第23話 待っていた
透はひかりから距離を取った。
同じ歩道を歩けば気づかれる。
駅へ向かう道は一本ではない。
一本裏へ入る。
交差点で見失わない程度。
姿が消えたら少し急ぐ。
見つけたらまた遅くする。
何をしているんだ。
何度も思った。
でも戻らなかった。
夕方の街は、学校帰りの学生と買い物帰りの人で混み始めていた。焼き鳥屋から煙が流れ、クリーニング店の前には洗剤の匂いが薄く漂っている。西日はビルの向こうへ沈みかけ、ガラスへ映る光だけがまだ明るかった。
ひかりは一度も後ろを振り返らない。
スマートフォンを確認しながら歩く。
駅へ入る。
透も少し遅れて入った。
電車。
同じ車両には乗らない。
二両後ろ。
窓に映る自分の顔が嫌だった。
本当に尾行している。
心配だから。
その言葉だけで済ませていい行動ではない。
分かっている。
それでも次の駅で降りた。
ひかりも降りる。
待ち合わせ場所は駅から少し離れた商業施設の前だった。
人通りは多い。
警察がどこにいるのか、透には分からない。
私服なら見ても分からないだろう。
ひかりは広場のベンチ近くに立った。
時間を見る。
十七時十九分。
待ち合わせは十七時半。
透は道路を挟んだコンビニの前にいた。
ガラス越しに見える位置。
自分でも最低だと思う。
ひかりは何もしていない。
ただ待っている。
時々スマートフォンを見る。
髪を耳へ掛ける。
寒そうに手を袖へ入れる。
いつものひかり。
十七時二十九分。
透は時計を見る。
三十分。
誰も来ない。
ひかりが周囲を見る。
四分。
五分。
スマートフォンで何か打つ。
透の端末は震えない。
坂東への連絡だろう。
十分。
ひかりが電話をかける。
耳へ当てる。
少し待つ。
切る。
もう一度。
繋がらないらしい。
透はコンビニの壁へ背を付けた。
何を期待していた。
坂東が来る。
それだけ。
では、ひかりが坂東と一緒にどこかへ行ったら。
自分はどうするつもりだった。
大庭へ連絡する?
追う?
それとも。
そこから先を考えるのが嫌だった。
十七時四十八分。
ひかりはまだ待っていた。
空はもう青より黒に近い。
商業施設の照明が点き、入口から暖房のぬるい空気と甘い菓子の匂いが外へ漏れている。車のライトが濡れてもいない道路へ長く伸び、人の顔を一瞬ずつ白く照らしていく。
坂東は来ない。
その事実が少しずつ固まる。
透はスマートフォンを出した。
ひかりへ送る。
《坂東来た?》
送信ボタンへ指を置く。
止める。
消した。
今送れば、なぜ知っているのか聞かれる。
その時だった。
ひかりが急にこちらを向いた。
透の体が固まる。
目が合った。
距離はある。
でも間違いなく目が合った。
ひかりはしばらく動かなかった。
透も。
隠れるには遅い。
ひかりが道路を渡ってくる。
信号。
赤。
その間も透を見ている。
青。
人の流れに混じって近づく。
透は逃げなかった。
逃げられない。
「何してるの」
ひかりは目の前で止まった。
声は大きくなかった。
それが余計に痛い。
「ごめん」
最初に出た。
ひかりの眉が少し動く。
「いつから」
「学校出てから」
「ずっと?」
透は頷いた。
ひかりは口を開き、何も言わずに閉じた。
顔を逸らす。
「大庭さん、知ってる?」
「知らない」
「透」
名前だけ。
それで十分だった。
「ごめん」
もう一度言う。
「何で」
透は答えられなかった。
心配だった。
疑っていた。
どちらを言っても半分しか本当ではない。
「坂東が危ないと思った」
「それだけ?」
ひかりの視線が戻る。
透は何も言わない。
「私が何かするかもしれないって思った?」
聞かれた。
前なら逃げただろう。
今も逃げたい。
でもここまで来て、
「全く思ってない」
とは言えなかった。
「分からなかった」
ひかりは目を伏せる。
ほんの一瞬、唇を噛んだ。
「私、ずっとここにいたよ」
「見てた」
言ってから、自分で言葉の酷さに気づく。
ひかりも同じだった。
顔が上がる。
「見てたんだ」
「違う、そういう」
「どういう意味なら違うの」
透は言葉を失った。
ひかりはスマートフォンを見た。
「坂東君、来ない」
話を切ったようにも見えた。
「電話も出ない」
「大庭さんは?」
「連絡した」
「何て」
「もう少し待つ。でも移動するなって」
透は周囲を見る。
本当に警察がいるのかもしれない。
ひかりも少し離れた場所を見る。
「帰って」
「でも」
「大庭さんいるから」
透は動かなかった。
ひかりがこちらを見る。
「今、透と一緒にいたくない」
その言葉だけは、簡単に意味が分かった。
透は頷いた。
「分かった」
歩き出す。
数歩。
後ろを振り返りたい。
やめた。
自分がしたことを、
守りたかったから、
だけで済ませてはいけない。
それくらいは分かった。
十九時を過ぎても、坂東は現れなかった。
電話は電源が切られていた。
ひかりは警察に促され、ようやく帰宅した。
家へ戻ったのは二十時近かった。
部屋へ入る。
カーテンを閉めようとして、隣を見る。
透の部屋の灯りがついている。
いつもなら、いるんだと思うだけだった。
今日は、見られている気がした。
そんな自分が嫌になり、ひかりは勢いよくカーテンを閉めた。




