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桃華伝 ~新伝・桃太郎~(全24話)  作者: 鳳 翔平
第三章 犬・忠義の章
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第十話 鬼の宴

第三章 犬・忠義の章


第十話 鬼の宴


夜明け前。


大江山の麓に建つ古びた社には、六人の山伏が集っていた。


源頼光。


渡辺綱。


卜部季武。


碓井貞光。


坂田金時。


そして桃華。


墨染めの衣に身を包み、頭には頭巾を巻いている。武具はすべて笈や衣の下へ隠され、一見しただけでは都から修行に来た一行にしか見えない。


桃華も聖剣《桃光》を布で包み、杖のように背負っていた。


「よく似合っておるぞ、桃華殿」


同じく山伏姿となった金時が、感心したように頷く。


「ありがとうございます。でも、金時さんは少し目立ちますね」


「何故じゃ」


「その大きさで普通の修験者を装うのは、無理があるかと」


金時は自分の身体を見下ろした。


頭巾を被っていても、広い肩と太い腕までは隠せない。


「山には大きな坊主もおろう」


「限度があります」


渡辺綱が呆れた声を挟んだ。


「せめて道中では、斧を振り回すなよ」


「分かっておる」


「お前の『分かった』ほど信用ならん言葉もない」


緊張を解すような二人のやり取りを聞きながら、桃華は社の外へ目を向けた。


朝靄の向こうに、大江山がそびえている。


山頂付近には黒い雲が渦を巻き、朝日さえ近づくことを拒んでいるようだった。


あの山のどこかに、さらわれた娘たちがいる。


そして、酒呑童子がいる。


桃華の追う朱天と同じ者なのか。


それとも、ただ名が似ているだけなのか。


「桃華殿」


頼光の声に、桃華は振り返った。


「緊張しているか」


「少しだけ」


「恐れることは恥ではない。恐れを知らぬ者は、守るべきものまで見失う」


頼光は穏やかにそう言うと、一行を見回した。


「もう一度、策を確認する」


全員の表情が引き締まる。


「我らは山伏を装い、酒呑童子の住処へ入る。目的は二つ。さらわれた者たちの所在を確かめること。そして、鬼どもにこの酒を飲ませることだ」


頼光の傍らには、封を施された酒壺が置かれていた。


昨夜、三柱の神が姿を現し、頼光たちへ授けたものだ。


住吉明神。


八幡神。


熊野権現。


人を飲ませれば力を与え、鬼が口にすればその身を痺れさせる霊酒――神便鬼毒酒。


桃華は、その壺から漂う清らかな気を感じ取っていた。


「地上には、これほど多くの神々が残っているのですね」


「人の信仰がある限り、神は完全には消えぬ」


頼光が答える。


「姿を現さずとも、どこかで人の営みを見守っておられる」


桃華は天界を思った。


古き時代に天を離れ、人とともに暮らすことを選んだ神々。


キクニが探せと言った者たちも、その中にいるのだろう。


「戦いは、娘たちの安全を確かめてからだ」


頼光は続けた。


「鬼が酒を飲み、力を失うまで剣を抜くな。どれほど挑発されようともだ」


「承知しました」


桃華は頷く。


戦いに勝つことより、人を救うこと。


それが頼光の選んだ策だった。


     ◇


一行は険しい山道を登っていった。


谷底には白い霧が満ち、木々の間からは獣とも人ともつかぬ声が聞こえる。


道の脇には、折れた矢。


割れた籠。


そして時折、女物の簪や衣の切れ端が落ちていた。


桃華は赤い布片を拾い上げる。


まだ新しい。


「連れ去られた娘の物でしょうか」


「おそらくな」


季武が周囲を見回す。


「だが妙だ。この辺りには、鬼の足跡が多すぎる」


土の上には、大小さまざまな足跡が残されていた。


人里を襲うにしても、これほど多くの鬼が山を出入りしているのは異常だという。


「近頃、地上の鬼どもの動きが活発になっておる」


頼光が低く言った。


「かつては人目を避けて暮らしていた者まで、里へ下りるようになった」


桃華は大地へ手を触れた。


微かな瘴気。


鬼神族が纏う黄泉の気と同じものが、地の底から滲み出している。


「要石が壊れた影響です」


一同が桃華を見る。


「黄泉との境が弱まり、地上へ瘴気が流れ出している。その力に引かれ、もともと地上にいた鬼たちまで力を増しているのでしょう」


「では、酒呑童子が近頃になって娘をさらい始めたのも」


「無関係ではないと思います」


金時が大斧を隠した笈を背負い直す。


「ならば、なおさら放ってはおけぬな」


「ええ」


桃華は遠くの山頂を見上げた。


朱天が要石を砕いた影響は、天界だけでは終わっていない。


地上でも、すでに多くの者が苦しんでいる。


その事実が、桃華の胸を重くした。


     ◇


日が高くなった頃。


一行の前に、巨大な岩壁が現れた。


岩肌には鬼の顔を模した門があり、その両脇には鉄棒を持つ二体の鬼が立っている。


「止まれ」


鬼の一体が唸った。


「人間どもが、ここへ何の用だ」


頼光は一歩前へ出ると、合掌した。


