第十九話 鳥の隠れ里
第五章 鳥・導きの章
第十九話 鳥の隠れ里
鬼の棍棒が、地面を叩き割った。
砕けた石が雨のように飛び散り、桃華は身を翻してそれをかわす。着地と同時に聖剣を薙ぎ払い、迫ってきた鬼の胸を斬り裂いた。
鬼の身体が黒い煙となって崩れていく。
だが、その向こうから、さらに三体の鬼が姿を現した。
「きりがありません!」
「全くだ!」
金時が大斧を振り回し、二体の鬼をまとめて吹き飛ばす。
大木に叩きつけられた鬼たちは、その幹ごと地面へ倒れ込んだ。しかし、森の奥から聞こえてくる足音は途切れない。
木々の隙間から、赤黒い肌をした鬼たちが次々と姿を現す。
十や二十ではない。
すでに桃華たちは、数え切れぬほどの鬼に取り囲まれていた。
「ずいぶん歓迎されてるね!」
蜜秋が棍を振るい、鬼の顎を下から打ち上げた。
宙へ浮いた鬼の腹へ、続けて棍の先端を叩き込む。鬼は後方の群れを巻き込みながら吹き飛んでいった。
それでも、包囲は狭まっていく。
桃華は肩で息をしながら、聖剣を構え直した。
山道を越えた直後だった。
空を覆うように飛んでいた大きな鳥を追い、森へ入った途端、鬼の群れに襲われた。
ここまで統率された襲撃は、偶然とは思えない。
「こいつら、儂らがここへ来るのを待ち伏せしておったのか?」
「そうかもしれないね」
蜜秋は周囲を見回した。
「でも、変だな。これだけの数の鬼がいたなら、もっと早く気配に気づいてもよさそうなのに」
「何者かが気配を隠していたということですか」
「たぶんね」
桃華たちを囲む鬼の中から、ひときわ大きな一体が前へ出た。
頭には二本の角。
腕には、人の背丈ほどもある鉄の棍棒を携えている。
「桃の剣を持つ者を、逃がすな!」
その号令とともに、鬼たちが一斉に押し寄せた。
「来ます!」
桃華が聖剣を振るう。
剣に宿る破邪の光が弧を描き、先頭の鬼たちを切り払った。
金時が地面を踏みしめ、大斧を横薙ぎに振るう。
蜜秋は二人の頭上を跳び越え、背後へ回り込もうとした鬼たちを如意棒で薙ぎ倒す。
しかし、倒しても倒しても、その後ろから新たな鬼が現れる。
桃華の頬を汗が伝った。
聖剣の力があっても、これほどの数を相手に戦い続けることはできない。
やがて疲れ、動きが鈍れば終わりだ。
その時だった。
「こっちじゃ!」
どこからか、声が聞こえた。
桃華は剣を振るいながら周囲を見回す。
「今の声は?」
「こっちじゃ! 早うせい!」
声は森の奥から聞こえてくる。
見ると、一本の巨木の根元に、大きな洞が開いていた。
その暗闇の中から、人の手が伸びている。
「木の中から手が出ていますよ!」
「鬼が出るか蛇が出るか」
金時は迫ってきた鬼を斧の柄で殴り飛ばした。
「鬼より蛇の方がましじゃ!」
「行こう!」
蜜秋が桃華の腕を引く。
三人は鬼たちを押し退けながら、巨木の洞へ向かって走った。
「逃がすな!」
鬼たちが後を追う。
桃華は洞へ飛び込む寸前で振り返り、聖剣を大きく振り抜いた。
白い光が森を走る。
鬼たちが怯んだ一瞬の隙に、桃華も洞の中へ身を滑り込ませた。
「そのまま奥へ進め!」
先ほどの声が響く。
木の洞は、一人がようやく通れるほどの狭さだった。
三人は身を屈めながら、暗い穴の中を進んでいく。
背後から鬼の足音が近づいてきた。
「見つけたぞ!」
鬼の手が洞の中へ伸びる。
桃華が剣を構えた、その瞬間。
洞の入り口に淡い光が走った。
鬼の手が光に触れる。
「ぐあっ!」
激しい火花が散り、鬼の身体が洞の外へ弾き飛ばされた。
光は薄い膜となって入り口を覆い、鬼たちの侵入を阻んでいる。
「結界……?」
「そうじゃ。鬼どもには越えられん」
前方に、小柄な人影が立っていた。
茶色の衣をまとった老人である。
しかし、普通の人間ではない。
背中から、小さな翼が生えていた。
「話は後じゃ。まずは里へ参れ」
老人はそう告げると、暗い洞の奥へ歩いていった。
三人は顔を見合わせ、その後を追う。
しばらく進むと、前方に光が見えてきた。
桃華が洞を抜けた瞬間、目の前に広がった光景に息を呑んだ。
深い森に囲まれた谷間。
そこに、数多くの家々が建ち並んでいる。
木の上に建てられた家。
岩壁から張り出すように造られた住まい。
太い枝と枝の間には吊り橋が渡され、色鮮やかな羽を持つ者たちが行き交っていた。
空を飛ぶ者もいれば、人の姿で荷物を運ぶ者もいる。
谷の中央には澄んだ川が流れ、その上を何羽もの鳥が舞っていた。
「鳥の化身……」
桃華が呟く。
老人は頷いた。
「ここは雉ヶ谷の鬼無の里。
古くより、鳥の化身たちが暮らす隠れ里じゃ」
蜜秋が振り返る。
先ほどまで通ってきたはずの巨木の洞は、すでに消えていた。
背後には、苔むした岩壁があるだけだった。
「外からは見つからないようになってるんだね」
「長きにわたり張られてきた隠匿の結界じゃ。あの程度の鬼どもに破れるものではない」
