第6話 聞こえた名前
翌日の放課後。
透は家へ帰ると制服のまま机へ座った。
一日中、授業の合間にレコーダーのことを考えていた。
昼休みにひかりとパンを食べた。
文化祭の案を決める話もした。
放課後の係分担についても話した。
奈緒のことだけ話さなかった。
ひかりも奥村との話をそれ以上しなかった。
普通だった。
普通に見えた。
それが妙だった。
机の上には昨夜分解したレコーダー。
窓の外は曇っている。
昼から空を覆っていた雲のせいで、まだ夕方なのに部屋は薄暗い。窓を少し開けると湿った土の匂いが入り、遠くで雨が降り始めたような冷たい風がカーテンを揺らした。
透はスタンドライトを点けた。
基板を確認する。
腐食した部分を清掃。
端子を交換。
電源系統を繋ぎ直す。
以前なら一時間もかからない作業だった。
今日は指先が何度か滑った。
急いでいるつもりはないのに、急いでいる。
何かを知りたい。
その何か自体がまだ分からない。
作業を終え、電池を入れる。
電源ボタン。
液晶が点いた。
透は動かなかった。
表示されている。
日付。
録音件数。
思ったより多い。
「残ってる」
声にすると、急に現実味が増した。
再生ボタンへ指を置く。
そこでまた止まる。
奈緒の声が入っているかもしれない。
聞く権利があるのか。
母親は透へ託した。
でも「全部聞いて」とは言われていない。
警察へ渡すべきかもしれない。
ただ、壊れていたものを直しただけで、何が入っているか分からないまま持っていくのも変な気がした。
透は一番新しい録音を再生した。
雑音。
衣擦れ。
遠くの声。
奈緒ではない。
学校らしい。
次。
授業の一部。
次。
誰かとの会話。
透はすぐ止めた。
全部聞く必要はない。
日付を確認する。
奈緒が死んだ少し前。
録音データの一つだけ、長さの表示がおかしい。
五分四十二秒。
再生。
最初の数秒は何もない。
ザッ。
何かが擦れる。
遠くで人の声。
透は音量を上げた。
『……違うって』
男性の声。
聞き取れない。
その後に女性。
『そういう話じゃ……』
途切れる。
ノイズ。
透は机へ顔を近づけた。
声そのものに近づけるはずもないのに。
また男性。
『奥村が……』
透の指が止まった。
巻き戻す。
再生。
『……奥村が……』
確かに聞こえる。
もう一度。
変わらない。
透はメモ帳を引き寄せ、
奥村
と書いた。
続ける。
ノイズの向こうで誰かが息を荒くしている。
『梶原……』
今度は女性か男性かも分からない。
透は、
梶原?
と書く。
その後しばらく会話が重なる。
『もうやめよう』
女性の声。
少し高い。
誰なのか分からない。
奈緒ではないようにも聞こえる。
透はそこだけ何度か再生した。
耳が慣れるほど、逆に分からなくなる。
『……四人……』
途切れる。
透は眉を寄せた。
四人。
何が四人なのか。
次に聞こえた声は小さかった。
『こんなの……』
その先はノイズに潰れた。
数秒後、録音が突然終わる。
透は椅子へ背中を預けた。
部屋の中に雨音が入ってきている。
いつの間にか本格的に降り始めていた。
窓を閉める。
ガラスに細かい水滴が付き、隣の家の輪郭がぼやけて見えた。
奥村。
梶原。
四人。
もうやめよう。
言葉だけを並べても何も分からない。
それなのに、奥村はもう死んでいる。
透は卒業アルバムを棚から出した。
中学三年のページ。
自分のクラス。
ひかりのクラス。
そして奈緒のクラス。
指で名前を追う。
宮前奈緒。
奥村亮介。
梶原芽衣。
同じクラスだった。
そこまでで一度手が止まる。
さらに下。
坂東祐生。
ほかにも知っている名前はある。
丹羽朱音。
戸塚岳。
顔を見れば思い出せる程度の人間が並んでいる。
透は写真から視線を外した。
一枚の集合写真。
全員が笑っている。
二年前には、何も知らないまま見ていた写真だった。
今は少し違って見える。
違って見えているだけかもしれない。
透はそこを自分に言い聞かせた。
机の上のスマートフォンが震える。
ひかりから。
《雨すごい》
《見れば分かる》
《そういう返し嫌い》
《窓閉めろ》
《閉めた》
いつもの会話。
透は画面を見ながら、卒業アルバムの奈緒の写真へもう一度目を戻した。
その隣に奥村。
少し離れて梶原。
さらに別の列に坂東。
もし、あの録音がこのクラスの誰かについての話なら。
そこまで考え、透は止めた。
決めつけるな。
音声には名前が二つ出ただけだ。
「四人」も何のことか分からない。
ただ一つだけ、確認しておく必要がある。
梶原芽衣。
透はアルバムの学校名を見た。
卒業後の進路までは載っていない。
SNSを検索する。
同姓同名。
顔写真。
制服。
近隣の別高校。
たぶん本人。
メッセージを送る前に、透は何度も文面を変えた。
《宮前奈緒について聞きたいことがあります》
硬すぎる。
消す。
《中学の時の宮前奈緒のことで、少し聞きたい》
また消す。
最後に、
《突然ごめん。野崎透です。宮前奈緒のことで確認したいことがあります。少し話せませんか》
送った。
既読はなかなかつかなかった。
十分。
二十分。
透はその間、数学の問題集を開いたが、一問も進まなかった。
四十分ほど経った頃、画面が光った。
返信。
短い。
《なんで今さら》
透はすぐ打つ。
《奥村が亡くなったから》
既読。
返事がない。
一分。
二分。
三分。
透はスマートフォンを置いた。
その瞬間また震える。
《私じゃなくて坂東に聞いて》
透は画面を見た。
一度。
もう一度。
坂東。
アルバムにいた名前。
《坂東祐生?》
送る。
返事。
《そう》
次のメッセージは少し時間を置いて届いた。
《もう私に連絡しないで》
そこで途切れた。
透は椅子へ座ったまま、机の上のメモを見る。
奥村
梶原
四人
坂東
さっきまで意味のなかった名前同士に、細い線が一本ずつ引かれていく。
まだ事件とは呼べない。
証拠にもならない。
それでも奥村は死んだ。
そして梶原は、奈緒の名前を出しただけで坂東へ話を押しつけた。
透はICレコーダーへ手を伸ばした。
再生。
雑音。
『……奥村が……』
少し先。
『梶原……』
さらに。
女性の声。
『もうやめよう』
その後。
『……四人……』
透は停止した。
それ以上聞いても音は変わらない。
変わっているのは、自分の方だった。
窓の外では雨が続いている。
隣の家にも明かりがついた。
ひかりは数メートル先にいる。
奥村と最後にまともに話した人間。
奈緒から何かを聞いていた人間。
そして今も、その内容を透には話していない。
透はそこまで考えて、自分の思考を切った。
違う。
まだ何も分かっていない。
スマートフォンを伏せる。
その黒い画面に、自分の顔が薄く映った。
信じるとか疑うとか、そんな段階ではない。
ただ確認したいだけだ。
そう思った。
けれどその言葉は、妙に言い訳じみて聞こえた。




