第26話 三人目
戸塚岳と別れた後、ひかりは駅前で透と合流した。
透は何も聞かず、自動販売機の前に立っていた。
「遅かった」
ひかりが言う。
「十五分」
「待ってる側の十五分は長いよ」
「前に聞いた」
「覚えてるんだ」
透は温かいミルクティーのボタンを押した。
缶が落ちる。
取り出して、そのままひかりへ渡す。
「私の?」
「俺、飲まないし」
「じゃあなんで買ったの」
「寒いから」
ひかりは缶を両手で包んだ。
じんわりと熱が移る。
夜の駅前は昼間より風が強く、飲食店の換気扇から流れてくる油の匂いに、雨が降りそうな湿った空気が混じっていた。車が通るたびヘッドライトが歩道を滑り、透の顔を一瞬だけ白く照らしていく。
「戸塚君、犯人じゃないと思う」
ひかりが言った。
透がこちらを見る。
「大庭さんには?」
「話した。説明もだいたい合ってるって」
「次はお前って?」
「殺すって意味じゃなかった」
LIE BOXのことも話した。
岳の家族のこと。
奥村と坂東を運営者だと考えていたこと。
梶原も後から知ったこと。
そして岳自身は三人だと思っていたこと。
「でも透のレコーダーは四人なんだよね」
ひかりが言う。
透が一瞬足を止めた。
「何で知ってる?」
聞かれて、ひかりも止まった。
言ってしまった。
透のファイルを開いたことは、まだ言っていない。
「資料」
「どの?」
「透の」
二人の間を自転車が通った。
ベルは鳴らさない。
風だけが一瞬強くなった。
透はひかりを見る。
「見た?」
逃げようと思えば逃げられた。
端から見えた。
偶然。
いくらでも言えた。
ひかりは温かい缶を握った。
「開けた」
透の顔から表情が消えた。
「いつ」
「勉強してた時」
「俺が下に行ってる時?」
「うん」
少し間が空く。
「ごめん」
透は何も言わない。
ひかりは続けた。
「聞いても教えてくれなかったからって、見ていい理由にはならないの分かってる」
「どこまで」
「奥村君と梶原さんと坂東君。私のことも少し。それとレコーダー」
透は目を伏せた。
怒鳴られる方が楽だったかもしれない。
そう思うくらい静かだった。
「何で今言ったの」
「戸塚君に四人のこと言っちゃったから」
「そうじゃなくて」
透が顔を上げる。
「黙ってても分からなかっただろ」
「分からないままにしたくなかった」
自分で言ってから、ひかりは少しだけ息を止めた。
ずっと二人ができなかったことだった。
分からないままにする。
聞かない。
言わない。
その結果が今なのかもしれない。
透はしばらく何も言わなかった。
やがて、
「嫌だった」
と言った。
「うん」
「勝手に見られるの」
「うん」
「でも、俺も勝手にお前のこと記録してた」
ひかりは透を見る。
「それも嫌だった」
「分かってる」
「尾行も」
「それは本当にごめん」
「そこだけすぐ謝るね」
「自分でも最低だったから」
ひかりは小さく息を吐いた。
許したわけではない。
透も、許してもらったとは思っていない。
それでも、少しだけ二人の間にあったものが減った。
全部ではない。
まだ疑っている。
まだ隠しているものもある。
でも一つ、言った。
そのことだけで帰り道の空気が少し変わった。
「四人」
透が言った。
「戸塚は知らなかったんだな」
「三人だと思ってたって」
「じゃあ、もう一人いる」
「誰?」
「分からない」
「またそれ」
ひかりは笑った。
透もわずかに笑う。
今度の「分からない」は、以前ほど腹が立たなかった。
本当に二人とも分からないからだ。
翌朝。
坂東祐生が見つかった。
生きては、いなかった。
大庭から電話が来たのは、ひかりと透が学校へ向かっている途中だった。
透のスマートフォンが先に鳴る。
画面を見た透の表情で、ひかりも立ち止まった。
「大庭さん?」
透が頷く。
電話へ出る。
「はい」
数秒。
透の顔から色が引いていく。
「どこで」
ひかりの指が鞄の紐へ食い込んだ。
「はい」
