幕間「眼光、紙背に徹す」
見えない攻撃
死角から届く?
出所が多過ぎる?
単に速い?
まさか透明なの?
【北斗星環群、山津(研究星環)】
とある研究施設。
新型空気圧機動の開発主任である研究員Aが、詳しく検討協議したいとのことで、大地と鋼谷の二人が呼ばれていた。
繰り返しリモートで協議を重ねてきたが、開発チーム内で現在進行中の秘匿情報も踏まえての突っ込んだ話し合いの場を持ちたいとの流れになった。
まだまだ改良の余地がある新型空気圧機動を、いかに有用に活用するか――
情けは人のためならず。
持ちつ持たれつのお互い様。
これは、大地と鋼谷にとって戦技研究を進める場にもなるのだ。
協力しない手はない。
「引く力や掴む力は、なんとも苦手だね。
どうしても押す力か、それを捻った挟みこむ力に偏ってしまう。
滑車で変換してもいいが、
宇宙での戦闘機動といった重負荷が見込まれる以上は、より簡易な方が望ましい。
これは新型空気圧機動に限った話ではないが」
いつの間にか、大地の傍には風鈴寺博士が立っていた。
「ところで、大地くん。
なぜ、背後にわざわざ回っているのかね?」
そんなとき、博士から投げかけられたのは、実に素朴な疑問である。
え、えーと? プロレスだから?
質問されると思っていなかった大地は、咄嗟に適当な返答を選んだ。
「ふむ。レスリングで言うのなら、
腕取りから連携して正面タックル、
そして背後に回る、その一連動作のことかな」
博士は両の手を器用に動かしてレスリングの攻撃を表現した。
「どの格闘技でも背後を取るのは『優位性』の確保……
人体の構造上、背後は見えないし手も足も自由に届かない。
後ろへの頭突きや肘打ちといった対処もあるだろうが、
相手が見えない状態では、反撃を当てることも難しい」
軽く自分の背中を叩き、背後を振り返って、ほら、見にくいよね、とジェスチャーをする博士。
そうですね。
大地も鋼谷も、まったくもって同意である。
「一方で人間は、正面に対しては攻守ともに異常に強い。
だから、まず相手の斜めや横から回り込んで崩して、
最終的に弱点である背後に回り込む技術が向上する。
スポーツであればルールで事情が異なってくるだろうが……
合っているかな?」
よくわかりませんが、言ってることはわかります。
大地は質問してきた博士が説明し始めたので、訳が分からなくなってきた。
「君たちが操っているのは、騎士艇だろう?」
これは言わずもがな。
もはや大地は、博士の相手に飽き始めている……
博士が現れるまでは発言の多かった研究員Aも、いつの間にか姿がない。
博士がいる場では事態が急速に発展することもあるのだが、大方は話が脱線して大いに時間を浪費(博士に言わせると非常に有益な雑談)させられるためか。
もちろんです……
迷うまでもない問いに、大地は即答する。
「では、なぜ、騎士艇でわざわざ背後に回っているのかね?」
最初の質問に戻ってきた。
要は、バックを取るより最短距離があるだろうと博士は言いたいわけか。
これって質問というより、提案に近いのかな?