「我らは都より参った山伏。諸国を巡り、修行を重ねております」


「修行だと?」


「険しき大江山にて一夜の宿を賜りたく、参上いたしました」


二体の鬼は顔を見合わせる。


やがて、下卑た笑い声を上げた。


「人間が自ら食われに来たか」


「ちょうどよい。今宵は宴だ」


門が開く。


その奥には、岩をくり抜いて造られた巨大な館が広がっていた。


篝火が燃え、無数の鬼が行き交っている。


人の骨を飾った柱。


血のように赤い敷物。


奥からは、笑い声と酒の匂いが流れてくる。


桃華は怒りを押し殺しながら歩いた。


館の一角。


格子の向こうに、数人の娘たちが閉じ込められている。


皆、顔色を失い、身を寄せ合って震えていた。


桃華と目が合った一人が、助けを求めるように口を開く。


だが声は出さない。


桃華もまた、僅かに頷くだけに留めた。


――必ず助けます。


声に出さず、そう誓う。


     ◇


館の最奥には、大広間があった。


数十もの鬼が酒を酌み交わし、人間の肉を肴に騒いでいる。


その最上段。


巨大な虎皮の上に、一人の鬼が座っていた。


赤い髪。


額から伸びる二本の角。


人の数倍はあろうかという巨体。


その身体から放たれる瘴気は、他の鬼とは比べものにならない。


「ほう」


鬼が酒盃を置いた。


「珍しい客だ」


頼光たちは一斉に頭を下げる。


「都より修行に参りました山伏にございます」


「都か」


鬼は舌なめずりをする。


「都の女は美しい。肉も柔らかく、血も甘い」


桃華の拳が僅かに震える。


頼光の視線が、それを制した。


「我こそは、大江山を統べる酒呑童子」


鬼は両腕を広げる。


「せっかく来たのだ。今宵は我らの宴に加われ」


「ありがたき幸せ」


頼光は頭を下げたまま答えた。


その傍らには、四体の鬼が控えている。


星熊童子。


熊童子。


虎熊童子。


金熊童子。


酒呑童子に仕える、四人の悪鬼。


その中でも星熊童子は、桃華たちを鋭い目で観察していた。


「頭領」


「何だ、星熊」


「その娘から、妙な香りがいたします」


桃華の背筋に緊張が走る。


星熊童子が鼻を鳴らした。


「桃の花のような……」


酒呑童子の目が細くなる。


「桃だと?」


桃華は静かに答えた。


「山を巡るうち、桃の林を通りました。その香りが衣に残っているのでしょう」


沈黙。


やがて酒呑童子は、大声で笑った。


「桃か!」


「我ら鬼が最も忌むものを身にまとい、鬼の山へ来るとは面白い娘よ」


「お許しください」


「よい。今宵は客だ」


酒呑童子は盃を掲げた。


「酒を持て!」


鬼たちが次々と徳利を運んでくる。


盃に注がれたのは、血のように濁った赤い酒だった。


金時が僅かに顔をしかめる。


頼光は平然と盃を口へ運んだ。


飲んだふりをしながら、袖の中へ流している。


桃華も同じように酒をかわした。


「都の山伏どの」


酒呑童子が頼光へ呼びかける。


「お前たちも、珍しい酒を持っておるのではないか?」


「ございます」


頼光は待っていたとばかりに、神便鬼毒酒の壺を差し出した。


「山中で神々より賜りました霊酒にございます」


「神の酒か」


酒呑童子の目が輝く。


「面白い。注げ」


頼光は自ら立ち上がり、酒呑童子の盃へ酒を満たした。


続いて四鬼へ。


他の鬼たちにも次々と振る舞っていく。


酒呑童子は香りを嗅ぎ、一息に飲み干した。


「うまい!」


広間に歓声が上がる。


「もっと持て!」


鬼たちは競うように酒を飲み始めた。


一杯。


二杯。


三杯。


やがて鬼たちの顔が赤く染まり、次々と床へ倒れていく。


四鬼も膝をつき、苦しげに息を吐いた。


「これは……何だ……」


星熊童子が呻く。


頼光の手が、衣の中に隠した刀へ伸びる。


桃華も聖剣の柄を握った。


酒呑童子は俯いたまま動かない。


霊酒が効いた。


誰もがそう思った、その時だった。


「クク……」


低い笑い声が響いた。


酒呑童子の肩が震えている。


「人間どもよ」


ゆっくりと顔を上げる。


赤い瞳が、先ほどまで以上に禍々しく輝いていた。


「ずいぶんと面白い酒を飲ませてくれたな」


酒呑童子は立ち上がった。


足元は僅かにふらついている。


だが、全身から噴き上がる瘴気は衰えるどころか、さらに膨れ上がっていた。


「近頃はな」


酒呑童子が笑う。


「地の底より、力が湧いてくるのだ」


館全体が震える。


「まるで黄泉が、我ら鬼に力を与えているかのようにな!」


頼光が刀を抜く。


四天王も一斉に武器を構えた。


桃華は布を解き、聖剣《桃光》を手に取る。


酒呑童子は巨大な鉄棒を持ち上げた。


「正体を現したな、人間ども」


その一振りが、宴の膳を吹き飛ばす。


「ならば今度は、我らがもてなしてやろう」


酒呑童子の咆哮が、大江山を揺るがした。


鬼の宴は終わった。


そして、鬼退治が始まろうとしていた。

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