第65話「錯綜する伝説」
静寂が支配する空間の淵。
並び立つ二つの影。
王冠の重みを知る、
幾多の嵐を耐え抜いた支配者。
王冠を奪わんと牙を研ぐ、
飢餓を瞳に宿す開拓者。
ゴングが、鳴る。
大野間が宿願の金星を挙げていた頃。
【望澪星環群、旭多(廃棄星環)】
『轟焔騎』操縦室内。
ゆっくり深く深呼吸をして、炎城志朗は肩の力を抜く。
その脳内では、突撃のタイミング3パターンを反芻していた。
そして、計器に目をやりながら炎城志朗の指が細かく動く。
それぞれの突撃に続くそれぞれの分岐を繰り返し確認する。
考えるな。感じろ。
大脳皮質で判断していては、咄嗟の対応に間に合わない。
条件反射となるまで繰り返し鍛錬で体に浸み込ませておけ――
悲しいことに、これほど誤解の多い真言もない。
感じたままに動け、はまだましな方。
思考放棄した莫迦の言い訳に使われがちである。
その莫迦も『パブロフの犬』くらいは知っているだろうに。
梅干を見て唾液が分泌されるだろうに。
誰が放った言葉なのか。
それはもちろん大事な要素である。
含蓄のある言葉は、その背景なしに生まれることはない。
だが、文化の伝達においては、誰が聞いてしまったのか、もまた重要な要素である。
偉人であるほど、その言葉を聞いた者という裾野は広がり、その意図は歪みやすい。
条件反射には、もう一つの効用がある。
考えるよりも先に体が自動的に動いた結果は、感情の波が起こりにくい。
咄嗟に放った技で相手が死亡しても、昼休みが終わるチャイムの音で、無意識に自分の机に戻るように、炎城志朗は何も感じない……
『炎城さん、大野間が礼文に勝ちましたよ。
花を添えてくれた大野間の心意気に、応えましょう』
今日のオペレーター担当から激励の通信が入った。
試合直前に珍しいことだ。
戦績上、苦手とされる杉原行成と戦う前の炎城を気遣ったのだろう。
しかし、大野間……礼文……
どのような騎士だったか?
無論、知っている。
名も、顔も、戦績も。
だが、それらは立体的な像を結ばない。
茂みの向こうで音がしても、獲物に爪を掛ける寸前の山猫は振り返らない。
闇に深く沈んだ炎城志朗の視界に映るのは、杉原行成だけ。
『翠兵旋』操縦席内。
杉原行成には自負がある。
イージーな試合は一つもなかったが、過去4戦4勝。
炎城志朗を一度終わらせたのは、礼文慎よりも自分である。
3期にわたる総合優勝者。
それは素晴らしい偉業であろう。
特に今のトップリーガーの世代は、炎城の絶対王者時代の洗礼を浴びながら育った騎士たちが多い。
知らず知らず、平伏してはいないか?
高瀬長門を絶対存在として仰ぎ、騎士となった行成にとっては、炎城は初めから排除すべき障害でしかない。
憧れが、ない。
そんなことよりも、
「俺は沖に2敗もしてしまっている。今年度も負けた。
騎士運の気まぐれに任せて沖との組み合わせを待つのもいいが……」
スポンサーからは、既に沖との冠試合名乗りは今年度については行わないとの通知があった。
残る手段は先週から募っているクラウドファンディング。
つまり、有志からの出資頼み。
だから、
「炎城のクビという実績が、是非欲しい」
やがて試合開始のブザーが鳴り響く。
開始と同時に『翠兵旋』と『轟焔騎』は互いに距離を詰めていく。
お手本のような馬上槍試合スタイル。
本家は楯や胸当てを狙って落馬を誘い、壊れやすい槍や専用装甲を使うなどして互いに安全性を高めていったという。
星環騎士で落馬と言えば、船外離脱になるのか。
宇宙遊泳といった優しいものならいいが、放り出された勢いが落ちぬまま、大抵は回収されることなく宇宙の藻屑、生化学デブリと化す。
どちらかと言えば、星環騎士戦の性質は古代の海賊による移乗攻撃の方が近いのかもしれない。
鉤縄や搭乗用矛で船同士を固定するところからはじまる移乗攻撃というのは、何とも皮肉である。
距離が縮まるに従い、『轟焔騎』は右腕のニトロ機構を起動した。
一本の斧槍と化して、『轟焔騎』が大楯を構えた『翠兵旋』に突撃する。
斧槍が大楯に食い込んだ瞬間、『翠兵旋』は進行方向に対して横方向にスラスターを噴かした。
今回の大楯の素材は、塑性よりも弾性を重視したもの。
刃を受け止めた大楯は、『翠兵旋』のスラスターによる捻りを加えて斧槍を巻き取っていく。
斧槍と一体化することで剛性を高めている『轟焔騎』ごと。
斬らせる前提で無力化する。
動きが一瞬鈍った『轟焔騎』の腹部に、『翠兵旋』の副武器、短剣が差し込まれる。
【望澪星環群、伏露(居住星環)】
観戦施設。
《『轟焔騎』が降参したため、
星環騎士戦規則の第3条第一項第2号に基づき、
『翠兵旋』の勝利です》
引退から一転復帰を遂げた、いや危険な災害に化けた炎城志朗を、杉原行成が止めた。
地元の英雄の完全復活に、満員の観客が沸いた。
