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『幼馴染が連続殺人犯かもしれない』  作者: asnt2026


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第11話 開けてはいけないもの

翌日の夜も、ひかりは透の部屋にいた。


昨日と同じローテーブル。同じ問題集。同じ麦茶。


違うのは、机の端に置かれた黒いファイルを意識している自分だけだった。


窓の外では風が少し強くなっていた。昼間は暖かかったのに日が落ちると急に冷え込み、少し開いた窓から入る空気がカーテンの裾を揺らしている。階下からは味噌と焼いた魚の匂いが上がってきて、隣の家からテレビの音が微かに聞こえた。


「そこ違う」


透が言った。


ひかりはノートを見る。


「どこ」


「二行目」


「合ってるでしょ」


「符号」


指された場所を見る。


プラス。


正しくはマイナス。


「細かい」


「数学に細かいも何もない」


「意味が合ってればいいじゃん」


「答え変わってるけど」


「じゃあ意味も違うね」


透が小さく息を吐いた。


いつもなら、ひかりはその顔を見て笑う。


今日は一度だけ口元が動き、すぐ戻った。


黒いファイル。


見ない。


昨日そう決めた。


透が何も言わないからといって、勝手に見ていい理由にはならない。


分かっている。


ひかりは問題集へ視線を戻した。


英文を一行読む。


二行目。


三行目。


気づけば内容を何も覚えていない。


「集中してないだろ」


「してる」


「今どこ読んだ?」


「英語」


「それは分かる」


透が呆れたように笑った。


その顔を見ると、余計に嫌になる。


こんな人が何か危ないことをしているはずがない。


ずっと隣にいた。


小さい頃から知っている。


大きな嘘をつくのが下手なのも、何か考えている時に親指の爪を人差し指で触る癖も知っている。


今もやっている。


ひかりは視線を落とした。


知らないことだってある。


その当たり前が、今になって妙に重い。


「飲み物なくなった」


透が自分のコップを見る。


立ち上がった。


「ひかりもいる?」


「うん」


「麦茶?」


「うん」


透がドアへ向かう。


ひかりは問題集を見たまま、


「ありがと」


と言った。


扉が閉まる。


階段を下りる足音。


ひとつ。


ふたつ。


遠ざかっていく。


部屋が静かになった。


時計の秒針。


外を通る車。


風でカーテンが擦れる音。


ひかりは顔を上げなかった。


黒いファイルは視界の端にある。


見ない。


手を出さない。


透が戻ってくるまで数学をやればいい。


シャープペンを握る。


一文字書く。


止まる。


奥村の声を思い出した。


――最近、二年前のことを調べてる奴がいる。


透は違うと言った。


奥村が生きていた時には、まだ調べていなかった。


そこは信じる。


なら、透は奥村が死んだ後に何を知ったのか。


どうして梶原芽衣と坂東祐生へ辿り着いたのか。


どうして自分が奥村と会った時間まで書いているのか。


聞いた。


答えてくれなかった。


確認してから話す。


違っていたら困る。


その言葉は透らしかった。


透らしいからこそ、そこに何があるのか分からない。


階下で冷蔵庫が開く音がした。


ひかりは椅子から立った。


自分でも、動いた後で気づいた。


机まで三歩。


黒いファイルがある。


手を伸ばす。


表紙に触れる。


冷たいわけでもないのに、指先が少し引いた。


やめよう。


戻ればいい。


まだ開いていない。


ここなら何もしていないことにできる。


ひかりはファイルから手を離した。


一歩戻る。


その時、表紙の隙間から付箋が見えた。


《10月3日 奥村》


その下。


《梶原》


さらに、


《坂東》


ひかりは唇を噛んだ。


もう一度ファイルへ手を伸ばした。


今度は開いた。


紙の擦れる音が、思ったより大きかった。


一枚目。


日付。


場所。


時刻。


奥村亮介。


河川敷付近で死亡。


警察発表の内容と新聞記事の印刷。


その横に透の文字。


《前日 17:26頃 中原ひかりと駅前ファミレス》


呼吸が止まった。


自分の名前。


次。


地図。


奥村が見つかった河川敷。


駅。


ファミレス。


学校。


線で結ばれている。


犯行経路ではない。


見れば分かる。


ただ位置関係を整理しているだけだ。


次の紙。


《梶原芽衣》


現在通っている高校。


奈緒と同じクラスだったこと。


SNSから拾ったと思われる情報。


そして、


《宮前奈緒について聞いた直後、坂東祐生の名前を出す》


次。


《坂東祐生》


県立工業高校。


奈緒。


奥村。


梶原。


三人を結ぶ線。


ひかりの喉がゆっくり狭くなる。


奥村は死んでいる。


梶原は生きている。


坂東も。


昨日までなら、それだけだった。


今は順番に見えた。


そんな見方をしてはいけない。


透は事件を調べている。


本人もそう言っている。


だから資料があるのは当然だ。


だったら。


どうして見せてくれなかったの。


紙をめくる。


今度は自分の名前が上にあった。


《中原ひかり》


ひかりの指が止まった。


その下に並んでいるのは、日常の記録ではなかった。


奥村と接触した日。


ファミレスへ入ったおおよその時刻。


出た時刻。


大庭から事情を聞かれた日。


《宮前から匿名アカウントについて相談を受けていた》


そこまで。


昨日までの自分なら、たぶん笑えた。


何これ。


警察みたい。


実際そう言った。


今は笑えなかった。


自分の知らないところで、自分の行動が紙に並んでいる。


理由をなくした時刻だけを見ると、それは自分の生活なのに、自分ではない誰かの行動記録に見えた。


下に小さな文字。


《奥村と会った内容を全て話していない》


指先が震えた。


事実だった。


事実だから余計に嫌だった。


階下で食器の触れ合う音がする。


透が戻ってくる。


閉じないと。


そう思うのに目が離れない。


次のページ。


ICレコーダー。


そこに、


《奥村》

《梶原》

《四人》

《女声・不明》


と書いてあった。


女声。


ひかりはそこを二度読んだ。


意味は分からない。


ただ胸の内側で、細い糸が引かれた。


階段の一段目が鳴った。


ひかりはファイルを閉じた。


元の位置。


少しずれた気がして直す。


椅子へ戻る。


問題集を開く。


シャープペンを握る。


透が入ってきた。


「はい」


麦茶が置かれる。


氷がグラスの中で小さく鳴った。


「ありがと」


自分の声が遠い。


透が座る。


「どこまでやった?」


ひかりは問題集を見る。


さっきと同じ問題。


「まだここ」


「全然進んでないじゃん」


「ちょっと考え事」


「人生?」


前に自分が言った言葉。


透は覚えていた。


ひかりは笑おうとした。


うまくいったか分からない。


「そんな感じ」


透は何も疑わず、自分の問題集を開いた。


ひかりはその横顔を見る。


何度も見てきた横顔。


でも今は、机の上の黒いファイルがその輪郭へ薄い影を重ねていた。


開けなければよかった。


そう思った。


なのに同時に、


開けてよかったのかもしれないとも思ってしまった。


その二つが胸の中でぶつかり、どちらも消えなかった。



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