一度は博士の質問に飽きかけた大地であるが、それまでは誰かに細かく説明したことがないことだったので、自分がなぜバックを狙うのかという理屈の組み立てに興味が湧き始めた。
素朴であるが、当事者からするとどのように答えればうまく伝わるのか悩ましい質問である。
「えーと、ハンマースルーの慣性を、そのまま利用します……から?」
黙り込んでしまった大地の代わりに、アドバイザーである鋼谷が博士の問いに答えた。
ただ、数学はじめ理学の権威を前にして自信は揺らいだ回答となった。
「極端な話をするとだね、
相手正面の位置から腕を取って引き付けたのなら、
正面から胴締めするのが、一番早いんじゃないか?」
博士は実際に鋼谷の腕を取り、引き寄せて四つに組んでみせる。
正面から仕掛ける胴締めは、格闘技においても正解の一つではある。
門外漢の博士からここまで言語化された疑問を投げかけられた鋼谷は、専門であるがゆえに返す言葉に詰まってしまった。
「多少横にずれても、同じことだ。
また、もし胴締めをする脚部の合間に
相手が腕部をこじ入れてこようが、
新型空気圧機動の圧力に抗し切れるものではない、
そう思うのだが?」
奇人ではあるが、博士はきちんと理詰めで疑問を投げかけてくる。
「大地くんが最初に……
そのハンマースルーを使ったときは、
シールドアタックへのカウンターとして、
そのシールドの横に飛び出す必要があった。
つまり、位置関係を入れ換えた後の最短距離が、
そのときはたまたま背後だったというだけの話だ。
格闘技も騎士戦も門外漢から意見だが、違うかね?」
ずいぶんと試合映像を細かく見ているのだな、と大地は感心した。
一芸に秀でた人物は、いや博士の場合は多芸であるが、他の分野でも一般人とは違う観点を持てるらしい。
道理です。
そもそも、宇宙船である騎士艇には、
人間でいうところの『背後の不利』はない……
あるのは『意識の空白』です」
「操縦している人間の、知覚限界の話かな?」
博士が言う知覚限界は、視覚や聴覚だけでなく脳処理も含んでいる。
博士にはおよそニュアンスは伝わっているように思うが、大地にはどこか言語化し切れていない気持ち悪さもあった。
どういえば伝わるのか、言葉を選びながら話を続ける。
あるように見せ、ないように見せる……
「大地、博士にいきなりフェイントの話をしても……」
技術論の、しかもかなり観念的な表現を用いたであろう大地を鋼谷がたしなめた。
しかし、人差し指を左右に振って鋼谷を止める博士。
「鋼谷くん、
大地くんが話しているのは牽制とか陽動という
表面的な話ではないと思うよ」
例えば、と言った博士は研究室のテーブルに転がっていた平座金を右手で摘まみ上げた。
「では、鋼谷くん」
博士は油断ならない笑みを浮かべている。
「よく、見ていたまえ。
ああ、そうだね……
座って姿勢を安定しておくことを、お勧めする」
博士の勧め通り、鋼谷は近くにあったパイプ椅子を引き寄せて浅く腰掛けた。
「人間の知覚限界を、体感してもらおうか」
博士の大仰なセリフに鋼谷が呆れる。
だが博士は気にせず、平座金を摘まんだ右手を上に掲げた。
左の手のひらは何も入ってないよ、と示すように広げて上向きに。
右手にある平座金は研究室の照明の光を受けてきらきらと光る。
博士はおもむろに右の手のひらを広げると、左手の上へ振り下ろした。
動きの中で銀色の輪が見える。
博士の左手が閉じられるや否や、
博士の空になった右手が、鋼谷の目前で開かれた。
鋼谷の視線は、自然にもう一方の握りこまれた手へ吸い寄せられた。
博士は右の手も握りこむと、両の拳を鋼谷に向けて差し出した。
「さて……平座金はどこにある?」
「左でしょう」
視力にはまだまだ自信のある鋼谷は即答した。
左手の中になければ、床の上だ――
そして、清掃の行き届いた床の上にはゴミ一つ落ちていない。
鋼谷の答えを聞いた博士は、心底楽しそうに微笑んだ。
ゆっくりと開かれた左の手のひらには……
何も入っていなかった。
鋼谷が息を呑む。
「な、なんで……」
鋼谷は、平座金の落ちる軌道と左手の握りこみまでを見たはずだ。
博士は何食わぬ顔で、右拳を軽く振った。
その指の間から、平座金がするりと顔を出す。
鋼谷は椅子から立ち上がった。
「右? いや、でも確かに、左に……」
「それは、君の脳が補ったのだよ」
