第51話 書記室の正本
書記室の窓口は、午前九時きっかりに開く。
ハルトは廊下でドアの前に立った。隣にリーシャ、うしろにガレオス。珍しい三人組だと自分でも思ったが、理由があれば珍しくもない。
「ここで合っていますか?」
リーシャが確認するように振り向いた。ガレオスが腕を組んだまま答えた。
「五年前、俺が直接持ち込んだ場所だ」
声に感情はなかった。ただ記憶をなぞるような口ぶりで、それだけが重かった。
ハルトは扉を押し開けた。
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書記室の中は薄暗かった。
棚が天井まで積み上がり、綴じ紐でまとめられた台帳が隙間なく並んでいる。カビと古い紙の匂いが混じり合った空気。窓口には、白髪を後ろで束ねた初老の職員が座っていた。分厚い眼鏡の縁を指で上げながらこちらを見た。
「何の御用で」
「ダグラスという元正騎士の加入記録正本の確認をお願いしたいんです。在籍期間のうち特に、五年前前後の四年分が知りたいのですが」
「氏名と所属を」
ガレオスが低い声で補った。
「第三中隊、人間の正騎士ダグラスだ。五年前の秋に殉職している。東の渡渉任務で」
「……五年前」
職員は小さく繰り返してから立ち上がり、棚の奥へ入っていった。
待つ間、ハルトの肩の上でメモが羽を小さく動かした。
「ほーー。書記室ってひんやりしてますね。紙の密度がちがう」
「静かにしといてください」
「記録が積み重なってるってことは、制度が動いてきた証拠ですのです。悪いことばかりじゃないですのです」
「わかってるから今は黙ってて」
メモはくちばしを閉じた。ハルトは棚の背表紙を目で追った。人事。加入記録。配置記録。給金台帳。ひとりひとりの名前が、数字と記号に置き換えられて並んでいる。
「五年前、ダグラスの記録を提出した後で何かあったんですか」
静かに尋ねた。ガレオスが答えるまで少し間があった。
「部隊再編があった。東の渡渉任務の後で、人員の組み替えが大幅にあった。俺も別の業務を掛け持ちしていた時期だ」
「その混乱の中で、記録の提出が遅れた可能性は?」
「……俺は遅れたつもりはない。月の頭に動いた記憶がある。だが正直、あの頃は一週間の感覚がなかった。何十人分の処理を同時にやっていた。全員をきちんと確認できていたかどうかは、今となっては証明しようがない」
職員が台帳を二冊抱えて戻ってきた。重い音を立てて窓口に置いた。
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「ダグラス、正騎士、第三中隊。ございます」
職員は台帳を開きながら言った。
「第一年次から第三年次まで、受領確認印があります。提出者の欄にはガレオス主任騎士のお名前が」
ガレオスが台帳を覗き込んだ。目が細くなった。
「第四年次以降は」
職員は別の台帳を引いて開いた。
「受領台帳に記載はございます。ただ」
眼鏡の奥の目が、少し止まった。
「受領日が、当該年度の開始日より十四日後になっております」
「十四日後、ですか」
「通常、加入記録の提出は月の第一日から五日以内が規定です。こちらの記録は月の十五日に受領となっております。受領は確認しておりますが、その期間の加入記録には最初の十四日分の記載がございません」
リーシャが静かに息を吸った。
「受領したこと自体は記録されている。でも正本には空白期間が生まれているということですか」
「記録上、そうなります」
ガレオスが台帳の端を指で押さえた。声は落ち着いていた。
「俺が遅れて持ち込んだのか、それともここで受け取ってから転記が遅れたのか、台帳だけでは判断できないということか」
「はい、そうなります」
「……受領台帳に署名した担当者は誰だ」
職員が台帳の隅を指でなぞった。目が一度止まり、再び動いた。
「当時の書記室受付係、ヴィサル・クロウです。外周警備部門との兼任で、当時こちらに詰めておられた」
息が、詰まった。
リーシャも動かなかった。
ガレオスの指が台帳から離れた。
「……ヴィサルが、ここにいたのか」
誰も返事をしなかった。
窓口の古い台帳が、薄い光の中でじっとしていた。
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書記室を出たのは昼前だった。
廊下に三人が並ぶ。メモがくるりと一回転してからハルトの肩に戻った。
「ほーー。受領台帳には記録がある。でも正本に十四日の空白がある。間に誰かが何かをした時間、かもしれないですのです」
「証明はまだできない。でも可能性は消せない」
リーシャが手帳を取り出した。
「ヴィサル・クロウが書記室の受付を担当していたのは部隊再編の前後だけなのか、常勤だったのかも確認が必要ですね。職員の方が調べてくれると言っていましたが」
