第31話 犯人じゃない理由
大庭から連絡が来たのは、橋爪と話した翌日の昼だった。
《放課後、二人で来られる?》
ひかりは画面を透へ見せた。
「二人でだって」
透は数秒見て、
「行く」
と答えた。
それだけ。
以前なら、何を聞かれるのか、何が分かったのかと互いに探り合ったかもしれない。
今も気にはなる。
ただ、聞いても分からないことまで勝手に埋めるのはやめようと、二人とも少しずつ覚え始めていた。
放課後の文化祭準備を早めに抜ける。
教室では段ボールの壁がほとんど完成していた。
誰かが試しに照明を落とすと、お化け屋敷用の赤い電球だけが薄暗い教室を照らし、絵の具と布、それに乾きかけた接着剤の匂いが昼間より濃く漂った。
「野崎、それ明日までに音出るようにしといて」
クラスメイトがスピーカーを指す。
「もう出る」
「マジ?」
「昨日直した」
「言えよ」
「聞かれてない」
「お前そういうとこあるよな」
笑われる。
少し離れた場所でひかりも笑っていた。
透と目が合う。
どちらからともなく視線を外した。
普通の学校生活はまだ残っている。
事件とは関係のないところで笑える。
そのことが、最近は少し不思議だった。
警察署の面談室へ入ると、大庭は紙コップのコーヒーを飲んでいた。
「ごめん、ちょっと寝不足」
そう言って笑う。
ひかりは椅子へ座りながら、
「刑事さんもそういうの言うんですね」
と返した。
「言うよ。刑事だから眠くならないわけじゃない」
透も隣へ座る。
大庭はコーヒーを机の端へ置いた。
「今日は二人に確認と、少しだけ共有」
机の上に資料はない。
「戸塚岳君」
ひかりの肩がわずかに動いた。
「第三の事件について、現時点で彼を強く疑う材料はかなり減ってる」
「アリバイ?」
透が聞く。
「そう。詳しい時刻はまだ言えないけど、坂東君が死亡した可能性のある時間帯に、戸塚君が別の場所にいたことを示す複数の記録がある」
「複数?」
「店の防犯カメラ、決済記録。それから本人以外の証言」
透は黙って頷く。
ひかりは膝の上で手を組んだ。
岳が言った、
死んでほしいと思ったことはある。
でも殺してない。
あの声を思い出す。
信じたわけではなかった。
ただ、嘘をついている顔には見えなかった。
それでも人の顔だけでは分からない。
今は記録も同じ方向を指している。
「橋爪先生も?」
ひかりが聞いた。
大庭が見る。
「鋭いね」
「何となく」
「橋爪先生も少なくとも坂東君の事件では、犯行に関われた可能性は低い」
「学校?」
透が聞く。
「その時間は保護者対応で校内にいた。複数の職員と保護者が確認してる」
ひかりは背もたれへ少し体を預けた。
戸塚。
橋爪。
疑っていた人間が一人ずつ外れていく。
普通なら安心するはずだった。
なのに、胸の中に空いた場所へ別のものが入ってくる。
では誰なのか。
その問いが前より近くなる。
「二人とも」
大庭が言った。
「最近、相手が何を警察へ話してるか気にしてたでしょ」
ひかりと透が同時に顔を上げる。
大庭が少しだけ口元を緩めた。
「顔に出てる」
「俺は別に」
透が言う。
「そういうところ」
ひかりが小さく言った。
「中原さんも同じ」
大庭に返され、ひかりは黙った。
大庭は続ける。
「野崎君は、宮前さんのICレコーダーを提出した。それから自分で作っていた資料も見せてくれた」
ひかりは隣を見た。
知ってはいた。
でも本人の横で改めて聞くと、少し違う。
「中原さんは、丹羽朱音さんから借りた古い端末について、本人の許可を取った範囲だけ画像を提出した。戸塚君との話も、その日のうちに全部報告してる」
