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『幼馴染が連続殺人犯かもしれない』  作者: asnt2026


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第4話 昨日まで生きていた人

朝、ひかりはスマートフォンのアラームより先に目を覚ました。


何か音がした気がした。


けれど部屋は静かで、カーテンの隙間から細い光が床へ落ちているだけだった。昨夜少し開けたままにした窓から、乾いた朝の空気と遠くを走る車の音が入ってくる。


枕元のスマートフォンを手に取る。


六時二十三分。


通知が三件。


クラスのグループ。


母親からの買い物についてのメッセージ。


もう一つ。


昨夜、自分から送った、


《大丈夫?》


その下に既読はついていなかった。


奥村亮介。


ひかりはしばらく画面を見てから、もう一度送ろうとしてやめた。


昨夜の、


《やっぱり、忘れて》


という言葉がまだ残っている。


忘れてと言われたものほど、頭から離れない。


「忘れて」と言った相手の方が、忘れたいのかもしれない。


そんなことを考えながらベッドを出た。


階下から味噌汁の匂いが上がってくる。


いつもの朝だった。


それなのに制服へ袖を通しても、髪を結び直しても、何か一つだけ置き忘れている気がした。


玄関を出る。


隣の家から透もちょうど出てきた。


「おはよ」


「おはよう」


透はひかりの顔を一度見てから、靴の踵を直した。


「寝不足?」


「分かる?」


「目」


「失礼」


「昨日遅かった?」


「普通」


答えてから、自分で少しだけ引っ掛かった。


また狭い答え方をした。


透はそれ以上聞かなかった。


二人で歩き出す。


朝の住宅街はまだ日陰が多く、植木へ残った露が白く光っていた。どこかの家で焼いているパンの匂いが薄く流れ、新聞配達のバイクが角を曲がっていく。空は高く晴れていて、昨日より少しだけ秋に近づいたような色をしていた。


