取り、番号を確かめた。
「補償院理事会議事録の開示申請、受理いたします。七日以内に文書で回答いたします」
フィナが横から小声で付け加えた。
「理事会のハンコ、ちゃんと押してあるといいですね」
「フィナ」
「言ってないよ、別に」
外に出ると風が冷たかった。リーシャが隣を歩きながら言った。
「費用対効果目標の設定に理事会の承認がなければ、機構長の越権になります。でも、ドルカさんは自分が越権しているとは思っていないように見えました」
「思っていないから怖いんです」とハルトは言った。「悪意でやってる人なら、突きつけられたとき逃げるかごまかすかするしかない。でも、本当に正しいと信じてやってる人は、こっちが根拠を出したとき、向き合える可能性がある。ドルカさんはたぶん、そっちです」
リーシャが少し考えてから頷いた。
「七日、待ちます」
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夕暮れが詰所の影を長く伸ばしていた頃、ヤネが連れてきた男が、食事処の端の席に座っていた。
日焼けした顔の外周警備員。四十代前半。ダグラスより少し若く見えるが、目の端に長い年月が刻まれている。
「ロック・ヘインと申します。ダグラスとは五年間、同じ小隊で組みました」
グレタが向かいに座り、ヤネがその隣についた。ハルトとガレオスは端に控えた。
「ダグラスのことを教えてください」とグレタが言った。声は静かだった。
「真面目な男でした。遅刻ひとつ、提出漏れひとつ、なかった。加入記録を書記室に持っていくのも、毎月月始めの二日か三日でした。必ず。一度も遅れたことはなかった」
「月始めの、二日か三日に」
「はい。あいつは、妻と子供がいるから記録だけは絶対に落とさない、と言っていました。俺にそれを自慢するように毎月確かめてきて」ロックが苦笑いして、その笑いがすぐ消えた。「……受領台帳に十四日後と書いてあるというのは、今日初めて聞きました。そんなはずはないです。ダグラスが半月も放置するわけがない」
ハルトは手帳に書いた。
「当時、書記室の受付担当が外周警備の主任と兼任だった記録があります。ロックさんはご存知でしたか」
ロックは少し眉を動かした。
「そういえば。あの時期だけ、受け取りに来る顔が変わっていた、とダグラスが一度言っていました。笑い話みたいに。それだけです」
「ダグラスさん自身が、気にしていた?」
「気にしていた、というより……いつもと違う顔だった、というくらいの話でした」
場が静かになった。
グレタが言った。
「あの人は、ちゃんとやっていた、ということですか」
「はい」とロックは言った。「毎月、ちゃんとやっていました。間違いないです」
ガレオスが椅子の背に凭れ、目を閉じた。
「……そういうことか」
低い声だった。
「あいつは毎月きちんとやっていた。なのに記録が抜けた。それは。。。」
「誰かが、意図的にしたかもしれない」とハルトは静かに言った。「少なくとも、ダグラスさんに問題はなかった」
ガレオスは膝の上で手を組み、しばらくそのままでいた。
「……俺の怠慢じゃないかもしれない、ということか」
「そうです」
「だが、あいつはもういない」
「はい」
「ここにいない。本人には確かめられない」
「それでも」とハルトは言った。「グレタさんはここにいます。ヤネさんもいます」
ガレオスが顔を上げて、グレタを見た。グレタはドワーフらしい短い首をまっすぐにして、ガレオスを見返した。目が赤かった。
「……何か、できることがあれば。。。」
「ありがとうございます」とグレタは言った。
メモがハルトの肩で小声で言った。
「ガレオスさん、今のよかったですのです」
「うるさい」
声に棘はなかった。
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夜道で、ガレオスが急に立ち止まった。
「ヴィサル・クロウのことで、思い出したことがある」
「何ですか」
「五、六年前に、財務局の外部検査の対応で、外周警備から短期で出向していた記録があるはずだ。その後すぐに、統括主任に昇格した」
ハルトとリーシャは顔を見合わせた。
「財務局と、ヴィサル・クロウが」
「確かかどうかは分からん。噂程度だ。ただ、お前らが費用対効果目標の話をしていたのを聞いて思い出した」
リーシャが手帳に書いた。
「財務局の出向記録が確認できれば、ヴィサル・クロウと費用対効果目標の設定を指示した側の接点が裏付けられる可能性があります」
「一本の線が見えてきた気がします」とハルトは言った。「ダグラスさんの記録の空白と、費用対効果目標と、様式変更と、全部、同じ方向を向いているかもしれない」
メモが言った。
「でも、線が見えただけで、まだつながっていないですのです」
「ええ。だから、つなげます」
風が止んでいた。
遠く、詰所の灯が橙色に揺れていた。ヴィサル・クロウは今夜もどこかにいる。その背後に、まだ名前のわからない誰かがいる。その輪郭が、少しだけ見え始めていた。
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【あとがき】
プチ解説コーナー
今話でガレオスが調べた「加入記録の受領日のズレ」は、現実の社会保険実務における「手続き遅延」の問題に対応しています。厚生年金保険法では、被保険者の資格取得の届出は事業主が資格取得日から五日以内に行う義務があります(厚生年金保険法第27条)。提出から処理までに不自然な日数が生じた場合、それが事務処理上の遅延なのか、意図的なものかは記録を細かく追わなければ分かりません。実務上、届出の受付日と実際の処理日がずれるケースは存在しますが、十四日という日数は通常の範囲を超えており、何らかの原因調査が必要とされる水準です。




