第13話 三人
翌日の放課後、ひかりは一人で電車に乗った。
透には、
「今日は用事あるから先帰って」
とだけ言った。
何の用事かは聞かれなかった。
聞かれなかったことにほっとして、その直後に少しだけ引っ掛かった。
聞いてほしいのか。
聞かれたくないのか。
自分でももう分からない。
約束した駅で降りる。
改札を出ると、空は薄い灰色だった。
駅前のビルの間から風が抜け、制服のスカートが少し揺れる。近くのパン屋から焼きたての甘い匂いが漂い、バスの排気ガスがそこへ混ざってすぐに消えた。
待ち合わせ場所は駅から三分ほどの小さな喫茶店。
ファミレスより静かで、学校帰りの生徒は少ない。
店内へ入ると、奥の席に女子生徒が一人座っていた。
別の高校の制服。
梶原芽衣。
ひかりが近づくと、芽衣はスマートフォンの画面を伏せた。
「中原さん?」
「はい」
向かいへ座る。
近くで見ると、卒業アルバムより印象が違った。
髪が短い。
目元には薄く化粧。
でも視線を上げる時に少し顎を引く癖は、昔の写真にもあった気がする。
「ごめんなさい、急に」
「ほんとに急だね」
言い方は少し尖っている。
ひかりは頷いた。
「すみません」
芽衣は注文したアイスティーの氷をストローで回した。
カラン、と小さな音。
「野崎くんに頼まれたの?」
「違います」
「じゃあ何」
「透が何を調べてるのか知りたくて」
芽衣の眉が寄った。
「本人に聞けば?」
その言葉が思ったより痛かった。
「聞いたけど、ちゃんと答えてくれなくて」
「それで私?」
「梶原さんの名前が出てたから」
芽衣の手が止まる。
ひかりは言葉を選んだ。
ファイルを見たとは言えない。
言えば透の秘密を勝手に見たことまで説明することになる。
「透が、梶原さんと坂東君のことを調べてるのは知ってます」
「どうして」
「それは……」
芽衣がひかりを見る。
その目には警戒があった。
「中原さん、どこまで知ってるの」
「何を?」
「宮前のこと」
空気が少し変わった。
店の奥でコーヒー豆を挽く音がする。
窓際には夕方の白っぽい光が残り、テーブルの表面に細い傷が見えた。暖房はまだ入っていないのに店内は少し暑く、ひかりは制服の袖を指先で引いた。
「奈緒から、匿名のアカウントのことで困ってるって相談されたことはあります」
芽衣は何も言わない。
「それ以上は聞けなかった」
「なんで」
「また今度って言ったから」
口にすると、二年前の廊下が近くなった。
奈緒の、
じゃあ明日。
その声。
ひかりは膝の上で指を組んだ。
「その次の日には、もう話せなかった」
芽衣の視線が落ちた。
一瞬だけ。
「透は何を聞いたんですか」
「同じ」
「奈緒のこと?」
「うん」
「透に何かされた?」
芽衣が顔を上げた。
「何かって?」
「脅されたとか、無理に聞かれたとか」
「ない」
即答だった。
ひかりの胸の奥で、何かが少し緩んだ。
「じゃあ、どうしてもう連絡しないでって」
芽衣の口元が固くなる。
「宮前の話をしたくないから」
「どうして」
「昔のことだから」
「奥村君が死んだのに?」
芽衣の指がストローから離れた。
「それとこれは別でしょ」
「本当に?」
「何が言いたいの」
声が少し低くなる。
ひかりは一度息を整えた。
「奥村君も、死ぬ前に奈緒のことを気にしてました。透も調べてる。梶原さんは坂東君の名前を出した。何か繋がってるんじゃないですか」
芽衣の顔から色が薄くなったように見えた。
ほんの少し。
でも見間違いではない。
「私たち三人は、もう関係ないから」
芽衣が言った。
ひかりの耳に、その言葉だけが残った。
「三人?」
芽衣が動きを止める。
「今、三人って」
「言ってない」
「言ったよ」
「奥村と坂東と私のこと」
「何に関係ないの?」
芽衣は黙った。
「奈緒?」
「もうやめて」
「梶原さん」
「やめてって」
周囲の何人かがこちらを見た。
芽衣も気づいたらしく、声を落とす。
「本当に知らないなら、知らないままの方がいい」
「それ、奥村君も似たようなこと言ってた」
芽衣の目が揺れた。
「奥村が?」
「一人で見ない方がいいって」
「何を」
反応が早かった。
ひかりはそこを見逃さなかった。
「何か心当たりあるの?」
芽衣はすぐに立った。
椅子が床を擦る。
「帰る」
「待って」
「もう連絡しないで」
鞄を掴む。
ひかりも立った。
「透にも?」
芽衣の手が止まる。
「透にも連絡しないでって言ったよね」
「言った」
「どうして透まで避けるの」
芽衣は数秒ひかりを見た。
その視線には、透を恐れている色はなかった。
むしろ別のものから距離を取りたがっている。
ひかりにはそう見えた。
「野崎くんは何も知らない」
芽衣が言う。
「だから、あんまり調べさせない方がいい」
「危ないってこと?」
芽衣は答えなかった。
そのまま店を出ていく。
ドアが開き、外の冷たい空気が一瞬だけ店内へ入った。
鈴が鳴る。
閉まる。
ひかりは立ったまま、空いた席を見ていた。
三人。
私たち三人。
奥村。
梶原。
坂東。
ファイルの中で並んでいた名前が、今度は芽衣自身の口から一つのまとまりになった。
透の資料が怖かったはずなのに。
今は、その資料の方が正しいように見え始めている。
ひかりはゆっくり椅子へ戻った。
スマートフォンを取り出す。
透とのトーク画面。
《今どこ》
ちょうどメッセージが届いていた。
指が止まる。
言えばいい。
梶原さんと会った。
三人って言った。
何か隠してる。
そこまで打てばいい。
ひかりは画面を見た。
そして、
《駅》
とだけ返した。
《何してんの》
《用事》
送信。
既読。
《帰り遅くなるなら連絡しろ》
ひかりは小さく息を吐いた。
《誰に》
少しして、
《俺じゃなくて家に》
返ってくる。
思わず笑った。
笑った後で、余計に胸が重くなった。
この人に違うと言ってほしくて調べている。
なのに自分の方が、どんどん言えないことを増やしている。




