第41話 疑われる、では足りない
朝の詰め所の廊下で、ゲイルに声を掛けられた。
「結城さん、少しよろしいですか」
昨夜の当直明けで目の下に影があるのに、声は落ち着いていた。
「ハインズ先輩に、話を聞いてきました」
「それで、どうでしたか」
リーシャが隣に立って耳を傾けた。廊下に人影はなかった。
「辞令の前日に、直属の上長から別室に呼ばれたそうです。『申請は本人の自由だ。ただ、隊の方針として健康な人員を前線に出すことになっている』と」
(要するに、申請したら前線から外す、ということですよね、それ)
リーシャが静かに眉を動かした。
「書面に残っている発言ですか」
「口頭でした。辞令の理由も、書面では一言、人員配置の見直し、とだけ書かれていたそうです」
「その前日の発言が書類に残っていれば、証明になるんですが」
「残っていないと思います」とゲイルが静かに言った。「ただ、先輩は、その夜のうちに覚え書きを書いていたそうです。何となく不審だったから、と」
俺は少し考えた。
「見せてもらえるよう頼めますか」
「昨夜、会いに行った際に話しました。探してくれると言っていたので、また連絡が来るはずです」
「わかりました。それと、今週中に補償院から審査結果が届くはずですが、もう少し待てそうですか」
「もちろんです。今日の深夜番まで時間があります」
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申請から六日後の夕刻に、封筒が届いた。
ゲイルが持ってきたそれを、三人で机を囲んで開けた。
「読み上げてもいいですか」
「どうぞ」
「傷病給付申請書第二十一号、受付番号四一七二番に係る審査結果についてお知らせします。提出された診断証明書所見欄の記述は、傷病給付条項第三条が定める療養要件を充足するものとは明確に認められないため、本申請を却下いたします。再申請を希望される場合は、様式第二十七号の追加証明書を添付のうえ、改めてご手続きください」
ゲイルが文書を机に置いた。
「却下、ですか」
「予想はしていましたが」とリーシャが静かに言った。
(やっぱり来たか)
「業務上の過負荷による体力低下が疑われる」という診断証明書の記述が頭に浮かぶ。医師として断定できない状態で断定とは書けない。エスタ治療師の誠実さが裏目に出た形だ。「疑われる」では、傷病給付条項が求める「療養の必要性の証明」を満たさない。補償院の言い分は、制度の読み方としては正しいのかもしれない。そこが一番ずるいところだ、と俺は思った。
「再申請はできます。様式第二十七号の追加証明書が必要みたいなので、明日確認しに行きましょう」
「よろしいんですか。また手間を取らせてしまう」
「手間じゃないですよ」と俺は言った。「ゲイルさんが動けなくなったら、家族が困るじゃないですか。それは制度が解決する話です」
ゲイルは少し間を置いてから、「ありがとうございます」とだけ言った。
封筒の文書がまだ机の上にある。ゲイルがそれを一度だけ見て、静かに折り畳んだ。却下通知を折り畳む所作が、どこかひどく冷静だった。このくらいのことには慣れてしまっているのかもしれない、と俺は思った。
■■■
補償院の受付カウンターを訪れたのは翌日の午後だった。
整理票を取って列に加わりながら、ハルトは窓口の奥をさりげなく見渡した。
(あれ、担当が変わってる)
以前の窓口担当者の姿はなかった。カウンターの内側に立っていたのは、白いブラウスに紺のジャケット姿の若いエルフが二人。どう見ても瓜二つの顔をした双子だった。見た目は十代に見えるが、エルフだから実年齢はわからない。
「次の方、どうぞ」
姉らしい方が窓口に現れた。書類の束を整えながら声を上げ、表情は堅く、物腰は丁寧だが隙がない。短く切りそろえた黒髪が光を反射している。
「傷病給付の再申請について確認したいんですが。先日の申請が療養理由が不明確という理由で却下されまして。再申請に必要な様式第二十七号を取りに来ました」
「様式第二十七号ですね。療養要件充足証明書のための補足様式です」とエルフがカウンター奥の棚を確認した。少し間があって、「申し訳ありません。本日分の配布はすでに終了しております」
「終了、というのは」
「様式は一日あたりの配布枚数を設定しており、本日分はすでに上限に達しております」
(また様式の入手経路が詰まってる)
隣でゲイルが黙って眉をひそめるのがわかった。
「明日また来れば入手できますか」
「通常は翌日分を補充しておりますので、可能なはずです」
「今月の却下件数、先月の二倍近くになってるから、様式の消費も増えてるんだよね」
棚の奥からもう一人の声が割り込んだ。どこか面白がるような、のんびりした口調だった。
「フィナ」と姉が低く言った。