「外周警備の統括主任が書記室を兼任するのは、通常の体制じゃないはずです。なぜあの時期だけ」
「そうです」
ガレオスが壁から背を離した。
「接触する。ヴィサルに」
「お待ちください」
ハルトが前に出た。
「いきなり動くと向こうが身構える可能性があります。様式変更の指示を出した人物が、記録の受領も担当していた。その両方に関わっていたと気づかれたら、、、」
「だから先に動くと言っている」
「……ですが」
「業務上の問い合わせだ。俺が上の立場として、様式変更の経緯について確認する。それだけだ。怪しまれる理由はない」
ガレオスの目に感情はなかった。ただ静かな確信があった。
「ダグラスが死んだのは俺の指揮した任務だ。あいつの記録に空白があるなら、俺が埋める義務がある。五年遅れたが、それは変わらない」
ハルトはガレオスの顔を見た。
五年分の時間が、この人の中でどれだけ重くなっていたか。
「……明日の朝までにお願いできますか。明後日の夕方にヤネが、ダグラスさんの任務仲間と会えることになっています。それまでに状況を整理しておきたいんです」
「明日の朝に動く」
ガレオスがうなずいた。廊下を折れて歩いていく背中を、ハルトはしばらく目で追った。
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昼過ぎ、ハルトとリーシャは補償院の理事会規程の写しを広げた。
リーシャが昨晩問い合わせていたもので、今朝届いていた。二人は談話室の隅のテーブルで条文を確認した。
「第五条です。『理事会は、機構が実施する業務の評価基準の設定及び変更を承認する』」
「費用対効果目標の設定が評価基準の変更に当たるなら、、、」
「機構長単独では決められなかったことになります。理事会の承認が必要だったはずです」
ハルトは指先でページをたどった。
「条文だけでは足りない。実際に承認記録が残っているかどうかを確認しないと。承認なしに設定していたなら、それは越権です」
「補償院の理事会議事録は原則として開示対象だったはずです。次の申請ルートを確認します」
「お願いします」
メモが肩の上でひっそりと首を傾けた。
「ほーー。書記室の空白と、理事会の承認記録と、ヴィサル・クロウへの接触が同時に動くんですのです。忙しいですのです」
「そうですね」
「でも、全部が同じところに向かってる気がしますのです。記録が変わりやすい仕組み、そこに人が置かれた時期、制度が外から締め付けられ始めたタイミング。全部つながってますのです」
ハルトはメモを見た。
「珍しく真面目なこと言うんだな」
「ほーー。だってここは書記室じゃないので」
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夕方近く、ハルトは窓の外の光が傾くのを見ていた。
明日、ガレオスがヴィサル・クロウに動く。
書記室の受領から転記までの手順の記録が、残っているかどうか。
明後日、ヤネがダグラスさんの任務仲間に会う。
ダグラスの記録に空白が生まれた時期を、実際に現場にいた人間から聞ける可能性がある。
リーシャが手帳を閉じながら言った。
「一つ、気になることがあります」
「何ですか?」
「ヴィサル・クロウが書記室の受付を担当していた理由です。様式変更を指示したのも、書記室の受付にいたのも、どちらも部隊再編の直後だという点が引っかかります」
「記録を変えられる立場に、あの時期だけいた」
「そうは言えない。でも、記録が変わった時期に、記録を変えられる立場の人間がそこにいた。それだけは事実です」
ハルトは息を整えた。
受領日のズレ。書記室の兼任。様式変更の指示。昇格の時期。
全部が同じ時期に、同じ人物の周りに集まっている。
記録は、黙っていても何かを示す。
「明後日の面会まで、もう少しですね」
リーシャが静かに言った。
「はい」
うなずいた。
談話室の光が、ゆっくりと薄れていった。
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【あとがき】
プチ解説コーナー
今回のテーマは「加入記録の空白期間」です。現実の日本では、事業主は従業員を厚生年金・健康保険の被保険者とした日から5日以内に届け出る義務があります(厚生年金保険法第27条・健康保険法第48条)。届け出が遅れたり、提出後の処理に問題があったりすると、加入記録に空白が生じることがあります。
心当たりがある方は「ねんきん定期便」や「ねんきんネット」で自分の加入歴を確認してみてください。空白があっても諦めずに年金事務所へ相談すれば、記録の訂正申請制度を利用できる場合があります。ただし照合に必要な書類(給与明細・雇用契約書・辞令など)の準備が必要になることもあるので、早めの確認をおすすめします。