それだけ言って、透は電話を切った。
朝の住宅街。
通勤する車。
庭木へ水をやる人。
遠くで小学生が笑っている。
空はよく晴れているのに、吸い込む空気だけが妙に重かった。
「坂東君?」
ひかりが聞く。
透はすぐには答えなかった。
それで分かった。
「見つかった」
透が言う。
「市内の資材置き場の裏」
ひかりは唇を開いた。
声が出ない。
「亡くなってた」
ミルクティーを持っていた昨夜の手の感覚が、一瞬だけ戻った。
戸塚と話していた頃。
透と帰っていた頃。
その時、坂東はどこにいたのだろう。
まだ生きていたのか。
もう。
そこから先を考えられなかった。
「三人目」
自分の声が聞こえた。
透がこちらを見る。
奥村。
梶原。
坂東。
名前が並ぶ。
黒いファイルの順番。
LIE BOX。
奈緒。
ひかりは歩道の端へ寄った。
足元に落ちた葉が風で少し動く。
「透」
「何」
「もう偶然じゃないよね」
透は答えなかった。
答えなくてもよかった。
その日の午後、二人はそれぞれ大庭から事情を聞かれた。
最後に、二人一緒に応接室へ呼ばれた。
大庭は疲れているように見えた。
机の上に資料は置かれていない。
「二人には、確認できている範囲だけ話す」
ひかりと透は黙って待った。
「奥村亮介さん、梶原芽衣さん、坂東祐生さん。三人とも同じ中学校の同学年」
そこまでは知っている。
大庭は続けた。
「それだけじゃない」
透の背筋がわずかに伸びる。
「中学三年の時、同じクラス」
ひかりの頭に卒業アルバムが浮かんだ。
一枚の集合写真。
奈緒。
朱音。
奥村。
梶原。
坂東。
同じ四角の中にいた。
「宮前奈緒さんも」
大庭が言った。
「同じクラスだった」
応接室の時計が小さく鳴る。
ひかりは自分の膝を見る。
二年前に死んだ奈緒。
そして現在、同じクラスだった三人が順番に死んだ。
「奈緒が中心なんですか」
ひかりが聞いた。
大庭はすぐには頷かなかった。
「そう決めるにはまだ早い。でも、無関係とは考えにくくなった」
「LIE BOXは?」
透が聞く。
大庭の目が動く。
「戸塚君から聞いた?」
「ひかりから」
「存在は確認してる」
「運営者は?」
「調査中」
大庭はそこで線を引いた。
それ以上は話さない。
警察として当然だった。
ひかりは息を吐く。
「奈緒が死んだ時、自殺って」
大庭がひかりを見る。
「当時の扱いはそう」
「今も?」
大庭は数秒黙った。
「過去の結論も含めて、確認し直す」
その言葉だけで十分だった。
透の手が膝の上で少し動いた。
ひかりは横を見ない。
見なくても分かる気がした。
二年前の終わったはずのものが、終わっていない。
応接室を出る直前、大庭が二人を呼び止めた。
「一つ約束して」
振り返る。
「ここから先は、本当に危ない」
声は強くなかった。
「三人死んでる。興味本位の事件じゃない」
透もひかりも何も言わない。
「分かった?」
今度はひかりが先に、
「はい」
と答えた。
透も続いた。
校舎の廊下へ出る。
窓から夕方の光が長く差している。
ひかりは歩きながら言った。
「朱音に聞いてみる」
透が止まる。
「何を」
「昔のクラスのこと。奈緒のこと」
「大庭さん今」
「捜査するんじゃない」
ひかりは振り返る。
「同じクラスだった友達に聞くだけ」
透は何か言いたそうだった。
ひかりが先に、
「大庭さんにも言う」
と言う。
透は口を閉じた。
「なら」
少しだけ間。
「俺は先生の方を当たる」
「先生?」
「奈緒が相談してたって戸塚が言ってた。橋爪先生」
二人はしばらく見合った。
そして同時に気づいた。
また別々に動こうとしている。
ひかりが少し笑う。
「これ、駄目なやつ?」
透も口元を緩めた。
「先に大庭さんに言えば、たぶん」
「たぶん?」
「確認する」
「そこは成長したね」
「お前もな」
二人で歩き出す。
三人目が死んだ。
なのにほんの一瞬だけ、以前より二人の会話はまっすぐだった。