今度は透がひかりを見る。
「全部?」
「何」
「戸塚に俺のファイル見たって言ったことも?」
ひかりの顔が少し熱くなる。
「そこまで大庭さんに言ってない」
「そう」
大庭が咳払いした。
「二人の問題は後でやって」
ひかりは前を向いた。
透も。
ほんの少しだけ、大庭が笑っている。
すぐに表情を戻した。
「言いたいのは、二人とも自分に都合の悪いことまで警察へ持ってきてるってこと」
室内が静かになる。
「それで無実が証明されるわけじゃない。でも、私は行動として見てる」
透の指が膝の上で止まった。
ひかりも何も言わない。
犯人なら、警察へ証拠を渡すだろうか。
犯人でも、自分から近づくことはある。
そんな事件はある。
だから、それだけでは決まらない。
でも。
透がレコーダーを持ってきた。
自分も朱音の資料を渡した。
互いに相手へ隠していたものを、警察には渡している。
それをどう考えればいいのか。
「大庭さん」
透が言う。
「俺たち、まだ疑われてますか」
大庭はすぐに答えなかった。
「警察として、必要な確認は続ける」
「それって」
「でも」
大庭が遮る。
「今の段階で二人のどちらかを三件の連続殺人の実行犯と決めて動いてはいない」
ひかりは無意識に息を吐いた。
透も少しだけ肩を落とした。
その変化を見てしまった。
自分と同じだった。
「安心した?」
大庭が聞く。
誰にともなく。
ひかりは、
「ちょっと」
と答えた。
透は、
「まあ」
と言った。
「そこは素直なんだ」
大庭が笑う。
ひかりも少し笑った。
でも大庭の次の言葉で、空気が戻った。
「ただし、奈緒さんの件については別」
二人の視線が集まる。
「四人目」
大庭が言う。
「今、そこを確認してる」
ひかりの頭に朱音の顔が浮かんだ。
古いスマートフォン。
忘れて。
四人目が分かっても、その人が今の犯人とは限らない。
大庭は続ける。
「それと、レコーダーの女性の声。中原さんに一度聞いてほしい」
「私?」
「人の声をよく覚えてるって野崎君から聞いた」
ひかりは透を見る。
「いつそんな話したの」
「昔」
「何を」
「中学の時、電話で先生の真似した奴、声だけで当てただろ」
「そんなの覚えてる?」
「覚えてる」
ひかりは何も返せなかった。
こういうところだ。
どうでもいいことを覚えている。
そのくせ大事なことを口にしない。
大庭が、
「明日、時間取れる?」
と聞く。
ひかりは頷いた。
「透も?」
「野崎君にも来てもらう」
大庭は紙コップへ手を伸ばす。
「ただし一つ」
二人が見る。
「聞こえた気がする、で人を犯人にしない」
ひかりはすぐに、
「はい」
と答えた。
透も頷いた。
警察署を出ると、外はすっかり暗かった。
昼間より冷え込み、吐いた息の輪郭がわずかに見える。歩道沿いの植え込みから湿った土の匂いが上がり、遠くの交差点では信号の赤が濡れた路面にぼんやり滲んでいた。
しばらく二人とも話さなかった。
「なあ」
透が言う。
「何」
「お前、大庭さんに結構ちゃんと話してるんだな」
ひかりが横を見る。
「透も」
「まあ」
「私には言わないのに」
「お前もだろ」
また同じ。
少し前なら、そこで互いに黙り込んだ。
今日はひかりが先に笑った。
「ほんと、似たようなことしてるね」
透も少し笑う。
「最悪だな」
「そこまで?」
「疑って、隠して、勝手に調べて」
「透は尾行までした」
「それはもう言うな」
「まだ言う」
「一生?」
ひかりは答えなかった。
一生。
その言葉だけが、事件と関係のない場所へ落ちた。
透も気づいたのか、それ以上何も言わない。
二人の歩く速度が少しだけ遅くなった。