里の者たちが桃華たちに気づき、集まってくる。
警戒する者。
珍しそうに覗き込む子供。
そして桃華の手にある聖剣を見て、表情を変える者もいた。
「桃の剣……」
「では、あの方が……」
小声が辺りに広がっていく。
桃華は戸惑いながら老人へ尋ねた。
「あの、助けていただき、ありがとうございました。私は桃華と申します」
「存じておるよ」
「私をご存じなのですか?」
「おおかたの事情は把握しておる」
老人は歩みを止め、桃華たちを振り返った。
「儂は鸞駕。この里の長を務めておる」
「鸞駕様」
「鳥は空を渡り、山を越え、海を越える。地上で起きたことは、風とともにこの里へ届くのじゃ」
鸞駕は険しい表情で、結界の向こうにいる鬼たちの方角を見た。
「もっとも、近頃は鬼どもの動きが激しくなっておる。空を行く鳥が襲われることも増えた」
「先ほどの鬼たちも、この里を狙っていたのですか?」
「里の存在そのものには気づいておらぬ。じゃが、この山に鳥の化身が潜んでいることまでは察しておるようじゃ」
蜜秋が腕を組む。
「私たちを襲ったのは、里へ近づけさせないためか。それとも、私たちを追えば里が見つかると考えたのか」
「いずれにせよ、偶然ではあるまい」
鸞駕は桃華の聖剣へ視線を落とした。
「桃の剣を持つ者が、この地へ近づいていると知られておったのじゃろう」
「朱天の手の者が、私たちの行く先を先回りしている……」
桃華は剣の柄を握りしめた。
「鸞駕様。私たちは朱天を追っています。」
「うむ。」
「しかし、朱天がどこへ向かったのか分かりません。」
「その話も含め、砦で聞こう。」
「砦?」
鸞駕が谷の奥を指さした。
木々の隙間から、切り立った岩山が見える。
その頂には、石と木で造られた砦がそびえていた。
「あそこに、この里を守る者たちが集まっておる」
鸞駕に案内され、三人は里を進んだ。
道の両側では、鳥の化身たちが矢を作り、食糧を運び、傷ついた仲間の手当てをしている。
里は穏やかに見えて、その実、戦いに備えていた。
「空を飛べるのに、どうして鬼に襲われるんだい?」
蜜秋が尋ねる。
「飛べるからこそ狙われるのじゃ」
鸞駕は答えた。
「鳥は報せを運ぶ。遠く離れた者同士をつなぎ、道に迷う者を導く。朱天にとっては、目障りな存在であろう」
「だから、鳥たちを封じようとしている……」
「うむ。空を奪えば、地上の者たちは互いに何が起きているのか分からなくなる」
桃華は空を見上げた。
里の上空では、何羽もの鳥がそれぞれ異なる方角へ飛び立っていく。
彼らは戦うためではなく、伝えるために空を飛んでいる。
それもまた、この争いを支える大切な力なのだろう。
やがて一行は砦へ到着した。
門の前には、白い羽を持つ若者が立っていた。
長い髪を後ろで束ね、腰には細身の剣を差している。白い装束の袖や裾には、朱色の模様が施されていた。
「鸞駕様」
若者は一礼すると、桃華たちへ目を向けた。
「お待ちしておりました」
「待っていた?」
「私は朱鷺。この砦を預かる者です」
朱鷺は穏やかに微笑み、門を開いた。
「中へどうぞ。すでにお客様がお待ちです。」
「客?」
桃華は首を傾げた。
鸞駕も朱鷺も、それ以上は答えない。
三人は案内されるまま砦の中へ足を踏み入れた。
石造りの廊下を進む。
壁際には白や黒、朱色の翼を持つ戦士たちが静かに整列していた。
その手には槍。
長弓。
薙刀。
いずれも年季の入った武具でありながら、隅々まで手入れが行き届いている。
桃華たちが通ると、戦士たちは一斉に道を開き、静かに頭を垂れた。
その光景に蜜秋が小さく口笛を吹く。
「すごいね……。鳥の里っていうから、もっと穏やかな場所かと思ってた。」
朱鷺は歩みを止めることなく答えた。
「ここは鬼無の里。
結界に守られた隠れ里であると同時に、鬼討伐の砦でもあります。」
朱鷺は壁に掛けられた古い槍へ目を向けた。
「古来より鬼討伐は、我ら鳥の一族に課せられた使命。
空を翔け、鬼の動きを探り、仲間を導く。
それが我ら鳥の化身に与えられた役目です。」
桃華は静かに頷いた。
里へ入った時から感じていた規律の正しさ。
それは平和な村ではなく、長きにわたり鬼と戦い続けてきた戦士たちの里だからこそ生まれたものだった。
やがて朱鷺は一枚の扉の前で足を止めた。
「こちらです。」
静かに戸が開かれる。
部屋の中央では、一人の男が囲炉裏の前で茶をすすっていた。
乱れた黒髪。
肩にかけた粗末な衣。
屈強な身体を持ちながら、男は戦場とは縁遠い様子で、湯気の立つ茶をすすっている。
桃華は、その姿を見た瞬間に目を見開いた。
男は湯呑を片手に、桃華たちへ顔を向ける。
「よう」
嵐を思わせる荒々しい笑みを浮かべ、男は言った。
「ずいぶん遅かったじゃねぇか、桃の娘」
そこにいたのは、天照の弟神。
素戔嗚だった。




