第十六話 鬼神
第四章 猿・知恵の章
第十六話 鬼神
兄弟の身体から噴き出した鬼気が、境内を覆った。
黒い霧が渦を巻き、兄と弟を包み込む。
「兄者!」
「来い。」
二匹の鬼が互いの腕を掴む。
その瞬間、鬼気が爆ぜた。
轟音とともに地面が揺れる。
桃華は思わず一歩退いた。
「融合……?」
黒煙の中から現れたのは、一体の巨大な鬼だった。
二本の角。
四本の腕。
肩からは筋肉が幾重にも盛り上がり、それぞれの腕には異なる武器が握られている。
右上には大鉈。
左上には金棒。
下の二本の腕は鋭い鉤爪を構えていた。
鬼は四つの拳を握り締め、豪快に笑う。
「これぞ、偉大なる御方より授かりし鬼神の力!」
「我ら兄弟、今こそ真なる独角鬼王!」
金時が舌打ちした。
「面倒な化け方をしおる。」
蜜秋は棍を肩に担ぎ、小さくため息をつく。
「……余計な知恵までつけやがって。」
鬼神が地を蹴る。
一歩で十間。
巨大な身体とは思えぬ速度で蜜秋へ迫る。
四本の腕が同時に襲いかかった。
蜜秋は紙一重で身を翻す。
大鉈が地面を裂く。
金棒が石灯籠を粉砕する。
鉤爪が棍を掠めた。
「ほう。」
蜜秋は口元を緩める。
「力だけじゃない、息も合ってる。」
鬼神は四本の腕を自在に操り、間断なく攻め立てる。
一つを防げば、二つ目。
避ければ三つ目。
逃げ道を塞ぐように四撃目が襲う。
桃華が刀へ手を掛けた。
「蜜秋!」
「来るな。」
短い一言だった。
「これは僕の獲物だ。」
鬼神は高らかに笑う。
「ほざけ!」
四本の武器が一斉に振り下ろされる。
轟音。
土煙が舞い上がる。
しかし――
煙の向こうには誰もいない。
「遅い。」
鬼神の頭上から声が降る。
蜜秋だった。
木の枝を蹴り、そのまま鬼神の肩へ着地する。
棍が閃いた。
一本。
二本。
三本。
四本。
四つの手首へ寸分違わず叩き込まれる。
鬼神が顔を歪める。
「ぐっ!」
武器が地に落ちた。
蜜秋はそのまま宙返りし、静かに地面へ降り立つ。
「力が増えても。」
棍を静かに構える。
「身体は一つ。
腕が四本になっただけで、動きは全部読める。」
鬼神が吠えた。
「黙れぇぇぇ!」
鬼気がさらに膨れ上がる。
身体中の筋肉が軋み、四本の腕が一斉に膨張した。
地面がひび割れる。
金時が顔をしかめた。
「まだ強くなるのか。」
鬼神は一直線に突進する。
その瞬間だった。
蜜秋の姿が消える。
次に見えた時には、鬼神の懐だった。
「終わり。」
棍が鬼神の胸を突く。
乾いた音が響く。
一撃。
それだけだった。
鬼神の身体が大きく揺らぐ。
黒い鬼気が音を立てて剥がれ落ちた。
「ば……かな……。」
融合が解ける。
「そんな半端な融合じゃ、術の中点を一突きすればこの通りさ。」
兄と弟の身体が分かれ、それぞれ膝をついた。
兄鬼は苦しげに笑う。
「やはり……貴様は……。」
蜜秋は静かに見下ろした。
「お前らは力の本質をわかっちゃいない。
美猴王様の側にいた頃のお前たちなら、こんな力に頼らなかった。」
兄鬼は最後に笑った。
「あのお方は……。
鬼を……導いて……くださる……。」
弟もまた、兄の肩へ静かに倒れ込んだ。
兄鬼は薄れゆく意識の中で、なお口を開く。
「我らの配下が見当たらないのが……気にならんか……猿よ。」
「気にはなってたよ。用心深いお前らが、配下を周りに置いていないわけがないからね。」
「今頃……我らが配下は……あのお方の御前で……新たな力を得ていることだろう……。」
「そして……確信した……。
新たな力を得た鬼たちの手によって……世界は……手中に収められると……。」
兄鬼は最後の力を振り絞る。
「朱天様……。
我ら鬼に……安寧を……。」
その言葉を最後に、兄弟は静かに息絶えた。
境内に静寂が戻る。
蜜秋はしばらく兄弟を見つめ、小さく息を吐いた。
「……馬鹿だね。」
棍を肩へ担ぐ。
「蜜秋殿、この兄弟の配下はどれほどおるのか。」
金時の問いに、蜜秋はしばらく頭を抱えた。
「五百はいなかったと思うけど……強敵になることは間違いなさそうだね。」
桃華が歩み寄る。
「朱天を止めねばなりません。
お力添えをお願いできないでしょうか。」
蜜秋は夜空を見上げた。
「昔の仲間、止めなきゃならないからね。
向かう所は一緒のようだ。」
差し出された手を、桃華は強く握る。
山の上を、冷たい夜風が吹き抜けていった。




