番外編 独占欲
席の主が教師に呼ばれている間、中畑はその席に座っていた。もちろんそこは他人の席で、今までは大して親しくもなかった相手のである。
イライラと貧乏ゆすりをしてしまうのを止められず、売店で買ってきた弁当を睨んでいる。
彼の異変にクラスメイトたちも気づいていた。
なぜ、あの中畑が、秋嶋の机を占領しているのか。ムードメーカーの中畑に対して、根暗の秋嶋。対極にいるような二人に、接点など見つけられない。
昨日なにがあったのか知る由もないクラスメイトは、本人にも聞けず噂話に興じるしかない。
「おい、中畑。お前の席はあそこだぞ」
そんな中、声をかけたのは周りの空気が読めない鈍感と評される倉井だった。体育会系の彼は、短く刈り上げた黒髪に浅黒い肌をしている。中畑とも仲がよく、暇があれば遊んでいた間柄だ。
「俺はここでいいの。充を待ってんだから」
珍しく金髪を一つに束ね、前髪をいじっていた中畑が口を開く。
クラスは一瞬にしてざわついた。中畑が秋嶋のことを下の名前で呼んだからだ。
「いつ幽霊くんと仲良くなったんだよ」
「おい倉井。俺の大事な人を幽霊呼ばわりとは良い度胸だな」
鋭い眼光で貫かれた倉井は、さすがに空気を読めたのか謝りながら引き下がった。幽霊とは秋嶋のあだ名のようなもので、すでにクラス中に広まっている。けれど、中畑が幽霊と呼んでいるところを、一度も聞いたことはなかった。遠巻きに見ているクラスメイトとしては、もっと食い下がって聞いてもらいたかったようで、戻ってきた倉井をなじっていた。
大事な人とはどういうことだろうと、クラス全員の頭の上にクエスチョンマークが見える。解釈は人それぞれで、一部の女子は騒がしくなっていた。
いろいろな想像がされている教室に、噂の中心にもなっている秋嶋が入ってきた。彼独特の歩き方でいつもうつむき加減だ。長い前髪のせいで表情もよく見えない。いつか何かにぶつかりそうで、クラスメイトが心配していることを本人は知らないだろう。
そんな秋嶋が、自分の席に座っている中畑に目を留めた。
さっきまでの不機嫌オーラが嘘のように消え、嬉しさを隠し切れないようにニコニコと笑っている。
「中畑、なんで」
「真澄」
机の隣に立った秋嶋の言葉をさえぎり、中畑が自分の下の名前を言う。
「いや、だから」
「ま、す、み」
「でも」
「呼ぶまで答えねぇからな。ほら、読んでみ。ん?」
秋嶋は周囲を気にしながら、ためらいがちに呟いた。
「……真澄。これでいいんだろ」
彼の耳は可哀想なくらい真っ赤で、クラスメイトは中畑の強引さに閉口する。
これではバカップルではないか。クラス全員がツッコミをいれたとき、中畑がクラス中を見回し、ゆうるりと顎を軽く上げて、高慢にも思える笑みを口元に刷いた。クラスの考えを肯定するように、瞬きをしながら。
その様子を見ていたクラスメイトは、一瞬にしてかたまる。
なにか、とてつもない独占欲を見せ付けられた気がして、ゾクリと背中が凍りつき二人から視線を外す。
自分たちは二人の間に割り入ることは、絶対にできないことを思い知らされた。
そして下手に秋嶋に話しかけることもできない、ということを一瞬のうちに理解してしまう。
中畑にこんな激情を呼び起こした秋嶋って、本当は何者なのだろう。男だからだとか、性格が暗いからだからとか、そういった偏見抜きに秋嶋に興味を持ち始めていた。
ぎこちなくクラスメイトたちが動き出す。あるものは自分の席に座って耳をそばだて、あるものは話しかける機会をうかがっている。
無言の攻防のうちに、二人に話しかけることができたのは、誰一人としていなかった。
チャイムが鳴ると、中畑は勝ち誇ったようにみんなに笑いかけた。 穏やかに笑っているように見えても、目だけは冷ややかだ。
こいつは俺の。邪魔すんなよ。邪魔したら……。
遠回しにそんなメッセージを感じ取り、先を考えるのを恐れた。
さっきのはマジだった。
クラスメイトたちは目と目で合図を送り、確認しあう。そして、新たな密約を交わすのだ。
秋嶋には、手を出さない。