第11話 頭数という壁
資材庫の机に、紙の束が積まれていた。
蝋燭の灯りが、紙の表面に小さな影を作っている。
インクの匂いに、古い木の匂いが混ざっていた。
昨夜から今朝にかけて、また数枚の紙が増えていた。
(残り三日。これで二日目が終わる)
ハルトは紙を一枚ずつ広げ、内容を声に出さずに目で追っていく。
『次の当番までの間が、いつも短い』
『せめて、続けて二回は眠りたい』
『三巡目に当たる日が、一番つらい』
似たような言葉が、何枚にも渡って繰り返されていた。
「リーシャさん、これ、ほとんど同じ悩みです」
「はい。間隔の短さが、一番の問題のようですね」
リーシャは羊皮紙を取り出し、見習いたちの名前を縦に並べて書いていく。
「まず、名前を書いて、当番を当てはめてみましょう」
「いいですね。実際にやってみないと、分からない部分も多いので」
二人は名前の横に、当番の枠を一つずつ書き込んでいった。
羽根ペンの先が、紙を擦る音が部屋に響く。
最初は、順調に思えた。
夜警を均等に振り分け、間隔を空けるよう並べていく。
だが、三巡目まで進んだところで、ハルトの手が止まった。
(あれ、これ……足りない)
ある名前の隣に、休む間もなく次の当番が並んでしまう。
別の並べ方を試しても、今度は違う名前のところで同じことが起きる。
「リーシャさん、こっちを直すと、あっちがしわ寄せ食らいます」
「私も、同じところで止まってしまいました」
何度か紙を書き直したが、結果は変わらなかった。
一人増やせば解決するが、増やせる人数自体が、最初から決まっている。
「リーシャさん、見習いの人数、これで全員ですか」
「はい。今、これ以上は増やせません」
「そうなると、誰かは必ず、しわ寄せを受けることになりますね」
リーシャの表情が、わずかに曇った。
「決まりを作るだけでは、足りないということでしょうか」
「足りないっていうより……人数自体が、根本的に足りてない気がします」
紙の上の名前を、もう一度見つめる。
(これ、決まりの話じゃなくて、頭数の話だ)
社労士試験の参考書にも、似たような壁の話があった。
制度を整えても、現場の人手が足りなければ、結局誰かが無理を背負う。
理屈の上では正しくても、紙の上の名前は、それ以上増えてくれない。
「シフトメイクのスキル、もう少し早く開放されてくれてもいいのに」
「そのスキルは、まだなんですか」
「はい。未開放のままです。今は、全部手作業でやるしかないので」
羽根ペンの先で、紙の上の名前を一つずつなぞる。
何度組み替えても、誰かのところに必ずしわが寄ってしまう。
リーシャが、ふと顔を上げた。
「夜警そのものを減らせないなら、他の負担を減らす、というのは」
「他の負担、ですか」
「はい。今は、まだ思いつきの段階ですが」
その一言が、頭の片隅に小さく引っかかった。
(夜警以外にも、削れる場所があるかもしれない)
すぐに答えは出なかったが、考える方向が一つ増えた気がした。
■■■
午後、二人は正騎士たちの当番表も確認することにした。
詰所の壁に貼られた表は、紙の端がすでに毛羽立っている。
墨の匂いが、湿った紙からわずかに漂っていた。
「正騎士の方々に、夜警を一部お願いするのは、どうでしょうか」
「……それは、難しいかもしれません」
リーシャが、表の名前を指でなぞる。
「正騎士も、訓練の指導や雑務で、すでに手一杯です」
通りかかった別の正騎士が、苦笑しながら口を挟んだ。
「リーシャ、夜警の手伝いなら、俺たちも喜んで出たいところだけどな」
「今の当番、空きはありますか」
「ないな。むしろ、こっちも削りたいくらいだ」
そう言って、正騎士は軽く肩をすくめて去っていった。
「リーシャさんも、その一人ですよね」
「はい。正直に言うと、私もぎりぎりです」
その一言に、ハルトは思わず手を止めた。
(リーシャさんも、まだ全然休めてないんだよな)
休息申請書に名前を書いたのは、つい最近のことだ。
本人の状況自体、まだ何も変わっていない。
「リーシャさんの分も、ちゃんと考えないとですね」
「私のことは、後回しで大丈夫です」
「いや、後回しにしてたら、結局同じことの繰り返しになる気がします」
リーシャは少し驚いた顔をしたあと、小さく頷いた。
「……そうかもしれません」
詰所の窓から、訓練場の声が遠く響いてくる。
剣を打ち合う音が、規則的に続いていた。
(見習いだけの問題じゃない。正騎士も、たぶん同じ穴に落ちてる)
人手が足りないという壁は、思っていたより大きく、根深いものだった。
このままでは、五日のうちに何も形にできないかもしれない。
(現代でも、人を増やさずに何とかしようとする現場、いくつも見てきたな)
社労士試験の勉強をしていた頃、似たような相談事例を何度も読んだ。
人を増やせないなら、仕事の中身そのものを見直すしかない。
言葉にするのは簡単だが、実際にやるのは、想像以上に骨が折れることだった。
