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桃華伝 ~新伝・桃太郎~(全24話)  作者: 鳳 翔平
第三章 犬・忠義の章
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第九話 大江山へ

第三章 犬・忠義の章


第九話 大江山へ


桃華と金時は、並んで山道を進んでいた。


金時の歩幅は大きい。


本人は桃華に合わせているつもりらしいが、一歩ごとにぐんぐん先へ進んでしまう。


「金時さん、少し待ってください」


「む?」


振り返った金時は、桃華との間がすっかり開いていることに気づき、豪快に笑った。


「すまん、すまん。急ぐ癖が抜けんでな」


「仲間の方々に追いつきたいのは分かりますけど」


「なにせ、頼光様を待たせておるからのう」


「頼光様?」


「わしの主よ。源頼光様と申す」


その名を口にしたとき、金時の表情がわずかに引き締まった。


先ほどまで、きびだんごを頬張って喜んでいた男と同じ人物とは思えない。


そこには、主君への深い敬意があった。


「立派な方なのですね」


「うむ」


金時は一度、大きく頷いた。


「武勇に優れ、知略にも富み、それでいて弱き者を見捨てぬ御方じゃ。わしが命を預けるに足る、ただ一人の主よ」


その言葉を聞き、桃華は旅立ちの日に受けた神託を思い出した。


――犬、すなわち忠義。


金時が犬の姿をしていないことなど、もはや問題ではなかった。


この男の中には、確かに揺るがぬ忠義がある。


「どうした?」


「いえ。あなたに出会えた理由が、少し分かった気がします」


「妙な娘じゃのう」


金時は笑い、再び前を向いた。


しばらく進むと、山道の先に小さな集落が見えてきた。


だが、そこには人の営みを感じさせる声がない。


畑には鍬が放り出され、家々の戸は固く閉ざされている。


道端にいた老人が、二人の姿を見るなり慌てて家の中へ逃げ込んだ。


「様子がおかしいですね」


「鬼の噂が広まっておるのじゃろう」


金時は眉をひそめた。


二人が集落の中を進んでいると、一軒の家からすすり泣く声が聞こえてきた。


戸口の前には、千切れた赤い組紐が落ちている。


桃華がそれを拾い上げると、戸がわずかに開いた。


中から顔を出したのは、疲れ切った表情の女だった。


「その紐は……こちらの物ですか?」


女は震える手で組紐を受け取る。


「娘の物です」


「娘さんは?」


「昨夜、さらわれました」


声を絞り出すと、女はその場に崩れ落ちた。


「物音がしたと思ったら、屋根の上に大きな影が……。追いかけたけれど、わたしには何もできなくて」


桃華は女の傍らへ膝をつく。


「どちらへ向かったか、分かりますか?」


女は山の向こうを指した。


「大江山です」


「やはりか」


金時の声が低くなる。


「その鬼は、若い娘ばかりをさらっていくと聞いておる。名は酒呑童子」


「酒呑童子……」


桃華は、その名をゆっくりと繰り返した。


朱天ではない。


少なくとも、金時の追う「しゅてん」は、そのような字を書くらしい。


だが、同じ呼び名を持つ以上、無関係とは言い切れない。


「わたしも行きます」


桃華の言葉に、女が顔を上げる。


「娘さんを、必ず連れ戻します」


「しかし……」


女は桃華の細い身体を見つめた。


「あなたまで、さらわれてしまったら……」


「大丈夫です」


桃華は腰の聖剣へ手を添える。


「私は、鬼から逃げるために旅をしているのではありません」


金時は何も言わず、桃華の横顔を見ていた。


やがて、満足そうに笑う。


「よし。急ぐぞ」


二人は集落を後にした。


     ◇


日が傾き始めた頃。


山中の古びた社の前で、三人の武者が待っていた。


一人は大柄な身体に豪壮な髭を蓄えた男。


一人は鋭い眼光を持つ痩身の武者。


もう一人は、弓を携えた物静かな男。


