第十八話 雨宿り
間話
第十八話 雨宿り
街道を歩く三人の頭上に、にわかに黒雲が広がった。
ゴロゴロ……。
遠くで雷鳴が轟く。
「降るぞ!」
金時が叫んだ次の瞬間、大粒の雨が一斉に降り始めた。
「うわっ!」
三人は慌てて街道脇に建つ一軒のあばら家へ駆け込む。
壁は崩れ、戸も失われて久しい。
それでも屋根だけは辛うじて残っていた。
蜜秋が辺りを見回す。
「人の気配はないね。勝手に休ませてもらうよ。」
天井にはいくつもの穴が開き、そこから細い光が差し込んでいる。
ぽたり、ぽたり。
雨漏りが床を濡らしていた。
金時は苦笑する。
「まあ、外よりはましじゃろう。」
土間のかまどには、蜘蛛の巣に覆われた薪が何本も積まれていた。
金時はその中から乾いていそうな薪を数本選び、部屋の中央に切られた囲炉裏へ運ぶ。
蜘蛛の巣を払い落とし、火打石を打つ。
何度目かの火花で枯れ草に火が移り、小さな炎がゆっくりと薪を舐め始めた。
「これで少しは暖まれるのう。」
三人は囲炉裏を囲むように腰を下ろした。
囲炉裏の火が安定すると、金時は隅に転がっていた古びた鉄瓶を手に取った。
中をすすぎ、雨水を汲んで囲炉裏へ掛ける。
やがて湯気が立ち始め、湯の沸く音が静かな廃屋に響いた。
「ふぅ……生き返るのう。」
三人は湯飲みに茶を注ぎ、ようやく一息つく。
雨は相変わらず屋根を激しく叩いていた。
しばらく黙って茶をすすっていると、蜜秋が腹を押さえた。
「……小腹が空いたな。」
桃華も苦笑する。
「ちょうど私も同じことを考えていました。」
懐から布包みを取り出し、中を覗き込む。
「きび団子は、あと三つですね。」
「一人一つじゃな。」
金時が笑う。
三人が団子を頬張ろうとした時、蜜秋が思い出したように荷物を探り始めた。
「あ、そうだ。」
取り出したのは、縄で束ねられた干し柿だった。
「山を下りる前にもらったやつ。まだ残ってた。」
金時の目が輝く。
「おお、それはありがたい。」
蜜秋は一本を桃華へ、一本を金時へ渡し、自分も一本手に取る。
「きび団子のお返しってことで。」
桃華は小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。」
囲炉裏を囲み、温かい茶をすすりながら、きび団子と干し柿を分け合う。
豪華な食事ではない。
それでも、不思議と三人の表情は穏やかだった。
蜜秋は干し柿を一口かじり、囲炉裏の火を眺めながらぽつりと呟いた。
「そういえばさ。
桃華って、天界ではどんな暮らしをしてたの?」
桃華は少し首を傾げる。
「暮らし……ですか?」
「ええ。」
「朝は太陽神殿の掃除から始まり、化身の皆様のお手伝いをして、時折修練。
特別なことは何も。」
蜜秋は思わず笑う。
「いやいや、それ十分特別だから。
神様ばかりに囲まれて育った人なんて、そうそういないよ。」
金時も笑って頷く。
「確かにのう。
わしなど山で熊と相撲を取って育ったからな。」
「……熊とですか?」
桃華が目を丸くする。
「うむ。たまに負けた。」
「負けるんだ。」
蜜秋が吹き出した。
三人の笑い声が、静かな廃屋に響く。
笑いが落ち着くと、蜜秋は再び茶を口にした。
外では、激しい雨が屋根を叩き続けている。
しばらくは誰も口を開かなかった。
火のはぜる音と雨音だけが、静かな廃屋に響いていた。
やがて蜜秋が、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば、前から聞こうと思ってたんだけど。」
桃華が顔を上げる。
「何でしょう?」
「桃華の話に出てきたコアって神様に、僕は心当たりがないんだ。
新しい神様のことなら斉天大聖様も知らないかもだけど、そんな感じじゃなさそうだしね。」
桃華は少し考え、小さく頷いた。
「それは真名ではありません。
神々の真名を軽々しく口にするのは恐れ多いとされ、いつの頃からか『コア様』とお呼びするようになったそうです。
本当のお名前は、確か──天照様。」
「なるほど。」
蜜秋は納得したように笑う。
「僕たち猿が、斉天大聖様のことを『孫悟空様』って呼ばないのと同じ理屈か。
真名を知らないわけじゃない。ただ、それ以上に敬意を込めた呼び方がある。」
「そんなところですね。」
桃華も微笑んだ。
金時は囲炉裏の火を見つめながら笑う。
「名とは不思議なものじゃ。
親しいからこそ本名で呼ぶこともあれば、敬うからこそ呼ばぬこともある。」
雨はまだ止まない。
だが囲炉裏の火は少しずつ勢いを増し、冷えた身体を温めてくれていた。
しばらく沈黙が流れる。
囲炉裏の火がぱちりと薪を弾いた。
蜜秋はふと笑う。
「旅って不思議だね。
昨日まで知らなかった相手と、今日は同じ団子を分け合ってる。」
金時は腕を組み、大きく頷いた。
「戦場で背中を預けた相手は、もう家族も同然じゃ。」
桃華はきび団子の包みを丁寧に畳みながら、小さく微笑む。
「……はい。
お二人と旅ができて、私は幸せです。」
蜜秋は照れくさそうに鼻を掻く。
「そういう真っすぐなこと、さらっと言うよね。
嫌いじゃないけど。」
三人は顔を見合わせ、自然と笑みを浮かべた。
その時だった。
ぽつ……
ぽつ……
屋根を叩く雨音が、少しずつ遠のいていく。
金時が立ち上がり、戸口の外を見やる。
「……どうやら、止んだようじゃ。」
三人があばら家を出る。
雨上がりの空気は澄み渡り、木々の葉から雫がきらきらと零れ落ちている。
厚い雲の切れ間から、一筋の陽光が山道を照らしていた。
その時だった。
――バサッ。
大きく翼を打つ音が頭上から響く。
三人が空を見上げると、一羽の大きな鳥が山の彼方へ向かって悠然と飛んでいく。
その姿は、あっという間に雲の向こうへ消えていった。
蜜秋は目を細める。
「……大きな鳥だったね。」
金時は頷く。
「この辺りでは珍しくもない。」
桃華は鳥が消えた空をしばらく見つめていた。
「行きましょう。」
まるで山向こうに消えた鳥の姿を追うかのように、三人は再び街道を歩き始めた。




