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第49話 台帳と照合

朝の冷気がまだ廊下に残っていた。


ハルトは書類を脇に抱えながら、北棟へ向かって歩いた。


昨夜整理した内容がまだ頭の中にある。グレタが持ってきた不承認通知、欠落した四年分、ヤネが口にしたガレオスという名前。


(何があったかを把握する。まずそこからだ)


隣でリーシャが帳面を開いた。歩きながら確認している。


「グレタさんとヤネさんの面談の整理です。欠落期間は第四年次から第七年次。在籍を証明できる可能性のある書類として、給金受取記録、装備貸出台帳、任務報告書があります。ヤネさんが自宅にダグラスさんの古い書類が残っているかもしれないと言っていました」


「確認できるといいですね」


「はい」


廊下を曲がると、北棟の奥が見えてきた。


■■■


ガレオスの部屋は静かだった。


扉をノックすると「入れ」と短い返事が来た。間を置かない返事だった。


扉を開けると、机の前にガレオスが座っていた。立ち上がらなかった。机の端に書類の束が積まれていて、それ以外には何もない机の上がかえって目立った。


「来たか」


「おはようございます」


ガレオスは束を手前に押した。


「昨日言った通りだ。出す」


「ありがとうございます」


ハルトは束を受け取り、一枚目を確認した。


任務名、日付、参加人員の名前。紙の色がわずかに黄ばんでいる。五年以上前の記録だ。ダグラスという名前が三行目に出てきた。任務区域の欄には「東の渡渉路・中継地点B」と書いてある。


(いる。この記録には確かにいる)


「東の渡渉任務の前後、俺の指揮下にあった期間の任務報告書と配備記録の控えだ」


ガレオスは腕を組んだまま続けた。


「当時は部隊長が副本を保管する慣例だった。正式な加入記録じゃない。だが、誰が在籍して任務に参加していたかを示すものとしては使えるはずだ」


「期間はどのくらいですか」


「第四年次の春から第六年次の夏まで。三十二枚ある」


(四年次から六年次まで。二年分だ)


欠落しているのは第四年次から第七年次の四年分。ガレオスの手元の記録で証明できるのは、そのうちの二年分。第七年次の分がまだ足りない。


「第七年次の記録はありますか」


ガレオスは少し間を置いた。


「そこが出てこなかった」


一拍おいて言い直した。


「部隊再編のとき、俺は別の任務に出ていた。書類の整理は副直の者に引き継いだ。第七年次の控えが俺のところに来なかった。引き継ぎを確認しなかったのは俺だ」


言葉は短かった。


ハルトはそれを聞きながら、書類をめくり続けた。ダグラスという名前が何度も出てきた。三枚目、五枚目、八枚目。どの任務記録にも同じ筆跡の署名がある。


(この記録の中にいる人間が、年金の台帳から消えていた)


「当時の副直の担当者は、今も在籍していますか」


「一人はすでに異動している。コート・ジルバという者がもう一人いる。外周警備に今も残っているはずだ。年は五十代だ」


リーシャが帳面に書き込む音がした。


「コート・ジルバさんに確認を取ることはできますか」


「俺から声をかける」


短く言った。それだけで終わらせようとした。


ハルトはもう一度聞いた。


「ダグラスさんはどういう方でしたか」


ガレオスは少し間を置いた。


「真面目な男だった。任務報告書を遅れて出したことがない。見習いに対して丁寧に接していたと、当時の見習いから聞いた。俺が指揮していた時期に、一度だけ任務中に足を痛めたことがあった。それでも翌週の任務には出てきた。そういう男だ」


平坦な語り方だった。ただ、言い終わった後に口をつぐむ時間が少し長かった。


「五年前の任務で死んだ。俺が指揮した任務だ。記録が抜けているとしたら、俺の怠慢だ」


それ以上は言わなかった。


メモがハルトの肩でぽそりと呟いた。


「ほーー。五年間、ずっと一人で持っていたですか」


「メモ」


「静かにするですのです、はい」


ガレオスがそのやり取りを横目で見た。何か言おうとして、口を閉じた。


「コート・ジルバへの連絡は今日中に入れる」


「ありがとうございます」


ハルトは書類の束を抱え直した。三十二枚。一枚一枚に、ダグラスという名前が残っている。


「大切に使います」


ガレオスは頷かなかった。ただ顎を少し動かした。それがこの人間の、同意の仕方なのかもしれなかった。


■■■


廊下に出た。


リーシャが帳面を開いた。


「第四年次から第六年次の任務報告書三十二枚。第七年次の記録はコート・ジルバさんへの確認待ち。グレタさんのご自宅にダグラスさんの書類が残っている可能性もあります」


「できるだけ揃えます。書類が増えるほど証明が確かになる」


リーシャは帳面をめくった。


「それとは別に、外周記録簿の件です。昨日のうちに写しを取りました」


「内容は」


リーシャが紙を出した。


「先月から外周記録簿に三つの記録欄が追加されています。担当人員の識別番号、配置換え履歴の参照番号、任務中の特記事項、この三つです」


ハルトは受け取って確認した。


(追加された三つ、全部、新しい欄だ)


