第8話 聞けば分かると思っていた
翌日の昼休み。
ひかりは透を屋上へ呼び出した。
正確には屋上へ続く階段の踊り場だった。
屋上そのものは施錠されている。生徒があまり来ない場所で、窓から差す昼の光だけがコンクリートの床へ四角く落ちていた。
「何」
透が聞く。
「話したい」
「ここで?」
「教室だと聞かれるでしょ」
「聞かれたくない話?」
「そう」
透の顔が少しだけ変わった。
ひかりはそれを見逃さなかった。
昔なら気にしなかった程度の変化。
眉がわずかに寄る。
視線が一度横へ逃げる。
今は、そういうところまで目につく。
嫌だった。
「奈緒のこと」
ひかりが言う。
透は黙った。
「昨日、調べてるって言ったよね」
「言った」
「何を調べてるの」
「まだ分からない」
「だから、それって答えになってない」
「分からないものを分かるようには言えない」
「そうじゃなくて」
ひかりは言葉を探した。
透はこういう時、言葉の形だけを拾う。
意味の隙間へ入ってこない。
昔からそうだった。
だから今まで、こちらが勝手に補ってきた。
今日はそれをしたくなかった。
「奥村君が死ぬ前に言ってたの」
透の目が動く。
「二年前のことを調べてる人がいるって」
数秒。
透は何も言わない。
その沈黙だけで、ひかりの喉の奥が少し乾いた。
「それ、透なの?」
「違う」
答えは早かった。
ひかりは一瞬、肩から力が抜ける。
でも透は続けた。
「少なくとも、奥村が言ってた時点では」
「どういう意味?」
「俺が調べ始めたのは奥村が死んでからだから」
ひかりは透を見る。
言っていることは筋が通っている。
「じゃあ、何で調べ始めたの」
「奥村が奈緒の話をしてたから」
「それだけ?」
透は答えなかった。
まただ。
ひかりの指先に力が入る。
「それだけじゃないんでしょ」
「まだ言えない」
「どうして」
「確認できてないから」
「確認できてなくても言えばいいじゃん」
「言って違ってたら?」
「何が?」
「だから、それがまだ分かんないんだよ」
透の声も少しだけ強くなった。
階段の下から誰かの笑い声が聞こえ、近づいてきたと思ったら別の廊下へ消えていく。
踊り場には二人だけ残った。
窓から入る空気は暖かいのに、手すりは冷たかった。どこかで消毒用アルコールを使ったのか、薄い薬品の匂いが漂っている。
ひかりは手すりへ触れた。
冷たさが指に残る。
「私には話せないってこと?」
透が顔を上げる。
「そういう意味じゃない」
「じゃあどういう意味」
「巻き込みたくない」
その言葉が、思っていたより深く入った。
ひかりは一度まばたきをする。
「もう巻き込まれてるよ」
透の顔が固まった。
「奥村君と最後に会ってたの私だよ。警察にも話聞かれてる。奈緒から何か聞いてなかったかって奥村君にも聞かれた」
透の目が細くなる。
「何か聞いてた?」
しまったと思った。
でも遅い。
「少しだけ」
「何を」
「匿名のアカウントのことで困ってるって」
「それだけ?」
透の聞き方。
昨日までのひかりなら気にしなかった。
今日は、確かめられている気がした。
「それだけ」
今度は本当だった。
ただ全部ではない。
透は黙る。
ひかりはその沈黙を見ていた。
「透」
「何」
「私のこと疑ってる?」
透の眉がわずかに動いた。
「何を」
「何か」
「何かって何」
「それが分かんないから聞いてる」
二人とも同じことを言っている。
そこに気づいた瞬間、急に疲れた。
ひかりは息を吐いた。
「もういい」
「ひかり」
「授業始まる」
階段を下りる。
背中に透の視線を感じた。
呼び止めてほしいと思った。
同時に、今は何も言わないでほしかった。
自分でも分からない。
二階まで下りたところで、透が追いついた。
「ひかり」
振り返る。
透は何か言おうとしていた。
でも結局、
「今日、一緒に帰る?」
と言った。
ひかりは少しだけ笑った。
こんな時まで。
こんな時だからかもしれない。
「帰る」
それだけ答えた。
放課後は文化祭の準備だった。
教室の窓は開け放たれ、段ボールと絵の具の匂いが混ざっている。西日が机の脚を長く伸ばし、廊下からは別のクラスが材木を運ぶ音が響いていた。
ひかりは模造紙へ文字を書いていた。
透は窓際で壊れたスピーカーを触っている。
お化け屋敷用。
結局そうなった。
「直る?」
クラスメイトが聞く。
「たぶん」
透が答える。
「たぶんとか言うんだ」
「直るまで分かんないから」
ひかりは手を止めた。
同じだ。
確認できるまで言わない。
分かるまで話さない。
透は昔からそうだった。
壊れた機械なら、それでいい。
人間のことまで同じやり方で調べるつもりなのだろうか。
考えすぎ。
ひかりは筆を置いた。
透が顔を上げる。
目が合う。
一瞬だけ。
透はすぐスピーカーへ戻った。
ひかりも作業へ戻る。
その数秒が、昔より長く感じた。
聞けば分かると思っていた。
でも聞いても分からないことがある。
その事実だけが、その日の帰り道まで残った。




