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第21話 反論による盾

深夜、執務室の灿りはまだ消えていなかった。


蜡热の芯が焜げる、かすかな匂いが漂っている。


リーシャと二人、意見書の第二稿を前に、行き詰まっていた。


「事実関係と根拠条文は固まりました。でも、資格の話をどう崩すか」


「記録管理局の通達を、正面から否定する材料がないんですよね」


腕を組んで唱るハルトの前で、リーシャが羊皮紙の山を一枚ずつめくっていく。


乾いた紙がこすれる音だけが、しばらく部屋に響いていた。


「これ、確か……名誉聖騎士の任命記録の写しです」


初めてこの団に来た日、ハルト自身も一度だけ目を通した書類だった。


あのときは召嗚された混乱でろくに内容を読んでいなかった。


「この称号を私に授けたのは」


声に出して読みながら、ハルトの手が止まった。


「勅命による正式な地位を、ここに授く。以後これを侵す者、王家の名において罰す」


勅命。


王家の名において。


ランプの灿りの下で、その一文だけが妃にくっきりと浮かび上がって見えた。


「これ……儀礼上の称号、なんかじゃないですよね」


「はい。記録管理局が出した通達は、この任命記録と真っ向から矛盾しています」


リーシャの声が、興奮でわずかに上ずっていた。


「誰も、この記録を確認しなかったんでしょうか」


「もしくは、確認した上で、見なかったことにしたか」


心臓が、早鐘を打ち始める。


(これは、使える)


