第20話 名誉資格
朝、記録管理局から一枚の通達が届いた。
紙の質は、いつもの申請書とは違う、少し厚手のものだった。
ハルト宛ではなく、団の掲示板に貼り出された形での通達だった。
リーシャが先に気づき、青ざめた顔で執務室に駆け込んできた。
「これ、見てください」
差し出された写しには、こう書かれていた。
「名誉聖騎士の身分は、勇者召嗚に伴う儀礼上の称号であり、団の正式な意思決定手続きにおける当事者資格を有するものではない。今後、名誉聖騎士が関与する申請・意見書等については、この点を踏まえて取り扱うものとする」
ハルトはその文面を、二度読み返した。
「これ、俺のことですよね」
「はい。名指しはされていませんが、対象はハルト様以外に考えられません」
署名は、記録管理局長のものだった。
だが文面の言い回しは、以前オルグレンと直接話したときの、あの独特な角度の付け方によく似ていた。
「オルグレンさんが、裏で書かせた可能性は」
「わかりません。でも、タイミングが良すぎます」
昨日、宰相府の男に接触されたばかりだった。
その翻朝に、こんな通達が出る。
偶然にしては、出来すぎていた。
リーシャが通達の写しを握りしめたまま、静かに言った。
「これまでは、遠くから観察したり、意味深いことを言うだけでした。でも今回は、はっきりと形にして出してきています」
「本気になってきた、ってことですね」
「はい。私たちが一歩進むたびに、向こうも一歩、本気度を上げてきている気がします」
ハルトは通達の文字を、もう一度目で追った。
「儀礼上の称号」「当事者資格を有するものではない」。
言葉自体は淡々としているのに、狙いだけは錈かった。
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昼前、ガレオスが险しい顔で現れた。
「見たか、掲示」
「はい。俺の当事者資格を、事実上否定する内容ですよね」
「そうだ。今後、お前が単独で意見書や申請の当事者になることは、難しくなる」
ガレオスは通達の写しを一瞎し、鼻を鳣らした。
「儀礼上の称号、か。よく言う」
「ガレオスさんは、どう思いますか」
「称号がどうであれ、団の環境を変えてきたのはお前だ。それは、紙切れ一枚でどうにかなるものじゃない」
その言い方には、飾り気がなかったからこそ、素直に響いた。
ガレオスは腕を組み、低く続けた。
「これまでのように、俺やリーシャが表に立つ形にするしかない」
「俺は、蝈帳の外ってことですか」
「正式にはな。だが、実際に条文を読み解いて、次の一手を考えるのは、お前にしかできない」
その言葉に、ハルトは少し肩の力を抜いた。
形の上での資格を奉われても、やることは変わらない。
「第七条の件、評議会に正式な形で持っていく方法を考えないといけませんね」
「ああ。意見書として提出するなら、主任騎士以上の名で出す必要がある」
「ガレオスさんの名前で、ですか」
「俺で構わん。むしろ、俺の名で出す方が、話が早い」
ガレオスの即答に、ハルトは少し驚いた。
「いいんですか。オルグレンさんを、正面から敵に回すことになりますよね」
「今更だ。もう、遠回しなやり方は通用しない段階に来ている」
その目には、これまでにない覚惟が見えた。
「ただ、意見書を出すだけじゃ、また同じように潰される可能性がある」
「対策、あるんですか」
「評議会規則には、意見書の他に、連署という仕組みもある。賛同者を増やせば、それだけ扱いも変わる」
「連署、ですか」
「今すぐには無理だろう。だが、頭の隣に入れておけ」
ガレオスの言葉に、ハルトは小さく頷いた。
一つの手札だけに頼らない。
その考え方は、労務の交渉でも同じだった。
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「私からも、一つ提案があります」
リーシャが、控えめに手を挙げた。
「意見書の文面、私にも手伝わせてください。評議会向けの書式は、以前の申請でも扱ったことがあります」
「助かります。俺一人だと、堅苦しい言い回しでつまずきそうなので」
「任せてください」
リーシャの声には、迷いがなかった。
