第25話 審議
評議会の審議室は、中央棟の二階にあった。
廊下を進むたびに、石畳の継ぎ目が靴底に伝わってくる。乾いた石の感触で、廊下が長い。
俺、結城ハルトは、右手に一束の書状を持ったまま、隣を歩くリーシャとガレオスの足音を聞いていた。
(こんな場面、社労士試験の勉強中には一度も想像しなかった)
役不足の資格で異世界に飛ばされて、転移から三ヶ月足らずで評議会の審議室に引っ張り出される。さすが異世界、想定外が多い。
「ハルト様」
リーシャが小さく名前を呼んだ。
「緊張していますか」
「してますよ、そりゃ」
素直に答えると、リーシャは一瞬目を丸くして、それから頷いた。
「私も、です」
「珍しいですね」
「……今日は、珍しくない気がします」
廊下の先で、扉の前にテルトが立っていた。エルフ独特の静けさで壁にもたれながら、俺たちを見つけると軽く手を挙げた。
「来た来た。少し待ってたよ」
「お待たせしました。中は?」
「もう全員そろってるって、扉番から聞いた」
テルトがあごで扉を示す。重い木の扉の向こうから、かすかに人の気配がした。低く揺れる声が一つ、二つ。
「入ったら、私が最初に証言する流れでよかったよね」
「お願いします。ガレオスさんが続いて、俺が最後に法典の条文を提示します」
「了解。あとはオルグレンがどう動くか、だね」
テルトが目を細めた。緊張でも余裕でもなく、何かを見定めるような顔だった。
(「自分自身のためでもある」テルトさんはそう言っていた)
動機はまだわからない。でも今はそれより、この審議を通り抜けることが先だ。
■■■
評議会の審議室は、思ったより狭かった。
細長い机が一つ、縦に置かれている。その奥に五名の常任議員が並んでいた。両側に補佐が一名ずつ。上座の正面、議長の席にオルグレンが座っていた。
白髪、細い目、終始消えない笑み。いつも通りだった。
「では、審議を開始いたします」
オルグレンの声は低く静かで、広くもない部屋によく響いた。
「本日の案件は、勇者保護法典の第七条、異議申立条項の運用に関する申立について。申立者は名誉聖騎士、結城ハルト殿。証言者として主任騎士テルト殿、ならびに主任騎士ガレオス殿が出席されています」
机の向こうに五つの視線が揃う。好意的に見えるのが二名、日和見が一名、オルグレン寄りが一名。
(あとの一人は……読めない)
ガレオスから聞いた評議会の構成はそこまでだった。読めない一人の票がどちらに転ぶかで、結果が変わる可能性もある。
「では、まず証言者から伺いましょう。テルト殿」
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テルトは机の前に進み出て、手元に一枚の書状を置いた。動作に無駄がなかった。
「記録管理局から聖騎士団内に掲示された通達、名誉聖騎士の資格について、正式な意思決定手続きの当事者資格を持たないとする文書ですが」
テルトの声は穏やかで、それでいてよく届いた。
「この通達には、根拠となる規則の条番が示されていません。記録管理局の掲示権限を定めた評議会規則第六十一条では、内部通達に法的根拠の明示を義務づけています。この通達は、形式上の要件を満たしていない」
「形式の問題、ということですね」
議員の一人が確認する。
「はい。内容の当否以前に、有効な通達として機能するための条件を欠いています」
オルグレンは何も言わず、笑顔のまま手元の書状に目を落とした。
(何かメモしてる。俺たちから見えないように置いてある書状……)
ブラックスキャンがわずかに反応した。でも表示は、ぼんやりとしたままだった。精度はまだ足りない。
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「続いて、ガレオス殿」
オルグレンが視線を上げた。
ガレオスが一歩前に出た。証言台でも立ち方は変わらない。足を開いて、腕を組まず、ただ立つ。
「夜警増員の発令に際し、当事者である見習い聖騎士との合意手続きが存在しなかったことを証言します」
声は低く、揺れなかった。