「以前は記録されていなかったということですね」


「はい。特に配置換え履歴の参照番号という欄が気になりました。以前は配置換えの辞令に固有の番号がついていなかった。先月からそれが始まった。逆に言えば、五年前のダグラスさんの部隊再編当時は、辞令の参照番号がなかった可能性があります」


(番号のない辞令。追跡しにくい形の記録)


「それはつまり、当時の記録が残りにくい構造だったということでもある」


「はい。意図的かどうかはまだわかりません。ただ、記録が残らない状態が以前はあった、ということは言えます」


ハルトは立ち止まった。


「様式変更の承認者を調べられますか。誰の決裁で変更が行われたか、記録が残っているはずです」


「今日の午後に確認を入れます」


「お願いします。承認者と承認日、変更理由も揃えてください」


リーシャが頷いた。


■■■


午後、リーシャが記録管理局から戻ってきた。


「様式変更の決裁は四月十五日付です。承認者は外周警備部門の統括主任、ヴィサル・クロウという方です。変更理由は記録の精度向上と管理効率化のためと記載されていました」


「ヴィサル・クロウ」


ハルトは名前を繰り返した。聞き覚えがない。


「外周警備部門の統括主任という職位は、ガレオス主任の管轄にありますか」


「管轄の境目は確認が必要ですが、外周警備は主任騎士の管轄に含まれるはずです。ガレオス主任がこの人物を知っている可能性はあります」


「コート・ジルバさんへの連絡を確認するついでに、ヴィサル・クロウという名前に心当たりがあるかどうかも聞いてみます」


「承知しました」


リーシャは帳面を閉じた。


「グレタさんへの報告は今日しますか」


「します。今日言えるのは資料が集まりはじめているということだけですが、それを伝えます」


■■■


夕方、グレタに短く話した。


「ガレオス主任が任務時期の記録を出してくれました。第四年次から第六年次の在籍については、任務報告書で示すことができます。第七年次の分は引き続き確認中です。当時の担当者にも当たっています」


グレタは頷いた。


「急がなくていいです」


泣きそうな声でも、焦った声でもなかった。ただ待つと決めている人間の声だった。


「ヤネが昨夜、父の持ち物を探していました。古い書類が出てきたらお持ちします」


「ありがとうございます。在籍を示す資料は何でも使えます」


横にいたヤネが一歩前に出た。


「ガレオス主任の名前を出して確認を取っても問題ないですか」


ハルトは少し考えた。


「問題ありません。どういう形で確認を取ろうとしていますか」


「父の古い任務仲間が一人います。今は別の部署にいるはずです。ガレオス主任の名前を出せば、連絡を取りやすいかもしれないと思いました」


(当事者同士のルートだ。使えるかもしれない)


「それで大丈夫です。ヤネさんが動いてくれると助かります」


ヤネは頷いた。昨日より、少しだけ肩が前に出ていた。


■■■


夜、書類を並べながらハルトは今日わかったことを整理した。


ガレオスの手元の記録で二年分。


コート・ジルバへの確認がまだ。


ヤネが独自のルートを動かしている。


様式変更の承認者はヴィサル・クロウ。


(補完書類のルートは三本ある。どれかが穴を埋める)


別のことも頭に引っかかっていた。


外周記録簿の様式変更。先月から配置換えに参照番号がつくようになった。


ゲイルが外周番から配置換えされたのは去年の冬。ダグラスの部隊再編が五年前。どちらの時期も、辞令に参照番号がなかった時代だ。


(同じ構造が、繰り返されている)


意図的なのか、単なる管理の手薄さなのか。それはまだ分からない。


(様式を変えた人間が、前の様式の問題を知っていたとしたら)


ヴィサル・クロウという名前が、明日またどこかで出てくる気がした。


メモが小さく羽ばたいた。


「ほーー。記録って、穴を作るのも見えなくするのも、案外静かにできるですのです。怖いですのです」


「そうだな」


「でも、一つずつ集めれば形になっていくですのです。ハルトさんはそれが得意ですのです」


「そうだといいのだけど」


ハルトはペンを置いた。


(一個ずつ確認していく。それしかない)


---


あとがき


今回は年金の加入記録欠落を補完書類で証明する作業が始まりました。


▼プチ解説コーナー


現実の厚生年金では、加入記録に誤りや漏れがある場合、年金事務所に「年金記録訂正申立」(厚生年金保険法第二条の五)を行うことができます。記録の欠落が事業者の届出漏れや行政の入力ミスによるものでも、給与明細・雇用契約書・在職証明書・当時の同僚の陳述書など、在籍の事実を示す複数の資料の組み合わせで申立が認められるケースがあります。二〇〇七年の「消えた年金」問題では、約五千万件の記録に問題が見つかり、本人の申告と複数書類の組み合わせで記録が訂正された事例が多数ありました。記録が残っていないからといってあきらめず、間接的な証拠を集めることが第一歩です。

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