「数学の小テスト」


透が言った。


「覚えてる」


「ほんと?」


「昨日メッセージ来たから」


「送ってない」


ひかりが足を止める。


透も止まった。


「送ったよ」


「送ってない」


スマートフォンを出して確認する。


《明日数学小テスト》


昨日のやり取りにちゃんとある。


ひかりが画面を見せると、透は小さく眉を上げた。


「ああ、一昨日」


「昨日でしょ」


「日付変わる前だから昨日か」


「そこ重要?」


「別に」


透が歩き出す。


ひかりは少し笑った。


こういうどうでもいい会話をしている間だけ、昨夜の奥村が頭の外へ出ていく。


学校へ着くまでは、そうだった。


昇降口が妙に静かだった。


声がないわけではない。


むしろ人は多い。


けれど普段なら聞き流している小さな声が、今日はひとつの場所へ集まっている。


「らしいよ」


「朝見つかったって」


「同じ学校?」


「二年の……」


ひかりの足が少し遅くなった。


前を歩いていた透も気づいたらしく、振り返る。


その時だった。


クラスの女子がこちらへ走ってきた。


「中原」


声が少し裏返っている。


「奥村君と昨日話してたよね?」


心臓が一度だけ強く鳴った。


次が来ないような変な間があった。


「うん」


自分の声が思ったより普通に出た。


女子は口を開き、閉じた。


「奥村君……死んだって」


ひかりは何を聞いたのか分からなかった。


言葉は聞こえた。


意味だけが追いつかない。


「え?」


「今朝、河川敷の近くで見つかったって。まだ詳しく分かんないけど」


誰かが後ろから、


「警察来てる」


と言った。


靴箱の扉が閉まる音がした。


金属の音がやけに大きく響いた。


ひかりは右手に上履きを持ったまま、そこから動けなかった。


昨夜の画面が浮かぶ。


《やっぱり、忘れて》


《大丈夫?》


既読はつかなかった。


それが、もうつくことはない。


「ひかり」


透の声だった。


返事をしようとしたが、喉の奥に薄い紙のようなものが貼り付いている。


一度唾を飲む。


「昨日……会った」


自分でも分かっていることを言った。


透は何も返さない。


ひかりの顔を見ている。


その視線から逃げるように、ひかりは上履きを履いた。


右足。


左足。


ただそれだけの動作に妙に時間がかかった。


午前の授業はほとんど進まなかった。


担任が、


「憶測で話を広げないように」


と何度か言った。


その言葉が出るたび、クラスでは誰かがスマートフォンを机の下へ隠した。


奥村の死亡について学校が説明したのは、ごくわずかなことだけだった。


今朝、校外で亡くなっているのが見つかった。


警察が調べている。


詳しいことはまだ分からない。


それだけ。


ひかりのノートには、数学の式が二行だけ書かれている。


三行目から先は白い。


教師の声を聞いていたはずなのに、気づくと昨夜のファミレスへ戻っている。


奥村が潰していたストローの袋。


ドリンクバーしか頼まなかったこと。


「一人で見ない方がいい」


あの言葉。


何を知っていたのだろう。


どうして自分に聞いたのだろう。


そして何を忘れてほしかったのか。


「中原」


教師に呼ばれ、顔を上げた。


教室中の視線が集まっている。


「職員室へ」


一瞬、何のことかと思った。


けれど担任の横に立っている女性を見て分かった。


スーツ。


肩につかないくらいの髪。


学校の教師ではない。


女性はひかりと目が合うと、軽く頭を下げた。


応接室は窓が少ししか開いておらず、古いソファと紙の匂いがした。


昼前の陽射しがレースカーテン越しに入っているのに、部屋の中だけ温度が低い。


女性は向かいへ座った。


「大庭佳澄です。警察の者です」


身分証を見せる。


ひかりは反射的に姿勢を正した。


「そんなに固くならなくていいよ」


言い方は柔らかかったが、目は笑っていなかった。


怖いというより、見落とさない目だと思った。


机の上には小さなノートが一冊。


「昨日、奥村亮介さんと会ってるね」


「はい」


「何時くらい?」


ひかりは時計を思い出す。


ファミレスへ入った時間。


出た時間。


透へ《終わった》と送った時刻。


「五時半くらいから……六時半前までだと思います」


大庭は書いた。


「どこで?」


「駅前のファミレスです」


「どうして会ったの?」


そこで指が止まった。


ひかりは奥村の顔を思い出した。


誰にも言わないで。


ほんの一瞬、昨夜と同じ答えを選びそうになった。


昔の中学の話。


それで通せるだろうか。


でも目の前にいるのは透ではない。


奥村は死んだ。


「二年前に亡くなった同級生のことで」


大庭の視線が少し変わった。


「名前は?」


「宮前奈緒」


大庭はその名前を書いた。


「どんな話をした?」


ひかりの膝の上で指が重なる。


奥村との約束。


守る相手はもういない。


それでも約束だけが残っているのが不思議だった。


「最近……二年前のことを調べてる人がいるって」


「誰が?」


「奥村君も知らないって言ってました」


「ほかには?」


「奈緒から何か預かってないかって聞かれました」


大庭のペンが止まる。


「預かってる?」


「いえ」


「本当に?」


昨日も同じ聞き方をされた。


ひかりは少しだけ背中を伸ばした。


「何も預かってません」


大庭は数秒ひかりを見て、それから頷いた。


「最後に会った時、奥村さんの様子は?」


「怖がってたと思います」


「何を?」


「それが分からなくて」


本当だった。


分からないことばかりだった。


「別れた後に連絡は?」


ひかりはスマートフォンを出した。


大庭へ昨夜の画面を見せる。


《やっぱり、忘れて》


《大丈夫?》


大庭は勝手に触れず、


「少し見せてもらっていい?」


と確認してから端末を受け取った。


しばらく画面を見る。


「この前に何か消した?」


「私ですか?」


「どちらでも」


「私は消してません。奥村君が消したかは分からないです」


大庭がスマートフォンを返した。


「ありがとう」


それで終わりかと思った。


立とうとすると、


「中原さん」


呼び止められる。


「野崎透君とは親しい?」


胸の中で何かが軽く引っ掛かった。


「幼馴染です」


「昨日も一緒にいた?」


「奥村君に声を掛けられるところまでは」


「奥村さんとの話を、野崎君には?」


ひかりは黙った。


大庭は急かさなかった。


「全部は話してません」


「どうして?」


「奥村君に、誰にも言わないでって頼まれたから」


「今も?」


ひかりは答えられなかった。


大庭はノートを閉じる。


「秘密を守ることと、必要なことを話さないことは、時々すごく似て見えるから」


説教のような口調ではなかった。


ただ置いただけの言葉だった。


「今日はありがとう。また聞くかもしれない」


ひかりは頭を下げ、応接室を出た。


廊下は昼休みに近く、教室から椅子を引く音が聞こえていた。


少し先の窓際に透がいた。


壁へ寄りかかっている。


待っていたらしい。


ひかりを見ると、すぐに体を起こした。


「大丈夫?」


同じ言葉だった。


昨夜、自分が奥村へ送ったのと。


ひかりは一瞬返事が遅れた。


「うん」


透は何か言いかける。


その時、階段を上がってきた男子生徒が二人の横を通った。


三年生。


一人が、


「宮前って、二年前に自殺した子だろ」


と友人へ言った。


もう一人が答える前に、その後ろを歩いていた青砥伊吹がほんのわずかに足を緩めた。


ほんの一拍。


すぐに通り過ぎたので、透もひかりも気に留めなかった。


「帰り」


透が言った。


「一緒に帰る?」


ひかりは頷いた。


奥村が死んだ日にも。


こんな時にも。


その言葉を少し嬉しいと思った自分が嫌だった。



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