第70話「弁正粛々」
月明かり
向かい合うたぬき
柔らかな毛並み
穏やかな笑み
罠をすり抜け
罠を仕掛ける
騙し
騙され
また騙し
夜明けになっても
まだ霧の中
【望澪星環群、澪安(研究星環)】
澪和騎士団事務所 応接室。
杉原行成ともう一人、年配の男性が向かい合ってソファに座っていた。
年配の男性は建花厳治郎。
騎士運の委員長である。
「通信では、記録に残りかねませんのでね」
だから、副委員長に直に面会したのでしょう、と建花は暗に当てこすった。
「この騎士団事務所内、
特にこの応接室は格納庫と並んで諜報対策が万全です……たぶん。
密談をご要望であれば、こちらの記録を削除するように申し伝えますが?」
既に録音や録画で記録を開始しているぞとやり返す行成も負けていない。
「腐敗を発見したなら、
騎士運の公正委員会事務局に報告いただければよかったのに」
建花は嫌味を平然と受け流す行成に呆れたという風に大きくため息をついた。
「ええ、もしも腐敗を発見したなら、そうしましょう」
行成はいたって涼しい顔である。
腐敗を突破口に自身の要求をゴリ押しすることは不正ではないという立場である。
「……副委員長は、更迭しません」
行成は首を少し傾げた。
「急病で倒れましたのでね。
重篤のため、今は療養しております」
そういうことか、と行成は親しい者なら気づく程度の含み笑いをした。
「故人の名誉をわざわざ汚すまでもないと、考えております。
もちろん騎士運の信用にも関わることでもありますし。
諸悪の根源が病死してしまっては、残された我々だけでは信用回復に努めるのが難しくもなります」
病人のはずの副委員長は、建花の中ではすでに故人扱い。
善人そうな面持ちである委員長であったが、腹の中身はそうでもなさそうだ。
副委員長にしても、本当に病気で療養しているのかも怪しい流れだったが、謹慎中であるかすらも怪しくなってきた。
「……先走ってしまいましたな。
彼はまだ存命と聞いておりますし。
今日は、そのことではなく、別件でこちらに参った次第でしてね」
建花の言い分を端的にまとめると次のとおり。
恐らくは病気で正気ではなかった副委員長が、次の試合の日程発表後に組み合わせを変更するような真似をして、各所に迷惑をかけてしまった。
再度、変更するにもかえって迷惑をかけることになりかねないため、変更は有効としたい。
「関係各所にこうして、
私自ら頭を下げて回っているのですよ」
文書や通信では礼を失すると考えて、謝罪行脚をしているのだと。
なるほど、そう来たのか。
共犯であることを見逃してやるから、今回の割り込みは黙認してやるからこれきりにしろと。
この面会について、こちらの録音や録画が逆に有罪の証拠となりかねない状況を作られたわけか。
こちらの冠試合、沖大地の招待をそのまま認めるということであれば、行成としては特に異議を挟むことはない。
「何とも、大変なことです。
健康は大事ですね。自戒としましょう」
悪魔同士の邂逅も、もう十分だろう。
行成は立ち上がって応接室のドアを示した。
こちらは委員長に用はなく、そちらの用事は済んだろうから……
さっさと帰れ。
澪和騎士団 格納庫。
静まった空間に、3人の男が顔を突き合わせていた。
澪和騎士団マネージャー、杉原。
澪和騎士団総務課長、双向。
整備班長、附子島。
箱を大きくいじることができない以上、性能はトレードオフになる。
附子島が口火を切った。
当然の理屈である。
「翠シリーズはニトロ機構が強み。
澪和航空の研究をつぎ込み、燃料搭載量も徹底的に吟味して、
他所とは一線を画すほどには取り扱いに長けている。
そう、自負している」
附子島は一息ついた。
「あの莫迦、ニトロを増やせと言ってきやがった」
行成が長時間の超加速を欲しているのだという。
「実際、搭載量を計算し直したよ。
莫迦の要望を叶えるにはどうすればいいかってな」
胸部や背面の装甲を削るか。
「騎士艇の装甲は減らせねえ。
触れば破れる装甲で騎士戦とか、冗談じゃない」
金属燃料か化学燃料を調整するか。
「稼働時間を想定して、通常航行、緊急航行に必要なだけ積んでいる。
生きて帰るための量だ。
ニトロ燃料、つまり別種の燃料の積載質量を増やせば、
当然それを運ぶための通常燃料を増やさなきゃならん道理だ。
減らせば、早く走るために足を斬り落としました、ってのと変わらん。
本末転倒になるから、こいつもいじれない」
生命維持機構か脱出機構をどうにかするか。
「もちろん論外だ。
人が乗る以上、生命維持機構は外せない。
脱出機構にしてもシャボン式になって以降、
これ以上コンパクトにするのは不可能だ」
残るは、空間を削るか。
だが、遊びの空間は無駄ではない。
騎士艇の内側すべてを埋めつくせば、そこには行き場を失った排熱によるオーバーヒートが待っている。
これも、本来は手を付けてはいけない領域だ。
まして、大排熱前提のニトロ機構を増量するためなど……
「だが、莫迦の要望を叶えるには、ここしかない……」
附子島は天を仰いだ。
駄目だと何度も行成に断った。
だが、引かない。
行成が沖大地戦にどれだけ全身全霊を投げうっているか、知っている。
行成が要望したもう一つの案は、とうに出来上がって本番に向けて調整中だというのに。
いっそ、俺のクビを切れ――
杉原マネージャーは何も言わない。
こうなった行成が耳を貸さないのは一番よく知る身である。
双向は……