博士は器用に指を使わずに手のひらの動きだけで平座金をくるりと回した。
「気付かれないように君の視線を観察していたが、
君の目は『平座金を受け取っていない左の手のひら』を見ているはずだ」
博士は右拳を鋼谷の目の前でゆっくり開いた。
平座金は親指の付け根や手のひらのしわを使って巧妙に隠されていた。
「見ての通り、左手には渡していない。
平座金は右手から移動していないんだよ。
これが、事実だ」
博士の右の手のひらが器用に動いて、平座金を手のひらから手の甲へ転がして移動させる。
「こちらは視線誘導も行ったが、それは一要素でしかない。
要は鋼谷くんの脳内処理のバグだ」
「バグって、どういう?」
お喋りなくせに肝心な部分を端折る博士に向かって、鋼谷が問い返した。
自分の脳にバグがある言われては、余りいい気もしていない。
「私がいつも包囲網から抜け出しているのを疑問に感じたことは?」
博士は両手を広げて、誉めてほしそうな子供のような笑みを浮かべた。
質問で返されてしまった鋼谷は頭を掻いた。
博士はどこですかと走り回る研究員は、風物詩のように見かけられていた。
鋼谷も特に何も感じたことはなかったのだが、追手から逃げ回ることに星環群連合最高の全力を傾けていやがったのか、この困った博士は――
人間の目は、信用できない……は、言い過ぎか。
目から入った情報をそのまま処理するわけじゃない。
目から入ってくる情報が多過ぎるから、
脳は先に『いるもの』『いらないもの』を分けてから処理し始める。
これが正面で見ていても錯覚を起こす理由です。
ここでようやく言語化が完了した大地が、博士の説明を補完した。
大地のこの説明を踏まえて、鋼谷は先ほど目の前で起こったことの結論を導いた。
「私は、正しい情報、
『空の左の手のひら』を見ておきながら、
その他の視覚情報を脳内で勝手に並べて、
『平座金を受け取った左の手のひら』
という誤認を誘発させられたんですね」
博士はゆっくりと頷いた。
「錯覚ってのは面白いね。
脳さえ納得させれば、
あるものも見えなくなるし
ないものでもあるものだと認識する」
博士は平座金を指で何度も弾いた。
小さな金属音が鈴のように鳴る。
「錯覚を成立させるためには、
手の速さがもちろん大事だが、
その流れを信じさせる技術も必要なのだよ」
用の済んだ平座金をテーブルに戻した博士は、楽しそうに指をクルクル回した。
考えがまとまってきたのか、大地は経験で行ってきたこれまでについても、ぽつりぽつりと話し始める。
この意識の空白って、
最初から狙っていたわけじゃありません。
俺のハンマースルーに対して
相手が正面を維持しようともがくほど、
背後を取らせたくないと焦りがあるんでしょうね、
それが余計な動きになって、
むしろバックを取りやすいポジションを空けてくれるんです。
そこから俺が後ろを取ると、
その相手はバックを取られた、危ない目に遭う、と
もっと焦ってミスをしてくれる……
大地は一気に話して疲れたのか、大きなため息をついた。
「言葉にすると、莫迦みたいだけど。
相手から勝手に嵌ってくれる間は、
あえてバックを取りに行ってもいいのかなって。
最短距離が最良じゃないことは、
人間相手なら、起こります」
「君の歳で言えることじゃないね」
博士は愉快そうに笑った。
だが大地の目は、博士の背後に迫るものを捉えていた。
そう、気分に任せて好きに動き回る博士に怒り心頭の奥方の姿と、こっそり出入口を封鎖する研究員Aの姿を。
大地はご満悦な博士に、よく見ろとその背後を指さした。
ゆっくりと振り返る博士。
目で語る奥方に対して、言い訳を重ねながら何やら大袈裟な身振りをし始める博士。
早速、奇術の実演をしようというところか。
ここでみすみす博士の逃走を見逃すこともあるまい。
大地は奥方と研究員Aに気を取られて隙だらけの博士を、背後から一気に持ち上げて動きの自由を奪った。
自分の興味が尽きれば、高名な風鈴寺博士と言えど邪魔をしてくるだけのおじさんだ。
さっさと退場していただくに限る。
どこへ運べば、いいですか?
「いや、これは違うのだよ。
私はただ、
若者たちと知的刺激の交換を――」
「それは聞き飽きたので、
他の言い訳はありませんか」
神出鬼没の風鈴寺博士、
一刀両断の奥方。
割れ鍋に綴じ蓋。