【望澪星環群、旭多(廃棄星環)】
『轟焔騎』操縦室内。
「ああ、短剣は抜かずに、手を離してほしい」
炎城は行成との通信を切った。
『翠兵旋』の放ったトドメの短剣は、炎城の居る操縦室まで届いていた。
操縦系統は生きていて、このように通信設備もまだ無事だ。
しかし、この炎城の足元に見えている短剣が引き抜かれでもしたら……
炎城の降参は、適切だった。
しかし、杉原行成という騎士、どうにもやりにくい。
高瀬を信奉していると公言していながら、まったく踏襲していないこの騎士に、また自分は勝つことが出来なかった。
苦手意識を残したつもりはないのだが、これも条件反射なのか。
「高瀬とは別種の、天才か」
行成を認めることで、かろうじて自分の誇りを保つしかないのか。
自分の努力だけは、否定したくない。
操縦パネルに足を投げ出した炎城は、失踪したまま姿を見せないと聞く、同時代を生きた盟友たちの顔を思い浮かべる。
その高瀬をはじめとする数々の天才を叩き伏せてきた、努力の結晶しか持っていない炎城志朗。
【北斗星環群、瑞穂(居住星環)】
公営観戦施設
竣工して間もない綺麗な観戦施設。
大地が資金を出したわけでも、まして建設したわけでもないのだが、誰が呼んだか、別名『沖アリーナ』。
公営ではあるが、『黒崎運輸』『大網商事』『大網水産』『大網食品』ほか、瑞穂では名立たる企業のスポンサー看板がでかでかと掲示されている。
このほか、沖アリーナの一角には古くから赤銅騎士団を支えてきたCクラスのスポンサー連名での看板もあり、さらに小さくクラウドファンディングに参加したファンの氏名がすべて刻まれた壁もある。
《えー、凄いですね。これ。
大楯の材質からして、こだわってますよ。》
立体モニターに映る解説役ゲストの沖。
《そうなんですか?》
受け手の女性は新進の若手俳優。
美人で、若い。
舞台袖から佐祐倫が歯軋りする音が聞こえてきそうだ。
《炎城さんの槍斧、
これも切れ味を増すために
刃の位置によって材質が変えてあるんですが、
対して杉原さんは、
いわゆる真剣白刃取りを再現しようとしたわけですね。
実際、やっちゃった》
解説が面倒になってきた大地は、行成が大楯を両の手のひらに見立て、足運びや体幹の連動をスラスターで再現したという流れを端折ってしまった。
そもそも、解説をきちんとすること自体、こちらの分析を世に知らしめることになって結局損だよな、と考える大地である。
貰ったギャラ分はもう果たしたんだから、後はうまく回してくれよ、と司会役に手で合図した。
司会役も心得たと話を引き継いだ。
今日は、大地も試合の筈だった。
今年度は特にアウェイ人気の高い大地は、冠試合で先方に招待される試合が続く。
今回も招待試合の予定であったが、運悪く会場付近をデブリ雨が回遊したため、中止となった。
相手先も自身の星環から身動きが取れないため、代わりの会場を都合できず、規程によりホーム開催側の不戦敗とされたのである。
ただで勝ち星が手に入ったのはいいのだが……
今回の大地の試合については地元開催ではなく、アウェイへの招待試合だった。
しかしながら、瑞穂側では、沖アリーナのこけら落としを兼ねた大規模観戦イベントとして準備されていたのだ。
前売入場券は即完売、急遽当日券分までをすべて前売りにしても即完売してしまっていた。
試合中止になり、不戦勝ですと言って済む状況でもなかった。
これに目を付けたのが、近頃すっかり商魂たくましい佐祐倫である。
試合もなくなり自宅で寝そべっていた大地は、佐祐倫に引っ張り出された。
そして、送り込まれた沖アリーナで、その他の生配信、再配信、録画配信の解説をする羽目になってしまった。
その大地が身に着けているのは、来週発売予定のコラボ作業服第2弾。
権利関係がややこしいとのことで、この配信中では宣伝しないで欲しいが、黙っている分には着用はしてよいとの配信運営側からの譲歩まで引き出した秘書の佐祐倫。
やってることが昔の白石美月マネージャーみたいになってきましたね。
仕事も大詰め、作業着の上着を脱いで振り回して、アリーナに詰めかけた観客に向けて挨拶をする大地。
肉眼では豆粒のような大きさの大地に向けてコールする大観衆。
試合がなくても瑞穂の熱狂は冷めやらない――
【カフェ/千代ノ音】
大地の前には
ドーナツとブラックコーヒー
大地の隣には
佐祐倫
佐祐倫の前には
カヌレ
パルフェ
パンケーキ
マリトッツォ
ショコラケーキ
マカロン・パフェ
シナモン・トースト
チョコレート・パフェ
プリン・ア・ラ・モード
チョコレート・プディング
ベリー&ホイップ・ワッフル
チョコレート・サンデー・DX
アッフォガート・アル・カッフェ
アイスクリーム&ハニー・トースト
あなたが取ってきた仕事で、機嫌を損ねないでよ……




