第31話 様式準拠
申立書が受理された翌朝。廊下の空気は、いつもと同じようで少しだけ違った。
すれ違う正騎士の視線が、わずかに速く動く。食堂の端で、カイルたちが声を潜めて何かを話している。評議会の決定と補償申立書の受理、その二つが、静かに団内に浸透しはじめていた。
俺、結城ハルトは、窓から中庭の朝光を眺めながら、手の中の通知書を改めて広げた。
『業務上負傷に対する補償制度の新設申立については、王都アイゼングリム補償院への事前照会が必要になる場合があります』
……場合がある、か。
(役所的な言い回しだけど、要するに「必要」ってことだよな)
そんなことを考えていたとき、ふわりと何かが肩に乗った。
鳥のような重さ。羽の感触。軽い。まるで空気が形を持ったような感じだ。
恐る恐る首を向けると小さなフクロウがいた。
丸い目。頭の羽がふかふかで、全体が半透明に透けている。朝の光が当たると、うっすら金色の粒みたいなものが羽の中で揺れていた。
「……え?」
フクロウはブルブルっと羽を震わせた。
「初めまして、ですのです。ハルト様のステータスウィンドウ機能が自律起動しました。複雑ケースに突入する前に、音声対話モードへ移行したほうが効率的と判断しましたのです。名前は、そうですね、メモ、でいいですのです」
「……なに?」
「メモです。以後よろしくですのです」
声は澄んでいた。不思議と耳に馴染む高さで、静かな廊下によく通る。でも何を言っているのか最初の三秒はうまく理解できなかった。
「スキルが……喋った」
「正確には、スキルの意思決定補助機能が具現化しました。問題ありますか?」
「……問題があるかどうかも判断できないけど、今は受け入れる方向で」
(また異世界のえぐい仕様が発動した。でも見た目がかわいいので許すことにする)
廊下の向こうから、リーシャの足音が聞こえてきた。
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「ハルト様、そちらは……」
リーシャが立ち止まり、俺の肩のメモをじっと見た。
「……フクロウ、でしょうか」
「俺のスキルが具現化したらしい。メモって名前」
「ほーほー」
メモが胸を張った、鳥に胸があるかどうかは謎だが、そういう仕草をした、得意げに首を傾ける。リーシャは二秒ほど考えてから「そうですか」と言った。驚いてから受け入れるまでのタイムラグが、普通の人間より明らかに短い。
少し遅れてエイラが続いた。
足はほぼ回復している。でも今日の表情は硬かった。
「フクロウですね、かわいい」
エイラに関してはタイムラグは一切なく受け入れた。
「……足は大丈夫ですか?」
「……はい」
いつもの「はい」より、固い。今日は申立人として、補償院の門を叩く日だ。
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アイゼングリム補償院は、王都北区の石畳の通りを抜けた先にあった。
重厚な灰色の石造り、三階建て。縦に長い鉄扉が二枚、入口の両脇を固めている。扉の鉄が冬の朝の空気を閉じ込めたように冷たく光っていた。入口の脇に、小窓付きの受付ブースがある。
石板には一文、彫られていた。
『様式準拠の申請書類のみ、受理いたします』
(……なんだ、この重い空気は。労基署に似てるけど、もっとずっと重い)
「ブラックスキャンが少し反応していますのです」
メモが俺の耳元でそっと言った。
「今は黙って」
俺はそう返して、受付ブースへ向かった。
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窓口の職員は中年の男性だった。
白い制服。無表情。書類を確認する動作が、機械的なほど正確だ。感情の気配が、どこにもない。
「補償制度新設の申立のために参りました。先日、記録管理局を通じて、こちらへの照会が必要との通知をいただきました」
「書類をどうぞ」
申立書一式を差し出すと、職員は受け取り、最初の一枚を見た。
三秒後。
「お受けできません」
「……え?」
「様式が規程に準拠しておりません」
(来た。これだ)
「どの規程ですか?」
「補償院業務規則第十二条の三、様式要件に関する規定です」
「その様式は、どこで入手できますか?」