■■■
夕方、資材庫に戻る途中、カイルに声をかけられた。
「勇者様、リーシャ様。少し、よろしいですか」
「カイルさん、どうしました」
カイルは、少し迷うような顔をしてから、口を開いた。
「人数の話、聞こえてしまったのですが」
「ああ、聞かれてましたか」
「……一つだけ、言ってもいいでしょうか」
「もちろんです。聞かせてください」
カイルは、一度だけ唾を飲み込んだ。
「夜警の引き継ぎ、毎回かなり長いんです。報告を一人ずつ、順番に話すので」
「引き継ぎが、長い、というのは」
「はい。誰が何を見たか、細かいところまで全員分話すので、四半刻近くかかります」
「それを待っている時間も、結局休む時間が削られてるってことですか」
「はい。早く終わった人も、最後の人が話し終わるまで、その場で待っています」
ハルトは、思わず顔を上げた。
(これ……人を増やす話じゃなくて、時間の使い方の話だ)
見落としていた場所が、急に輪郭を持った気がした。
視界の端で、淡くウィンドウが揺れる。
◆◆◆スキャン結果◆◆◆
対象:夜警引き継ぎの手順
状態:見直しの余地、確認(経験値が不足しています)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
精度は、まだ低い。
それでも、見直す価値のある場所だということだけは、はっきりしていた。
「カイルさん、すごく助かります。ありがとうございます」
「……いえ。前は、こんなこと言えませんでしたから」
カイルの声は、まだ小さかったが、確かに自分の言葉だった。
「リーシャさん、これ、試してみる価値あると思いませんか」
「はい。全員揃って報告するのではなく、必要な人だけに伝える形にすれば」
「待ち時間そのものが、減るかもしれないです」
「報告は、紙に一言書いて渡すだけでも、十分な気がします」
「異常があったときだけ、声に出して伝える形にすれば」
カイルが、少し驚いたように二人を見た。
「そんなに簡単に、変えてしまっていいんでしょうか」
「だめなら、戻せばいいだけです。まずは試してみましょう」
カイルの表情に、わずかな明るさが戻った。
(人数じゃなくて、使い方を見直す。これなら、今の頭数でもいけるかもしれない)
完全な答えではない。
それでも、進む方向が、少しだけ見えた気がした。
■■■
夜、訓練場の片隅に、ガレオスが姿を見せた。
篝火の灯りが、傷のある頬を赤く照らしている。
「残り、三日だ。進んでいるのか」
「はい。今、引き継ぎの手順を見直せないか、調べてます」
「人数を増やすんじゃなく、手順の方か」
「人数は、増やせないので。今あるやり方の中で、削れる部分を探してます」
ガレオスは、少しの間、黒目をこちらに向けたままだった。
「……お前、思っていたより、粘るな」
「粘るしかないので」
ガレオスは、短く息を吐いた。
「オルグレン様が、お前たちの動きを聞いてきた」
リーシャの耳が、ぴくりと動く。
「何を、聞かれたんですか」
「期限のことと、進み具合だ。詳しくは話していない」
「……ありがとうございます」
「別に、お前たちのために言ったわけじゃない。俺は、約束を守るだけだ」
それでも、その一言には、わずかな重みがあった。
「三日で、形になるのか」
「正直、まだ分からないです。でも、やれることは全部やります」
ガレオスは、フッと短く息を吐いた。
「その言葉、前にも聞いたな」
「今回も、同じです」
ガレオスは踵を返し、夜の中へ歩き去っていった。
その背中を見送りながら、ハルトは紙の束を握り直す。
(オルグレンさん、やっぱり気にしてるんだな)
残り三日。
人手の壁は、まだ厚い。
それでも、削れる場所が一つ見つかった。
小さな手がかりだったが、ないよりはずっとましだった。
紙の束を懐に仕舞いながら、ハルトは小さく息を吐く。
「リーシャさん、明日は引き継ぎの試し運用、やってみましょう」
「はい。上手くいくかは、まだ分かりませんが」
「分からないから、試す価値があるんだと思います」
リーシャは、夜空を見上げてから、もう一度紙の束に目を落とした。
「三日で、足りるでしょうか」
「足りるかどうかより、足りるように動くしかないです」
その言葉に、リーシャはわずかに表情を緩めた。
夜風が、二人の間を静かに通り抜けていった。
【ひとくち労務コラム】
夜警と夜警の間にどれだけ休息を空けるか、という今回の悩みは、現実の「勤務間インターバル制度」に近い発想です。労働時間等設定改善法では、終業から次の始業までに一定の休息時間を確保することが事業主の努力義務とされています。ただし全業種に義務化されているわけではなく、努力義務である以上、人手が足りない現場では実現が難しいのも事実です。
決まりだけでは現場は動きません。次話、ハルトたちは人数ではなく手順そのものを削るという小さな一手を試します。