「俺自身が増員を決定し、当日に通達した。記録にある通りです。勇者保護法典第四条が求める合意手続きは、行われていない。俺の責任であり、否定するつもりはない」
室内が静まった。
「自己証言、ということですね」
日和見と思っていた議員が、初めて口を開いた。
「主任騎士が自ら手続きの不備を認める。それは重い証言です」
オルグレンは引き続き何も言わない。笑顔のまま、書状を眺めている。
(タイミングを計ってる。俺たちが崩れるのを待ってる)
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「では申立者、結城ハルト殿」
オルグレンが俺を見た。
「第七条に関する主張を、改めてお聞かせください」
「はい」
俺は手元の写しを机に置いた。禁書庫で書き取った、第七条の条文だ。
「勇者保護法典の現行版から、第七条、合意なき変更命令への異議申立権が削除されています。しかし禁書庫に保管されていた審議草稿の第三稿には、この条項が明記されており、ページ端のインクの染みから、直近に何者かがこの条文を参照した痕跡もあります」
議員たちの目が書状に向いた。
「この削除は、女王の法典を評議会の議決なく骨抜きにする行為です。勅命で定められた法典の条文は、同等の権限による正式な廃止手続きなしには削除できない。第七条の復活と、法典に基づく異議申立の有効性を認めるよう、申立てます」
静かな間があった。議員の一人が書状を手に取り、隣に回す。
(これで決まれば、と言いたいところだが)
俺はオルグレンから目を離さなかった。あの笑顔は、まだ変わっていない。
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「なるほど、ご主張は理解いたしました」
オルグレンが口を開いた。
「ただ、申立を審議する前に、一点確認が必要な事項がございます」
背筋に細い緊張が走った。これだ。想定問答で出てこなかった角度が来る。
「本日の申立は、第七条の有効性と、申立権について問うものですね。では、その申立権を誰が持つのか、という点です」
オルグレンは手元の書状を取り上げた。今度は全員に見えるよう、机の端に置いた。
「評議会内規第四十七条をご覧ください。女王の権限に由来する法典の条文に関する異議申立は、団の正式な職責に属する者、具体的には主任騎士以上の職位、または女王の名代、によって行われなければならないと定めております」
声は穏やかなままだった。
「名誉聖騎士は勅命によって授与される称号ではありますが、団の職責に属するものではない。評議会内規の文言上、申立を行う資格を持つ主体には含まれない、という解釈が成り立ちます」
ガレオスが俺の横で微かに息を詰めた。リーシャの筆記用具が止まるのがわかった。
(評議会内規第四十七条。……それは、準備してなかった)
頭の中で、持ってきた想定問答の束が、音もなく崩れた。
「もちろん、本審議を打ち切る意図ではありません」
オルグレンは穏やかに続ける。
「申立の形式適格について確認の必要が生じました以上、本日の審議は継続審議といたします。申立者が正式な職責を持つ者の連名で申立を補正するか、あるいは名代としての根拠を示されるまで、審議を一時保留とします」
議長が手を軽く挙げた。他の議員が頷く。日和見の議員も。好意的と見た二名も。異議は出なかった。
俺は奥歯を噛んだ。
(くそ、なんで第四十七条の存在を誰も確認してなかったんだ)
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審議室を出ると、廊下に夕方の明かりが差し込んでいた。
四人が並んで歩く。最初の一言が出ないまま、十歩ほど進んだ。
「第四十七条、か」
ガレオスが低く言った。
「知らなかった。あの男、どこで掘り出してきた」
「評議会の内規は全部で二百条近くあります。全部を確認するのは……」
リーシャが言いかけて、口を閉じた。
「補正申立の形式があれば、なんとかなる」
テルトが口を開いた。
「連名で補正するか、申立権を持つ誰かに前面に立ってもらうか。ガレオス、あなたは主任騎士だから、形式上の申立人になれる」