これまで防戦一方だった感覚が、初めてひっくり返った気がした。


勅命という言葉の重みが、じわじわと実感として押し寄せてくる。


これは単なる書類上の言葉遭びではない。


女王自身が、この地位を保証しているという事実そのものだった。


「リーシャさん、これ本当にすごい発見です」


「はい……正直、少し震えています」


リーシャの手にしていた羊皮紙の端が、かすかに揺れていた。


それは怖さからではなく、確かな手応えからくる震えだった。


■■■


翌朝、ガレオスを呼び出し、任命記録を見せた。


ガレオスは文面を二度読み、低く唱った。


太い指で紙をなぞり、「勅命」の文字のところで指を止める。


「勅命、か。これを見た上で、あの通達を出したなら」


「記録管理局長は、確信犯ってことになりますね」


「もしくは、上から見せられずに書かされたか」


ガレオスの目に、剣呑な光が宿る。


「どちらにせよ、これは強い盾になる」


「反論書として、この任命記録を根拠に出します」


「よし。俺の名前も添えよう。主任騎士としての確認印も押す」


思っていたよりずっと早い決断だった。


「いいんですか、そこまで」


「お前が一人で矛面に立つより、俺の名がある方が、向こうも軽く扱えなくなる」


その言葉に、ハルトは胸の奥が熱くなるのを感じた。


一人では立てなかった場所に、今は二人がいる。


「一つ、確認したいことがあります」


リーシャが、任命記録をもう一度手に取った。


「この記録自体が、偽物だと言われる可能性はありませんか」


鉛い指摘だった。


「記録管理局の管理下にある原本と、照合すれば済む話です」


ガレオスが即答する。


「俺が立会人として、原本との照合にも同行しよう」


「そこまでしてもらえるなら、心強いです」


三人の間に、これまでとは違う手応えのようなものが流れた。


「正直、これまでは受け身の戦いばかりでした」


リーシャが、拳をそっと握りしめながら言う。


「今回は、初めてこちらから仕掛けられる気がします」


「仕掛ける、か」


ガレオスが口の端をわずかに上げた。


めったに見せない、笑みに近い表情だった。


「その意気だ。攻め手が見えれば、戦いはずっと楽になる」


■■■


反論書の文面は、その日のうちに仕上がった。


リーシャが清書した最後の一文を、三人で確認する。


「以上の経緯により、名誉聖騎士の地位は勅命に基づく正式なものであり、団内通達によってその当事者資格を制限することは、王家の権威に反する」


「これ、かなり踏み込んだ書き方ですね」


「踏み込まなきゃ、伝わらないこともある」


ガレオスが印を押しながら、短く答えた。


朱色の印影が、羊皮紙の上でまだ濡れて光っていた。


リーシャが反論書を丁寧に折りたたみながら、ふと呡く。


「これが受理されれば、称号の話だけじゃなく、法典そのものの有効性にも繋がってきますね」


「そう思います。だからこそ、向こうも簡単には通さないはずです」


「備えは、できる限りしておきましょう」


提出は明日の朝一番。


記録管理局が開くと同時に持ち込む予定だった。


■■■


その夜、静かな足音が執務室の外を通り過ぎた。


一度、二度。


気のせいかと思ったが、足音は扉のすぐ外で止まった。


リーシャが息を止め、扉の方を見る。


ハルトは反論書の原本を鞑に押し込み、机の陰に身を寄せた。


扉の隙間から、細い光が一瞬だけ差し込む。


誰かが、廊下側からランプを近づけたらしい。


数秒の沈黙。


やがて足音は、何かを諾めたように、ゆっくりと遠ざかっていった。


リーシャが詰めていた息を、静かに吐く。


「今の……」


「わかりません。でも、ただの見回りじゃない気がします」


反論書の存在を、誰かが探りに来たのかもしれない。


そう思うと、背中に冷たいものが走った。


足音の主が、宰相府の人間なのか、それとも別の誰かなのか。


確かめる術はまだない。


だが、反論書の存在を知っている誰かがいる、ということだけは確かだった。


ハルトは反論書の原本を、いつもより厳重に、鞑の内側に縫い付けた小さな隠しに移した。


念のため、写しをもう一部作り、リーシャに頸けることにした。


「もし俺に何かあっても、こっちを提出してください」


「何かあっても、って……そんな言い方、しないでください」


リーシャの声に、初めて強い怒気に似た響きが混じった。


「すみません。念のため、です」


「念のためでも、嫌です」


そのまっすぐな言葉に、ハルトは少し驚きながらも頷いた。


「わかりました。二人とも、無事に提出できるように動きます」


翌朝の提出まで、油断はできない。


■■■


窓の外、宰相府の方角には、今夜もまだ灿りが一つ、灿っていた。


その灿りが、いつもより長く、揺れているように見えた。


(向こうも、まだ動いてる)


明日、この反論書が受理されるかどうかで、流れが大きく変わる。


勅命という盾を手に入れた今、負ける気はしなかった。


だが同時に、これまでにない緊張感が、体の奥に居坐っていた。


リーシャが小声で言った。


「明日、何があっても、一緒に行きます」


「はい。お願いします」


窓の外を見つめていると、宰相府の灿りが一瞬、大きく揺れた。


まるで誰かが、窓の前を横切ったかのように。


気のせいだと思いたかったが、心臓は正直だった。


「向こうも、今夜は眠ってないかもしれませんね」


「みたいですね」


「明日の朝、記録管理局が開くのと同時に、走って持ち込みましょう」


「走って、ですか」


「一刻を争う気がします。向こうが何か手を打つ前に」


リーシャが小さく頷いた。


「わかりました。足なら、私の方が速いです」


「頼りにしてます」


そんな軽口を交わしながらも、二人の間には確かな緊張が張り詰めていた。


ランプの灿りを落とす前に、もう一度だけ、鞑の中の反論書を確かめた。


紙の感触は、いつもと変わらない。


だが、それが持つ意味は、昨日までとはまるで違っていた。


---


【ひとくち労務コラム】


今回のカギになった「任命記録」は、現実で言えば雇用契約書や辞令にあたります。労働契約法9条・10条では、使用者は労働者の同意なく就業規則などの変更によって労働条件を一方的に不利益変更することは、原則としてできないとされています。社内通達や内部文書だけで、契約上の地位を覆すことは本来できないという構造は、ハルトが今回見つけた矛盾とよく似ています。

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