第4節:白夜への巡礼
北へ進むほどに、世界から夜が消えていった。
それは太陽が昇っているからではない。
厚い雲の向こう側、地平線の果てから、不気味な白磁のような光が常に漏れ出し、雪原を青白く染め上げているのだ。
もはや、軍と教団の区別などなかった。
歩みを止めた者は、軍人であろうと司祭であろうと、等しく凍土の一部となる。
救護班の馬車はとうに壊れ、私は自らの足で、血の混じった雪を踏みしめて歩いていた。
「……エリナ様、見てください……」
隣を歩く若い修道女が、震える指先で自らの腕を捲った。
そこには、私の掌にあるものと同じ、赤黒い斑点が蝶の羽のように広がっていた。
痛みはない。
ただ、そこにあるはずの肉が、自分のものではないように冷たく、感覚が失われていく。
私は彼女の手を握りしめたが、その私の指先からも、不自然に爪が剥がれ落ちていた。
「大丈夫よ。あそこ……あの光の源に辿り着けば、きっと」
その言葉は、もはや祈りですらなく、自分を支えるための呪文だった。
やがて、猛吹雪が止んだ。
視界が開けた先、私たちはついに「それ」を目撃した。
そこには、自然が作り出した山などでは到底ありえない、巨大で無機質なコンクリートの塊が、大地の裂け目に突き刺さるように鎮座していた。
窓一つない、滑らかで巨大な壁。
その中央には、カイルが持ち帰った地図や、軍の研究所、そして教団の地下で見た、あの『三つの扇形』の紋章が、何よりも大きく、何よりも禍々しく刻まれていた。
『ONKALO』
門の傍らに刻まれた、たった六文字の記号。
私たちの言葉では「隠された場所」を意味する古い響きに似ていた。だが、その下に並ぶ精密な直線状の記号――。
『This place is a message... and part of a system of messages... pay attention to it!』
『The danger is in a particular location... it increases towards a center... the center of danger is here.』
読めないはずのその記号が、私の脳裏に直接、冷酷な警告を打ち込んでくるようだった。
ここは神の家ではない。
ここは、かつての文明が「決して触れてはならない悪魔」を閉じ込め、数万年の沈黙を強いた、巨大な棺桶なのだ。
「おお、ついに辿り着いた! 聖域の門だ!」
背後から、ボロボロになったゲルハルト閣下が、歓喜に震える声を上げた。
彼は崩れかけた足取りで門へ駆け寄り、沈黙した『雷を喰らう槍』を杖代わりに、コンクリートの壁を撫で回した。
「見ろ、この密度! この硬度! この中に、帝国を万年支えるだけの火が眠っているのだ!」
教団の司教も、もはや目が見えないのか、虚空を仰ぎながら狂ったように賛美歌を歌い始めた。
彼らには、この門が放つ「絶望の気配」が見えていない。
私が持っている『聖光の瞳』が、今までにないほど激しく明滅し、ついにはパチンと音を立てて砕け散った。
中の光が漏れ出し、私の手に冷たい火傷を残して消えていく。
救いなど、最初からなかった。
私たちは、神の慈悲を求めて旅をしたのではない。
過去の人間たちが、あまりに恐ろしすぎて捨て去った「ゴミ」を、黄金と勘違いして掘り返そうとしている、哀れな墓荒らしに過ぎない。
「エリナ、開けろ。お前の『清浄な手』で、この門の封印を解くのだ」
司教の枯れ枝のような手が、私の背中を押す。
私は、震える手を門の重厚なハンドルにかけた。
もしこの向こうに、人々の病を癒やす奇跡がないのだとしたら。
もしこの向こうにあるのが、大陸すべてを焼き尽くすほどの、果てしない「見えない地獄」なのだとしたら。
それでも。
私は、自分が捧げてきた祈りの正体を、そして、人々の命を奪い続けたこの「光」の正体を、この目で見届けなければならない。
「……主よ、お許しください」
私は力を込め、静止を促す死者の警告を無視して、禁忌の門をゆっくりと押し開いた。
そこから溢れ出したのは、青白く、どこまでも透明な、死の輝きだった。