「当院では配布しておりません」
「では、どちらで手に入りますか?」
「所管部署にお問い合わせください」
「所管部署はどこですか?」
「記録管理局です」
(やっぱりか)
「記録管理局には、この申立に対応した様式がないと確認しています」
「それはご確認の問題かと存じます」
「確認の問題、とは?」
「様式が存在しないのであれば、当院では対応できかねます」
エイラが小さく息を呑む音が、背後から聞こえた。リーシャの手が、書類の束をわずかに強く握る気配がした。
「……どうすれば、受け付けていただけますか?」
エイラが、静かに前に出た。
職員が一度だけエイラを見た。
「様式が規程に準拠していれば」
「様式を準備する方法を教えていただけますか?」
「案内の範囲外です」
エイラが一歩後ろに下がった。リーシャが前に立った。
「記録管理局で確認しましたが、この申立に対応する様式の保管先を教えてもらえませんでした。業務規則第十二条の三に、様式の配布元の記載はありますか?」
職員は一度間を置いた。
「業務規則は、二階閲覧室で確認いただけます。申立人または代理人に限ります」
「閲覧します」
リーシャの声に、迷いはなかった。
■■■
二階の閲覧室は、静かだった。
古い木の机が四つ。窓からは王都北区の石畳が見えた。壁際の棚に、年代順に綴じられた冊子が並んでいる。羊皮紙の匂いがした。
俺たちは机に並んで座り、「補償院業務規則」の最新版を広げた。
第十二条の三、様式要件、
『申立書類は、補償院所定の様式(様式第七号から第十一号)に従い作成されなければならない。様式の取得については、別冊「様式管理規程」を参照のこと』
「別冊……」
リーシャが棚を端から確認した。一番端の古い冊子の後ろに、薄い一冊が差し込まれていた。
「様式管理規程、制定 二百十七年」
中を開いた。
第三条、
『様式の配布は主管部署が行う。主管部署については、別途通達により定める』
「別途通達」
メモが羽をばたつかせた。
「つまり、様式の入手先は通達で決まっているのですが、その通達がどこにあるかは、この規程には書かれていないですのです」
「通達の所在が公開されていないから、申請者が自力で様式を準備できない?」
「少なくとも、今見えている情報では、そうですのです」
◆◆◆スキャン結果◆◆◆
対象:補償院業務規則第十二条の三/様式管理規程第三条
状態:様式要件は規定済みだが、配布経路が通達に委任されており、その通達の所在が公開情報内で不明瞭。申請者が自力で様式を入手する手段が現状では特定できない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
(これ、意図的に経路を非公開にしているのか、それとも制度が腐って経路が消えただけなのか)
(どちらにしても、申請者にとっては同じだ)
エイラが俺の隣で、静かに冊子を見ていた。
「……最初から、申請できないようになっていたんですか?」
俺は少し考えてから答えた。
「意図的かどうかはまだわからない。でも、答えは必ず、どこかに残っている。記録が残っているとしたら、記録管理局か禁書庫だ」
エイラは一度目を伏せ、それから顔を上げた。窓の外、王都の空は曇っていたが、エイラの目に迷いはなかった。
「行きましょう。記録管理局に」
新たな戦いが始まった予感がした。
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あとがき
【プチ解説コーナー】
今話で出てきた「所定様式」の問題、現実の労災保険申請でも重要な話です。
労働災害補償保険(労災保険)の給付申請には、厚生労働省が定める様式(療養補償給付なら様式第5号など)の使用が必須で、任意書式では受理されません。様式は労働基準監督署の窓口や同省ウェブサイトで入手できますが、「どこで手に入れるか」を知らなければそこで躓きます。
実務上、「様式が準拠していない」という理由での返戻(差し戻し)は珍しくありません。申請する側としては事前に「どの様式が必要か、どこで入手できるか」を窓口で確認する権利があり、受け付け側にも適切な案内義務があることを覚えておくと交渉の根拠になります。(労働安全衛生法・労災保険法の申請手続き全般に関わる話です)




