第66話「自分を探す家路」
見失った自分
どこにあるの?
わたしはどこなの?
『黒崎住建』。
表札にはそのように書かれていた。
確かに相当に大きい区画を占めている立派なお屋敷だ。
だが、作業場などは見当たらず、立派な住宅以外のものには見えない。
大地は隣にいた佐祐倫に尋ねてみた。
実家って話だけど、何かしらの家業の事務所と兼用なの?
「……えっと、くろさきじゅうけん、じゃなくて、
くろさき・おきたつ。父の名前だから」
爺様が壮健だったよな。
縁が近いのかしら。
「父は婿養子で、母が、そのお爺様の……三女だったかしら」
へえ……
軽い相槌を打つ大地。
すでに興味が薄れている。
「黒崎運輸で働いていた母が、会社に出入りしていた父を見初めて……」
ねえ、入らないの?
佐祐倫の喉から蛙を踏みつぶしたような音が漏れた。
意を決した佐祐倫の手がインターホンのボタンの上に置かれる。
そのまま何度も深呼吸をするが、なかなかインターホンを鳴らそうとしない佐祐倫。
大地がその佐祐倫の手に自分の手を重ねて、ボタンを押した。
再び、佐祐倫の喉から蛙を念入りに踏みつぶしたような音が漏れた。
ほどなくして、インターホンから女性の声が聴こえた。
大地は佐祐倫に応えるように促した。
「あ、あの……佐祐倫、です」
インターホンの向こうで何かが転がる音が聞こえた。
さほど間を置かず、今度はドアの向こうから何かがぶつかった音が聞こえた。
大地は既視感を覚えた。
具体的に言うと、初めて赤銅騎士団事務所に顔を出したとき?
大地は咄嗟に上から何かが落ちてくるのに構えたが、ドアは普通に開けられた。
仲違いをした親と、よりを戻したい。
佐祐倫の口からそんな言葉が紡がれた。
自分の将来を考え直して、意見が衝突した『モデル業』にも区切りをつけてしまった現在、一度実家に顔を出したいとのことだった。
家を飛び出すついでのように辞めてしまった大学も、夜学に通い直して経済学部を無事卒業したことも伝えて安心させたいと。
いいんじゃない?
というか、
よりを戻したって報告ならまだわかるけど、
俺に了解とか、いらないでしょ?
佐祐倫はひし、と大地の手を掴んだ。
「10年以上、帰ってなくて……
今さら会うの怖いの。
一緒に来て」
電話の着信拒否までしていた手前、一人だと心細いのだという。
そういうものだろうか。
まあ、自分の親に拒否されるかもって、結構な恐怖の気がするね。
いいよ、いつ行くの?
佐祐倫の両親は共働きで忙しく、揃って家に居るのは限られているという。
とりあえず、今日の今時分だそうだ。
もっとも、忙しいのは大地たちも変わりない。
これから数日をうじうじして過ごすよりは、いいかもしれない。
よし、出かけようか。
「ま、待って……身支度も何もしてなくて」
親に会うんでしょ?
いるかよ、そんなもん。行くよ。
大地は佐祐倫の背を押して部屋を出た。
中から姿を現したのは、隣にいる佐祐倫によく似た雰囲気の、まだご年配というには早い女性だった。
その女性を前にして、佐祐倫は下を向いてしまった。
これじゃ、黒百合の頃に逆戻りだな。
「おかえり、佐祐倫」
「ただいま……」
佐祐倫さんのお母さんかな?
表札によると、『紬生』。
何て読むんだろうか。
しかし、肝心の佐祐倫が俯いたままだ。
大地は佐祐倫の肩を軽く叩いた。
「……あの、知っているかもだけど、
私が今、働いている赤銅騎士団の、沖大地さんです。
大地さん、あの……母の黒崎紬生です」
はじめまして、沖大地です。
娘さんにお世話になっております、と挨拶したところで紬生から、家に上がってお茶でもと勧められた。
さあ、入りな、と大地がぐずる佐祐倫の背中を押した。
その様子を見ていた紬生がからからと笑った。
よく似ている。
やはり、母娘なのだな、と大地は思った。
応接間に通された大地たち。
今度は大地が気まずい思いをする番だった。
『揃って家に居るのは限られている』
『とりあえず、今日の今時分』
なぜ聞き流してしまったのか。
ソファの対面には、屋敷の主である黒崎住建と思しき壮年の男性が陣取っていた。
佐祐倫は借りてきた猫のようになってしまってまるで頼りにならない。
あなたの実家でしょうが。
まあ、家出同然とは聞いていたけど……
えーと?
整理してみよう。
ここに10何年かぶりに帰省した家出同然の娘。
両親が揃っているであろう時間を見計らって。
その隣には、よく知らん男が付き添っている。
謀ったな、佐祐倫さん!