「事実を言っただけ。嘘はないよ、フィア」
「業務中に内部の数字を」
「公式に出してない数字でもないし、規則に反してない。それに、配布枚数が足りなくなるなら事前に増やすべきって話でしょ」とフィナと呼ばれた妹が軽く肩をすくめた。
フィアが小さく息を吐いた。
「明日の開庁直後にいらっしゃれば、在庫はあるはずです」
「ありがとうございます」とハルトは言って、少しだけ声を落とした。「今月から却下件数が増えているというのは、審査基準が変わったということですか」
フィアが一瞬だけ答えを迷った。
「審査の判断は補償院審査部の権限ですので、窓口ではご説明できません」
「でも、同じ却下理由で来る人、今月になってから増えてるよね」とフィナが続けた。「療養理由が不明確って、かなり広い却下理由だと思うんだけど。個人的な感想だけど」
「フィナ、個人的感想は」
「個人的感想って言いましたよ。規則には反してないです」
リーシャが横で静かに聞いていた。
(今月から、同じ却下理由で跳ね返される案件が増えている。審査基準が変わったとすれば、いつ、誰が変えたのか)
ハルトは礼を言い、窓口を離れた。
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城門に向かう石畳の道を、三人が並んで歩いた。
塀の向こうに夕日が傾いていた。石畳の目地に草が生えていて、踏むたびに乾いた音がした。
「ほーー、申請の却下件数が今月で倍か」とメモが肩の上でつぶやいた。「これ、診断書の書き方の問題じゃなくて、機構側の審査基準が締まったってことですよね。合法的に給付を絞るなら、審査基準を厳しくするのが一番だよって話。機構の中でそういう判断が下りたとしたら、ですけど」
「その可能性はあります。ゲイルさんの件だけで断言はできないですが」
「……他にも同じ状況の人がいるということですか」とリーシャが言った。
「かもしれません。でも今は確認できない」
夕方の風が石畳の上を渡った。
ゲイルが少し間を置いて口を開いた。
「再申請したとして、通る見込みはありますか」
正直に言うしかない。
「今のままでは難しいと思います。診断証明書の表現を変えてもらえるかどうか。エスタ治療師に、もう少し明確な記述をお願いできるかが鍵です」
「家族には、まだ申請のことを話していないんです。また時間がかかるとなると」
ゲイルが少し声を落とした。先月から子供の薬代が上がったという話が頭をよぎる。
「ハインズ先輩の覚え書きが出てきたら、教えてください。記録管理局で辞令原本を確認する手も、並行して考えてみます」
ゲイルが深く頷いた。
「ありがとうございます。正直、ここまでやってもらえると思っていませんでした」
「制度が機能しないまま、体を壊すまで待つのは違うと思っているので」
「……ハインズ先輩が、申請の後にどうなったか。他の団員も知っています。だから誰も動かない。俺も、正直に言えば、申請する前にずいぶん迷いました」
それは初めて聞く話だった。
「迷ったけれど、申請したんですね」
「結城さんが来なければ、しなかったと思います」
ゲイルが前を向いたまま、静かにそう言った。
足音が石畳に続く。
(今月から審査基準が締まり始めた。エイラの件では様式の入手経路が詰まっていた。今度は療養要件の審査基準が壁になっている。場所は違うが構図は同じだ。どこかで、誰かが意図的に絞り始めている。ザイドが処分された後、機構の中で何かが動いたのかもしれない)
その夜、ゲイルから短い文書が届いた。
「ハインズ先輩が覚え書きを探してくれました。日付入りで残っているそうです。明日の朝に確認できます」
ハルトはそれを読んで、窓の外の暗い石壁に視線を移した。
今月の却下件数が急増した補償院の審査部。ドルカが動いたのか、現場の運用が変わったのか。答えを出すにはまだ手が足りない。でも、確かめるべき一手はできた。
ゲイルが「申請する前にずいぶん迷った」と言った声が、まだ耳に残っていた。
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【あとがき】
今回登場した「傷病給付条項・療養要件の証明」は、現実の健康保険法第九十九条(傷病手当金)に対応します。業務外の病気・けがで療養のため労務不能となった場合に収入を補う制度で、支給には医師による証明が必要です。診断書に「疑われる」など因果関係があいまいな記述があると、療養の必要性を「明確に証明」したとは認められないケースがあります。実務上は、主治医に「労務不能の旨を明確に記載してほしい」と相談することが一手になる場合があります。証明基準は保険者によって判断の幅があり、追加書類を求められることも少なくありません。(2026年時点の法解釈に基づいています)