「遅いぞ、金時」


髭の男が呆れたように腕を組む。


「済まぬ、綱。頼まれていた用は果たしたぞ」


「それはよいが、その娘は誰だ」


渡辺綱と呼ばれた男の視線が、桃華へ向けられる。


「道中で拾った」


「拾われてはいません」


桃華が即座に訂正すると、金時は声を上げて笑った。


「冗談じゃ。こちらは桃華殿。わしらと同じく、しゅてんを追っておる」


「同じく?」


痩身の武者が目を細める。


「酒呑童子を?」


「それは、まだ分かりません」


桃華は正直に答えた。


「私が追っているのは、朱天という神です」


三人の武者の間に、わずかな沈黙が流れた。


「神、だと?」


弓を持つ男が静かに問い返す。


「はい。暁を司る化身でした」


「ずいぶんと途方もない話を持ち込んだものだ」


渡辺綱は警戒を隠そうともしなかった。


「そのような娘を、なぜ連れてきた」


「この娘は強い」


金時は迷いなく答える。


「それに、攫われた者を救いたいという気持ちは、わしらと同じじゃ」


「強いかどうかは、お前の勘か」


「うむ」


「相変わらず当てにならん」


「だが外したこともなかろう」


金時は胸を張った。


綱は深いため息をついたが、それ以上は言わなかった。


そのとき、社の奥から足音が聞こえた。


現れたのは、白い狩衣をまとった男だった。


年の頃は四十ほど。


穏やかな顔立ちをしているが、その眼差しには人を従わせる静かな力があった。


三人の武者と金時が、一斉に姿勢を正す。


「頼光様」


源頼光。


金時が命を預けると語った主君。


頼光は金時へ頷いた後、桃華を見た。


「事情は聞こえていた」


その視線が、桃華の腰にある聖剣へ移る。


「不思議な気を宿した剣だ」


桃華は思わず柄へ手を添えた。


「これは、大切な友が打った聖剣です」


「そうか」


頼光はそれ以上を尋ねなかった。


「我らの目的は、酒呑童子にさらわれた者たちを救うこと。そして今後、都や里を襲わせぬことだ」


「私も同じです」


「ならば、力を借りよう」


あまりにあっさりと受け入れられ、桃華は目を瞬いた。


頼光はわずかに笑う。


「金時が人を見る目だけは、信じている」


「だけは、とは何ですかな」


「食い物を見る目まで信用してはおらぬ」


「これは手厳しい」


金時は頭を掻く。


桃華の口元にも、自然と笑みが浮かんだ。


「我らはこれより山伏に姿を変え、大江山へ入る」


頼光は社の中に用意された装束を示した。


「正面から攻めれば、さらわれた娘たちが危険にさらされる。まずは鬼の懐へ潜り込み、人質の所在を確かめる」


「山伏に扮して、鬼を欺くのですか?」


「正面から斬り込むだけが戦ではない」


頼光の言葉に、桃華は小さく頷いた。


力だけでは救えない者がいる。


それは、天界での戦いを通して桃華自身も知ったことだった。


「出立は夜明け前だ。それまで身体を休めよ」


一同が社の中へ入ろうとしたとき、金時が桃華へ顔を寄せた。


「ところで、桃華殿」


「何ですか?」


「きびだんごは、まだ残っておるか?」


「ありますけど……皆さんの分まで足りますかね」


「ならば、わしはもう一本だけでよい」


「先ほども一本食べたでしょう」


「腹が減っては戦はできぬからのう」


その声を聞いた綱が振り返る。


「お前は先ほど兵糧丸を食っていただろう」


「あれは腹を満たす物であって、心を満たす物ではない」


あまりに堂々とした言い分に、誰からともなく笑いがこぼれた。


だが、笑いの向こう。


夕闇に沈みゆく山の奥には、黒々とした大江山がそびえていた。


そこに棲む鬼が、桃華の探す朱天なのか。


それとも、同じ名を持つだけの別人なのか。


答えは、あの山の中にある。


桃華は遠くの峰を見つめ、聖剣の柄を静かに握った。

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