第20話 どっちか
坂東祐生に会う約束の日。
ひかりは朝から時計ばかり見ていた。
授業中。
昼休み。
文化祭準備。
時間はいつもと同じ速さで進んでいるはずなのに、放課後へ近づくほど秒針だけが耳につく。
透とは朝からほとんど話していない。
喧嘩をしたわけではない。
むしろ普通だった。
「今日英単語テスト」
「知ってる」
「珍しい」
「それ言うの二回目」
そんな程度。
普通だから余計に、ひかりは坂東のことを言えなかった。
放課後。
文化祭用の装飾を途中で切り上げる。
「ごめん、ちょっと用事」
クラスメイトへ言う。
透は少し離れた場所で配線をまとめていた。
ひかりが鞄を持つと顔を上げる。
目が合う。
聞かない。
ひかりも何も言わない。
教室を出る。
階段。
昇降口。
靴を履き替える。
校門まで来たところでスマートフォンが震えた。
坂東ではない。
大庭。
足が止まる。
出なければいけない。
分かっている。
ひかりは画面を見たまま、結局通話ボタンを押せなかった。
切れる。
数秒後、
《時間がある時に折り返して》
メッセージ。
胸が重くなる。
あとで。
坂東に会ってから。
そう決めて駅へ向かった。
同じ頃。
透は教室に残っていた。
ひかりがいなくなった後も、手元の配線はほとんど進んでいない。
昨日。
《また用事》
今日も。
梶原の時と同じ。
坂東。
そこまで考えたところで、スマートフォンが震えた。
知らない番号。
「もしもし」
『野崎透?』
男の声。
「誰」
『坂東』
透は立ち上がった。
椅子の脚が床を擦る。
教室にいた数人がこちらを見る。
透は廊下へ出た。
「何で番号を」
『梶原のスマホに残ってた』
まただ。
梶原が死んだ後、その情報をどうやって知ったのか。
聞こうとしたが坂東の方が先だった。
『中原が俺に会いに来る』
透の体が止まった。
「今日?」
『今から』
「どこ」
『言うと思うか』
透は壁へ手をついた。
冷たい。
「何で俺に言う」
『お前ら、何なんだよ』
坂東の声には苛立ちより別のものが混じっていた。
焦り。
『お前も中原も宮前のこと嗅ぎ回ってる。奥村が死んだ。梶原も死んだ。次は俺か?』
「俺は何もしてない」
反射的に出た。
初めて口にした。
誰かに疑われて。
明確に否定した。
その言葉を一番聞かせたい相手は、電話の向こうではなかった。
『じゃあ中原か?』
「違う」
今度もすぐだった。
坂東が黙る。
『何で分かる』
透は答えられない。
分かる。
そう思っている。
でも証拠はない。
奥村と最後に会った。
梶原とも会った。
今日、坂東へ会いに行く。
それでも、
違う。
透はもう一度言った。
「ひかりは違う」
『幼馴染だから?』
言葉が刺さる。
『それ、証拠になんの?』
透は壁を見た。
何も言えない。
坂東が続ける。
『俺から見たら、お前らのどっちかが一番怪しい』
廊下の窓から夕日が入っている。
赤い光が床に伸び、少しずつ形を変えていく。
文化祭準備の教室から笑い声。
誰かがテープを切る音。
全部いつも通り。
『俺が次に死んだら』
坂東の声が低くなる。
『お前らのどっちかだと思っとく』
通話が切れた。
透はスマートフォンを耳から離した。
すぐにひかりへ電話する。
呼び出し。
一回。
二回。
三回。
出ない。
もう一度。
出ない。
透は鞄を取りに教室へ戻った。
「野崎、どこ行くの?」
クラスメイトが聞く。
「ちょっと」
その言葉を口にして、自分で嫌になった。
最近、二人ともそればかり使っている。
ひかりは電車の中にいた。
スマートフォンが何度も震える。
透。
画面を見る。
出るか迷う。
坂東から、
《着いたら連絡して》
と来ている。
大庭からも折り返しを求められている。
透から着信。
三つの名前。
全部、今は出たくない相手だった。
電車がトンネルへ入る。
窓が黒くなり、自分の顔が映る。
その隣に立っている乗客。
吊革。
広告。
車内の暖房と、人の服についた柔軟剤の匂い。
ひかりは自分の顔を見る。
何をしているんだろう。
透を信じたい。
だから坂東へ会いに行く。
でも透には言わない。
その行動だけを外から見たら、どう見える。
坂東が言った。
――お前らのどっちかが一番怪しい。
ひかりは目を閉じた。
スマートフォンがまた震える。
透。
今度は出た。
「もしもし」
『今どこ』
声が硬い。
「電車」
『坂東に会いに行くの?』
ひかりの呼吸が止まった。
「なんで知ってるの」
『本人から聞いた』
「坂東君から?」
『戻って』
「何で」
『危ないかもしれない』
「誰が?」
透が黙る。
「坂東君が?」
返事がない。
「それとも私?」
言った後、胸が強く鳴った。
透の息が電話越しに聞こえる。
『違う』
「何が」
『そういう意味じゃない』
また。
ひかりは窓へ額を寄せたくなった。
「透、ちゃんと言って」
『坂東が俺たちのどっちかを疑ってる』
ひかりは黙った。
やっぱり。
「透は?」
聞いた。
電話の向こうが静かになる。
「透は、私を疑ってる?」
今度こそ逃げない。
そう思って聞いた。
透はすぐ答えなかった。
一秒。
二秒。
電車がトンネルを抜ける。
窓の外へ夕暮れの街が戻った。
『分からない』
透の声。
ひかりは目を閉じた。
一番聞きたくなかった答えだった。
でも、嘘で「違う」と言われるより透らしい。
それが余計に苦しかった。
「私も」
気づいた時には口から出ていた。
透が息を止めた気配。
「私も、透のこと分からない」
長い沈黙。
二人とも何も続けられない。
『ひかり』
「何」
『一人で坂東に会うのはやめて』
「じゃあどうするの」
『俺も行く』
「坂東君、透には来るなって」
『知るか』
少しだけ、昔の透の声に戻った。
ひかりの口元がわずかに緩む。
こんな時に。
「大庭さんにも言う」
透が続けた。
ひかりの表情が止まる。
『今度は先に』
その言葉が胸へ落ちた。
自分たちだけで。
本人に聞かず。
勝手に調べる。
それを繰り返してきた。
ひかりはスマートフォンを握り直す。
「分かった」
『どの駅』
ひかりは場所を伝えた。
「でも透」
『何』
「坂東君に会ったら、ちゃんと聞きたい」
『何を』
「奈緒のこと」
少し間があった。
『俺も』
通話を切る。
その直後、坂東からメッセージが入った。
《野崎にも話した》
続けて、
《もう二人とも信用してない》
ひかりは画面を見た。
さらにもう一通。
《次に死ぬのが俺なら、お前らのどっちかだ》
電車がホームへ滑り込む。
ブレーキの音が細長く響き、窓の外を人の影が流れていく。
ひかりは立ち上がった。
扉が開く。
冷たい空気が車内へ入った。
その向こうに何があるのかは、まだ分からない。
ただ一つだけ分かった。
透を疑っていることを、もう自分にも隠せなくなっていた。