しかし佐祐倫の方は、大地のノリに付き合える余裕はないようだった。
……意気消沈を人の形にしたらこんな感じか。
なんだその今にも捨てられそうなワンコみたいな風体は?
住建は住建で、久しぶりに会う娘に声をかけようともしない。
大地の方なんて見ようともしない。
紬生に案内されてから、ほんの数分のことであったが、この修行のような無言の時間は1時間くらいに感じられた。
「紅茶でよかったかしら」
紬生がトレイに人数分の紅茶を用意して戻ると、ようやく住建の醸し出す空気が少しだけ和らいだ。
俺も挨拶すべきだろうけど、
まず佐祐倫さんから口火を切るべきだよな……
大地は佐祐倫を見た。
まだ、まごまごしている。
大地は住建を見た。
じっと力を溜めている。
大地は紬生の方を仲間になりたそうに見た。
紬生は仲間になった。
いや、テレビゲームじゃないんだよ。
大地は紬生に目で合図してみた。
察しのいい紬生は全員に紅茶を配り終えると、住建の隣に腰かけた。
「はいはい、いつまで難しい顔してるの。
せっかく帰ってきた佐祐倫が怯えてるじゃないの」
うんうん。
思わず同意する大地。
ここで初めて住建の視線が向けられた。
若干、殺意が含まれていないですかね……
「……しょうがないわね。話が進まないから、私から。
改めて、佐祐倫の母、黒崎紬生です。
こっちのおっかない顔して威嚇しているのが、父の黒崎住建です。
佐祐倫、あなたが連れてきたのだから、
そちらの方については責任もって私たちに紹介なさい」
優しげな声だが、充分迫力のある声に佐祐倫の腕がゆっくりと上がって大地を指した。
「お、お父さん……私がいつもお世話になっている、沖大地さんです」
うん、もう少し言葉を選ぼうか。
お父さん、めっちゃ俺を睨んでるからね……
「義父……さん?」
あの、気が逸ってそう呼んだわけじゃ、ないですからね。
便宜上、というか言い回しじゃないですか。
とりあえず、仲直りしたいけど、怖いから付いてきてって言われたから……
本当、怖いですよ、お父さん!
大地も途中から腹が立ってきて、つい挑発してしまう。
妙にいきり立って睨み合いになってしまう大地と住建の二人。
「佐祐倫、
まずお父さんに言うことがあるんじゃない?
放っておいたら、喧嘩を始めそうな勢いよ」
紬生は落ち着き払って紅茶を啜った。
そして、大地に向かって温かいうちにどうぞ、と声をかけた。
大地もことさら元気な声でいただきます、と言って紅茶を一気に飲んだ。
相当熱いはずの紅茶を一気に飲み干した大地を見て、住建も負けじとティーカップを引っ掴んで一気に……
「むせるほど慌てて飲まなくていいのに」
紬生は激しくせき込んだ住建の背をさすりながら大地に微笑む。
大地も微笑み返す。
狙ったわけではないが、一触即発の睨み合いは一時的ではあるが、避けられたようだ。
何とか場は作ったよ、と大地が佐祐倫の肩を優しく叩いた。
「お、お父さん、お母さん、ごめんなさい」
ようやく咳の止まった住建が佐祐倫の方を向いた。
「ただいまも言わずに、それか。
お前は、何を謝っているんだ」
佐祐倫はうっと詰まった。
言いたいことは今日までたくさん反芻してきた。
だが、思った以上に言葉になって出てこない。
「私は、期待を裏切ったんでしょう?」
「……そうだな」
口調は穏やかだが、父の目がまだ鋭い。
「怒ってるんでしょ?」
「怒っていたな」
「今も?」
「今も、私たちの娘だ」
住建の肩から力が抜け、周りの空気が和らいだ。
そして、その下から柔和で優しい表情が現れた。
本来の住建は、穏やかなのだ。
「お、お母さんにも……私、勝手に大学を辞めて、ごめんなさい」
「今さらそんな話なの?」
「だって、お母さん、いっぱい反対してたし、怒ってるでしょ?」
「それなら、お茶なんか出さずにすぐ追い返したわよ。
何があっても、何をしても、
あなたが私の娘じゃなくなるなんて、ありえないのよ。
あの頃は、ただ止めることに必死で。
あなたに人生を失敗してほしくない、
良かれと思っていたけれど、
言葉が足りなかったのかな、とか。
この10何年か、ずっと堂々巡りでね。
とにかく、戻ってきてくれて、ありがとう」
佐祐倫は、たまらず母に抱き着いた。
紬生は娘を抱きしめた。
住建も照れが勝ったのか、妻と娘から目を逸らして頬を掻いた。
大地は……
張り付いた笑顔で。
冷めた心で。
君がどこに居るかって?
さあね
君んちじゃないの?
ところで
青い鳥がどこにいるか知らないか?