「それは今すぐにでも対応できる」
「じゃあそのルートで次の審議に臨めばいい。ただ問題は」
テルトが少し目を細めた。
「第四十七条が本当に現在も有効かどうか、原本で確認が要る。あの男が正確に引用したとは限らない」
俺は手元に何もない手を、ぎゅっと握った。
(禁書庫に戻る必要がある。第四十七条の原文を確かめること。それと禁書庫に先に入った人物。細身の革靴の跡。あの人物が今回の反論材料の出所だとしたら)
可能性が頭の中で繋がりかけた。でもまだ証拠はない。
「ガレオスさん、記録管理局を通じて評議会内規の全文を閲覧申請できますか」
「できる。時間はかかるが」
「早いほうが助かります。オルグレンさんが次の手を打つ前に、こちらも確認を終えておきたい」
「わかった」
ガレオスが頷く。その目に、苦いものが浮かんでいた。
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四人が別れて数十歩も歩かないうちに、廊下の曲がり角で俺は足を止めた。
角の向こう、壁際の床に人が一人座り込んでいる。見習い服。女性。右の足首に、布を巻いていた。
「大丈夫ですか」
近づいて声をかけると、相手が顔を上げた。黒い目が、驚いたようにこちらを見た。
「……はい、少し休んでいました」
「歩けますか」
「歩けます。ただ、少し足が」
「足首ですか」
「……夜警中に、段差で踏み外してしまって。転んだわけではないのですが」
見習い聖騎士。初めて見る顔だった。
ブラックスキャンが、静かに反応した。
◆◆◆スキャン結果◆◆◆
対象:見習い聖騎士(人間)
状態:業務上負傷
補償措置:該当規定なし
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
(業務上の怪我。薬代は……)
「薬は、もう手当てを?」
「はい。薬草を購入しました。三十グラル、自分で」
「それって、団の費用じゃないんですか」
「そういう制度は、ないはずです。なので、自分で」
彼女はあっさりと言った。当然のことのように。
(業務中の怪我で費用は自己負担か。労災補償に相当する制度が、この団にはない)
廊下の石が足の裏から冷えてくる。評議会の審議と、全く別の問いが頭の端で動き始めた。
「お名前を聞いてもいいですか」
「……エイラといいます。見習いの、エイラです」
「俺は結城ハルト。名誉聖騎士のほうです」
「……存じています。よく噂を聞きます」
エイラは目を伏せた。その顔に、疑念と期待の両方が混ざっているのが見えた。
「今日は無理して動かないほうがいいと思います。誰かに声をかけられますか」
「……はい」
「落ち着いたら、話を聞かせてもらえますか。業務中の怪我について、この団に整えるべき制度があるかもしれない」
「……自分が、何か問題になりましたか」
「問題じゃないです。あなたの怪我は、制度の問題です」
エイラはしばらく俺を見た。何かを測るような目だった。
「……わかりました」
小さく頷く。
(今日の審議は保留で終わった。でも今日ここで見つけたのは、審議だけじゃない)
廊下の先で、夕暮れが石畳を赤く染めている。俺はエイラに一度頭を下げて、廊下を引き返した。
明日やることが増えた。でも増えるほど、やれることも増えている。そのくらいには、まだ信じていられた。
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▼プチ解説コーナー
今話では「評議会内規第四十七条」という形で申立資格の制限が登場しました。現実の日本では行政不服申立法第2条が「行政庁の処分に不服がある者は審査請求できる」と定めていますが、処分の名宛人以外の第三者が申立できるかどうか、「法律上の利益を有する者」に当たるかどうかが実務でも争点になります。本話のオルグレンの手法は「内容の正当性を争う前に、申立者の形式的資格を問う」というアプローチで、実務でも原告適格・審査請求適格の有無が最初に検討される点に対応しています。申立資格の壁は、内容の正しさに関係なく手続きを止められる強力な防御手段です。