いったい誰に悪魔が宿ったのか。
行成を生贄に捧げた
対『沖大地』特別仕様……
『翠兵旋』が完成した。
【諸角星環群、陣治(政治星環)】
星環騎士戦運営委員会事務局 倉庫。
大きく膨れ上がった災害用の納体袋が大小7つ並んでいる。
中に何か入っているのか、いずれも少しだけ上下動している。
ここはどこなの、おじいさん? ゴホッゴホッ……
倉庫の外には見張り役と思しき職員が2人。
彼らに命じられたのは、
倉庫の扉を決して開けないこと。
倉庫に何人たりとも出入りさせないこと。
「疫病の疑いって発表するなら、病室くらい用意しといてくれよ」
一人は見張り以外にはすることもなく、自分の長い髪を指でくるくる巻き取る。
ただの愚痴だと理解はしている。
病院に隔離しては、塞がなければならない口もその分、増えてしまうことになる。
何なら、自分たちだって倉庫に入る羽目になりかねない。
「何で私たちが見張らなきゃならないんだよ。
委員長が、自分でここに立てよな」
もう一人は声を荒げて何度目かの地団太を踏む。
「……むしろ中で袋詰めになる方が正解だろ」
冷めた方が混ぜっ返しつつ、指にからめた髪を眺めて見つけた枝毛を手で千切った。
「違いない」
犬のおまわりさんは、この倉庫にはやってこない。
倉庫の子猫が、家に帰ることはない。
こんなくそったれな仕事なんて、笑い飛ばしでもしないと、やっていられないのだ。
悪魔は、いったい誰なのか。
諸悪の根源か。
命じた者か。
自分たちはこれから、小さな子どもまで見……
【北斗星環群、瑞穂(居住星環)】
黒崎運輸本社 会議室。
黒崎健吾が端末データを壁のモニターに画面共有させた。
居並んだ大地、佐祐倫、滋野の視線がモニターに注がれた。
赤銅騎士団一行の望澪星環群への旅程申請を終えたことを示している。
「まあ、運ぶ人員や荷物の内容に変わりはなかったから、
航路と各星環への入所許可の取り直しくらいだったな」
申請は、元のものをほとんど丸写しだったよ、と健吾は肩をすくめた。
入所許可は現在のところあくまでAI審査による仮許可であるが、本審査で弾かれてしまうことはまず起こらない。
事務軽減のためのAI導入であることから、担当職員は要所だけ目視で確認したら責任者への決裁に回してしまうのが常だ。
その責任者も、要所だけ目視で確認して決裁してしまうのが常である。
人間よりよっぽど厳しいAIチェック済みの案件をなぜ人の目で見る必要があるのだ、と。
いわゆる、自動化バイアスと責任の分散が生み出す、チェック機構の劣化である。
手早く厳正に。
チェックポイントを増やすことは、安全対策として安易に組み込まれる。
しかし、そもそもの仕事量を念頭に置かず、チェック箇所/回数を増やすことは、業務負担増を招くだけでなく、責任感まで曖昧にしてしまう。
机上の精神論の、これが限界である。
ほかは、輸送費用は目的地の変更によって当然修正しなければならないが、冠試合は慣例で基本的に交通費と輸送費は主催側持ちである。
赤銅騎士団側に実質負担もないのであれば、振り回された側として、適正範囲内に抑えた多少の嵩増し請求は許されよう。
「先週の打ち合わせでも言ったような気がするが、
アウェイの観戦会場で物販ブースを開くとか、
命知らずなことをやるもんだ」
特に、今回は大地にはさらに風当たりがきつい望澪星環群だろう、と顔を顰めた健吾は椅子の背もたれに体を預けた。
「大地くんの人気は、北斗星環群を超え始めている。
手に入るまでに時間のかかる通販ではなく、
自分の星環群に大地くんがいるというその時に、即グッズが手に入る。
これが大事なの」
立ち上がった佐祐倫が拳を握って力説する。
まるで白石美月のような言い草だ。
より背の高い佐祐倫だと、なおさら迫力、いや説得力がある。
「できれば……
大地くんがサイン会とか手売りする時間が取れたら一番なんだけど」
佐祐倫は隣に座っている大地に視線を向けた。
まだ言うのか、と大地はぷいと横を向いた。
試合前は、試合に集中したい。
試合後は……疲れているのは構わない。
でも、逆上した向こうのファンに囲まれるのが怖い……
もうこりごりだ。
諸角星環群の丹鶴で、それこそ次の対戦相手である杉原行成が起こした蛮行の巻き添えで、激怒した住民に追い掛け回されたことを思い出した大地は、身がすくんだ。
礼文慎を大怪我させたのは、俺じゃなかったのにさ。
望澪が諸角ほどじゃないにしても、
わざわざ火中の栗を拾いたくないね。
畢竟、サイン会なんか暴徒にとってはいい標的じゃないか。
そもそも、数時間の手売りで、どれほど売り上げが変わるんだよ。
金額じゃないのよ、と肩を落とす佐祐倫。
手売りに並ぶファンたちには、大地とともに過ごした時間が宝物になるといっても、相変わらず自己評価の低いままの大地には伝わらない。
大地が自分自身の価値を認める方向に向いてほしい佐祐倫の思惑も空回り……
大地の扱いにすっかり慣れた滋野は、騎士と秘書のすれ違いをよそ目に、航行スケジュールと整備班スケジュールのチェックを終えると、傍で控えていた黒崎運輸の職員にお茶のお代わりを所望した。
ここに悪魔はいない。
そして、大地は自分を救おうとする天使を、見ようとしない。
木漏れ日
揺れる森の小道
小さな足音
跳ねる音
美味しい木の実を見つけたよ
ハツカネズミは喜んだ
待っていたのは
たぬきさん
弱肉強食
それよりも
今日は一緒に
お茶でもいかが?