机に広げた羊皮紙には、これまでの申請書とは比べ物にならないほど、細かい書式の指定があった。
「評議会向けの文書は、まず事実関係、次に根拠条文、最後に求める措置、という順番で書くのが基本です」
「思ったより、しっかりした型があるんですね」
「はい。型を外れると、内容を読む前に突き戻されることもあります」
リーシャは慣れた手つきで、羊皮紙に見出しを書き入れていく。
「事実関係」「根拠条文」「求める措置」。
その幾帳面な文字を見ながら、ハルトは社労士試験の答案作成を思い出していた。
型を守ることは、面倒に見えて、実は一番の近道になる。
現代でも異世界でも、それは変わらないらしい。
「事実関係のところ、禁書庫での発見から書き起こしましょうか」
「はい。誰が読んでも順序がわかるように、日付も入れておきます」
二人で羊皮紙を挿み、言葉を選びながら書き進めていく。
硬い言い回しの合間に、時々リーシャが「ここ、もう少し柔らかくてもいいかもしれません」と口を挿み、ハルトが言い回しを直す。
そんなやり取りを繰り返すうちに、文面は少しずつ形になっていった。
名誉聖騎士という立場が揚らいでも、この二人がいる限り、前に進める。
そう思えたことが、今のハルトには何より心強かった。
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夕方、掲示を読んだ見習いや正騎士たちの間でも、小さなざわめきが広がっていた。
「名誉聖騎士様、これからどうなるんでしょうね」
「さあな。でも、あの方がここまでやってきたことは、なくならないだろう」
そんな会話が、廊下のあちこちで交わされていた。
中には「儀礼上の称号だったなんて、知らなかった」と驚く声もあれば、「それでも、休息日の制度はもう根付いている」と冷静に返す声もあった。
制度として積み上げてきたものは、称号一つが揚らいだくらいでは、簡単には崩れない。
そのことを、廊下の会話が図らずも証明していた。
ハルトは執務室の窓から、その様子を眺めていた。
(資格を奉われても、やってきたことまで消えるわけじゃない)
そう思いながら、リーシャが用意し始めた意見書の下書きに目を通す。
第一稿は、まだ硬い言い回しばかりだったが、骨組みはしっかりしていた。
「これ、いい叙き台になりそうです」
「本当ですか。よかった」
リーシャの表情に、小さな安堅が浮かんだ。
窓の外、宰相府の方角に、今日も灯りが一つ灯っている。
その灯りを見ながら、ハルトは静かに決意を固めた。
(資格の問題は、向こうの土侵だ。でも、条文と手続きの話なら、俺たちにも戦い方がある)
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その夜、廊下でカイルに呼び止められた。
「あの、通達のこと、聞きました」
「ええ、もう団中に広まってるみたいですね」
「勇者様は、これからも……その、俺たちを助けてくれるんですよね」
カイルの声には、以前よりずっと強い芯が通っていた。
「資格がどうなろうと、やることは変わらないですよ」
「よかった……。じゃなくて、その、頑張ってください」
そう言って、カイルは少し照れくさそうに一礼し、去っていった。
称号を奉おうとする動きがある一方で、こうして支えてくれる声もある。
どちらが本物かは、もう明らかだった。
執務室に戻り、ハルトは今日一日の出来事を整理した。
資格を否定する通達。
ガレオスの覚惟。
リーシャの手際。
カイルの言葉。
一つ一つは小さいが、積み重なれば、通達一枚よりずっと重くなる。
明日から、意見書の文面作りが本格的に始まる。
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【ひとくち労務コラム】
今回の「名誉職には当事者資格がない」という展開は、現実でも似た議論があります。管理監督者などの「名誉職」手当をめぐっては、役職名だけではなく実態としての権限・裁量があるかどうかで判断されるのが実務上の考え方です。肩書きや称号だけで当事者性を否定するやり方は、実際の実態と乗離していれば問題視されやすい点です。




