第33話 そこにはいなかった
朱音に会う約束をしたのは、翌日の放課後だった。
場所は前と同じ公園。
ひかりが指定したわけではない。
朱音の方から、
《あそこでいい?》
と送ってきた。
ひかりは少し迷って、
《いいよ》
と返した。
大庭にも伝えた。
透にも。
透は、
《終わったら連絡して》
とだけ送ってきた。
それ以上は何も聞かなかった。
公園へ着くと、朱音は先にいた。
ブランコの近く。
スマートフォンを見ている。
ひかりに気づくと、
「遅い」
と言った。
「二分」
「待ってる側の二分は長い」
ひかりの足が一瞬止まる。
昔から透と何度もしたやり取り。
朱音はそんなことを知らない。
ただ偶然。
それだけなのに、胸の奥を小さく触られた気がした。
「何その顔」
朱音が聞く。
「別に」
「最近それ多くない?」
「みんな言う」
二人でベンチへ座る。
夕方の公園は前より寒かった。
砂場は少し湿っていて、地面から土の匂いが上がる。西側の住宅の間に夕日が沈みかけ、ブランコの影が細長く伸びていた。近くの家から味噌汁らしい出汁の匂いが漂い、遠くでは子どもを呼ぶ母親の声が聞こえる。
朱音が手を擦る。
「寒」
「もう帰る?」
「話あるんでしょ」
「うん」
ひかりは朱音を見る。
何から聞く。
声。
四人目。
奈緒。
全部聞きたい。
でも一度に聞けば、答えも全部混ざる。
「朱音」
「何」
「奈緒が亡くなった日のこと、覚えてる?」
朱音の手が止まった。
ほんのわずか。
「急だね」
「ごめん」
「覚えてるよ。忘れるわけないじゃん」
「その日、どこにいた?」
朱音がひかりを見る。
「なんで?」
「知りたいから」
「警察にも聞かれた」
「何て答えたの」
朱音は目を細めた。
「それも警察に聞けば?」
「朱音から聞きたい」
風が吹いた。
乾いた葉がベンチの下を転がる。
朱音は足元を見る。
「ひかり」
「何」
「私のこと疑ってる?」
何度目だろう。
その言葉。
透から。
自分から。
坂東から。
今度は朱音。
ひかりはすぐに否定できなかった。
否定したら嘘になる。
「何か知ってると思ってる」
朱音が笑った。
笑い方が少し乾いている。
「それ、疑ってるって言うんじゃない?」
「殺したと思ってるわけじゃない」
「じゃあ何」
「二年前のこと」
朱音の表情が消える。
ひかりは続けた。
「LIE BOXは四人だった」
「噂でしょ」
「奈緒も四人いると思ってた。学校の記録にも残ってた」
朱音が黙る。
「レコーダーにも四人って言葉がある」
「それ、前にも聞いた」
「女の人の声も」
朱音の指が膝の上で少し動く。
ひかりはその動きを見た。
見たこと自体が嫌だった。
反応を拾っている。
透が自分へしていたように。
「声、聞いた」
朱音の目が上がる。
「警察で」
「それで?」
「朱音に似てる気がした」
言った。
逃げずに。
朱音は瞬きをしなかった。
数秒。
「気がした?」
「うん」
「じゃあ私なんだ」
「違う」
ひかりはすぐ言った。
朱音の眉が動く。
「似てる気がした。でも何回か聞いたら分からなくなった」
「何それ」
「だから聞きに来た」
ひかりは一度息を吸った。
「奈緒が亡くなった日の放課後、朱音はどこにいたの」
朱音は答えない。
遠くの道路をトラックが通る。
低い音が地面から伝わり、少し遅れて消えていく。
「旧立体駐車場」
ひかりが言った。
朱音の唇がわずかに動いた。
「奈緒が落ちた場所」
朱音は顔を逸らした。
「そこにいた?」
今度は、長かった。
ほんの数秒のはずなのに、ひかりには風の音まで一つずつ聞こえた。
葉が擦れる。
ブランコの鎖が鳴る。
朱音が息を吸う。
そしてこちらを見る。
「私は、あの日そこにいなかった」
はっきり言った。
ひかりは何も返せなかった。
声の震えを探さない。
目の動きを読まない。
そう決めていた。
人の表情だけで真実は分からない。
それでも。
ひかりの胸の奥で何かが引っ掛かった。
言葉そのもの。
「そこにいなかった」
なぜか妙に整っていた。
「じゃあどこにいたの」
ひかりが聞く。
朱音は一度唇を舐めた。
「家」
「何時から?」
「覚えてない」
「誰か一緒だった?」
「ひかり」
声が低くなる。
「警察ごっこやめて」
ひかりは口を閉じた。
「ごめん」
すぐに言う。
朱音の肩から少し力が抜ける。
「本当にごめん」
「別に」
「聞き方よくなかった」
朱音は何も言わない。
ひかりはベンチの端を見る。
小さな傷。
誰かが削った文字。
読めない。
「でも」
ひかりは言った。
「奈緒のこと、知りたい」
朱音の目が揺れる。
「今さら?」
「今さらでも」
「死んだ人のこと掘って何になるの」
「三人死んだ」
「それは今の事件でしょ」
返事が早かった。
ひかりは顔を上げる。
朱音も気づいたように口を閉じた。
「今の事件と二年前は別?」
ひかりが聞く。
「そうかもしれないって前にも言った」
「どうしてそんなに分けたがるの」
「分けたがってない」
「じゃあ何で」
朱音が立った。
「もう帰る」
「朱音」
「ひかり」
振り返る。
夕日がほとんど沈み、朱音の顔の半分が影になっていた。
「知らない方がいいことって本当にあるんだよ」
ひかりはベンチから立たなかった。
「それ、みんな言う」
朱音が黙る。
「奥村君も、橋爪先生も。透も最初はそうだった」
「野崎と一緒にしないで」
思っていたより強い声だった。
「じゃあ教えて」
ひかりは言う。
「何を知らない方がいいの」
朱音の唇が少し開く。
でも声は出なかった。
風が二人の間を抜ける。
朱音は視線を落とし、
「帰る」
とだけ言った。
公園を出ていく。
ひかりは追わなかった。
聞いた。
本人に。
それでも答えが本当かどうかは分からない。
以前なら、その曖昧さに耐えられず、すぐ別の証拠を探しに行ったかもしれない。
今はスマートフォンを取り出した。
透へ送る。
《終わった》
すぐ既読がついた。
《どうだった》
ひかりは入力する。
《朱音は「あの日そこにいなかった」って言った》
送ろうとして止めた。
少し考える。
書き足す。
《でも、それが嘘かはまだ分からない》
送信。
数秒後。
《うん》
それだけ返ってきた。
決めつけない。
透も同じ意味で返したのだと思う。
ひかりはスマートフォンを膝へ置いた。
暗くなった公園。
誰も乗っていないブランコが、風でほんの少し揺れている。
朱音は嘘をついたのかもしれない。
それでも、ひかりが今一番怖かったのは別のことだった。
もし嘘なら。
朱音が隠しているのは、誰を守るためなのだろう。




