第58話「大地、売ります。」
賞賛よりも貫通する痛み
皮肉にも
すべて知り尽くしているがゆえ
【北斗星環群、瑞穂(居住星環)】
黒崎運輸 社長室
「儂の方から、馳せ参じますのに」
社長の黒崎壮健は来客に上座を勧めた。
いつもであれば、案内してきた壮健の孫である健吾も同席するのだが、今日は客が客だ。
自分も含めた邪魔者が入らぬよう社長室のドアを閉じた。
「総督からお越しいただけるとは、よほどの吉報か、凶報ですかな?」
来客である北斗総督の鈴来は軽く唇を噛んだ。
この壮健という老人は、ある意味、鈴来の腹案にかかる最難関である。
ここを突破せねば、関係が拗れかけた都並くんの許までなんて辿り着けやしない。
「どちらになるかは、黒崎さんの腕一つかと……」
壮健がとびきりの笑顔を浮かべた。
これこそ、要注意のサイン。
「……黒崎運輸がメインスポンサーの赤銅騎士団」
まだ本題の入り口も入口だと言うのに、鈴来の手のひらにはもう汗がにじんでいる。
短期的な利害が真っ向からぶつかる都並と行う折衝の予行演習だと思え……
「まずは、沖大地くんの騎士運の見立てから確認しましょうか」
沖大地。
第43期トップリーグには、3年度からの参戦となった。
その3年度は、第2戦で負った怪我の療養期間が長く、3勝1敗に留まった。
次の4年度は、大いに盛り返して優勝した。
それも、大地がひよこリーグからデビューしてサードリーグ昇格、セカンドリーグ昇格を経てトップリーグ昇格直後までの28連勝を彷彿とさせる、12勝を重ねて独走した。
負けは、なし。
例年トップリーガーの平均試合数が10試合で7勝前後が優勝ラインと考えると、年間試合数としても異常なハイペースで戦っている。
しかも、このシーズン中の1ヶ月を騎士艇のオーバーホールに充てて、その間の参戦を休止していても、これだ。
最終年度であるこの5年度が開始された時点で、総合順位で暫定1位の礼文慎は21勝、暫定2位の杉原行成は20勝と、ともに怪我でリタイアしていた4年度を除いて、どちらも年間10試合勝率7割の戦績である。
沖大地はというと15勝。
ただし、トップリーグに限っても大地の勝率は9割を優に超える異常数値。
最終年度を他の騎士同様に10試合程度で終えるならまだしも、大地に限っては『勝率こそ異常であるが、勝ち方には再現性がなく、地元の英雄なら十分に勝てそう』な星環騎士である。
この最終年度の開幕戦も因縁のある杉原を退けて、連勝を15に伸ばしたところ。
他の星環群からは、冠試合の費用を負担してでも招待したくなる、美味しい餌に見えていることだろう。
厄介なことに一度は引退した元絶対王者、炎城志朗がこの混迷に拍車をかける要因だ。
ひよこリーグからの『やり直し』を大地に並ぶ27連勝でやり遂げ、開幕戦も瞬殺で飾っている。
炎城と組まれたくない一心で、つまり本来とは違った意味で冠試合を活用して大地を指名する陣営も出てくるのではないか……
何が言いたいかというと――
沖大地には、第43期トップリーグ総合優勝の目が、ある……
そこで満面の笑みを浮かべていた壮健が、表情をほとんど崩さずに含み笑いをした。
孫の健吾に『悪人が何か企んでいる』と言わせる笑顔。
「出来過ぎですな。
ですが、大地くんはその出来過ぎをやり過ぎて、
儂の想定を10年は早めてしまったのですよ」
大地呼びたさに、主だった星環群の運輸業者たちは黒崎運輸の商業航路使用許可にこぞって同意してくれた。
お陰で、早くとも孫の代になるかと見積もっていた、星環群連合をほぼ網羅する輸送ラインを組み立てる前準備が、老骨の自分の代で整ってしまった。
「……嬉しい誤算。
輸送ラインの完成こそ、子孫に任せねばなりませんが、
未来が具体的な形になって目の前にあるというのは、
たまらない愉悦ですな」
つまり、壮健にとって大地は、当初ほどに執着しなくてもよい投機先になったということだろうか。
「とはいえ、これまで同様に勝ち続ける、
というのが鈴来総督の見立てのようですが、
さすがに大地くんを買いかぶり過ぎではないですか?」
これは、やはり沖大地の特性に気付いている、と鈴来総督は確信した。
「大地くんの勝利は、再現性が高いものと見ています。
勝利の内容が、ではなく、勝利そのものが。
彼は、どうやって騎士戦に勝つか、ではなく……
騎士戦の外側から、
その相手が勝てない条件を揃えようとしているように見える。
事実、彼はこれまでほとんど負けていない」
実際に、人知れず引退したのか行方の知れない高瀬長門のほかには、これまで大地は負けたことがないのだ。
今年度の試合数さえこなせば、大地くんが第43期の総合優勝をすることは起こりうる、鈴来総督には、ある種の確信があった。
「お目が高い、そう言いたいところですが、
ずいぶん大地くんや赤銅騎士団の通せんぼをしてきた
鈴来総督の口から出てきた言葉とは、信じがたいですな」
笑顔を絶やさない壮健。
トップリーガーとなった大地に対し、情報操作までしてバッシングの空気を北斗全域に作った張本人ではないか、と暗に目の前の男を責めながら。
おそらくは鈴来総督のやりきれなさまでを分かったうえで。
「ここが瑞穂……北斗でないのなら、
私も素直に大地くんを応援をしたでしょう。
瑞穂はもちろん、北斗全体を合わせても、
経済大国である諸角のうちの、丹鶴一つにさえ届かない。
身の丈に合わぬ大統領府を望んでしまったがために、
みすみす大災害の種を産み出してしまった
賁星(星環群)の大失策という例もあります。
到底、他人事とは思えない。
知識も経験も人材も……
星環群連合を束ねるには、
北斗の力はまるで足りていないのです。
我々北斗は、あの気の毒な賁星の二の舞は
絶対に避けなくてはならない。
今の私たちには、早過ぎるのです」
鈴来は重ねた両の手のひらを強く握りしめた。
「私が黒崎運輸さんに提案したいのは、未来の話です。
瑞穂と北斗の、時計を30年進める……
件の大地くんと、引き換えになりますが」
先ほどまでの笑顔を引っ込めた壮健は、鼻を鳴らしつつ身を乗り出した。
「……詳しく、お伺いしたい」
ここは、水族館、という触れ込みの見本市。
大地が立っているのは、塩倉庫を兼ねた潮流養殖のエリア。
水槽のアクリルパネルをのぞき込むと、あちらから『お前は誰だ』とカツオが覗き返してくる。
……俺、食べる魚くらいしかわからないぞ。
今日は、『瑞穂の奇跡と一緒に見学ツアー』。
保護者同伴で100人定員の児童向け3クラスが、申込開始から5分でパンクした人気のコース。
朝の第1回目、大地はただニコニコしていたのみ。
大地の隣についた飼育員が解説役を務めていたとはいえ、なかなかに苦痛の1時間だった。
終始大地にまとわりついていた子どもたちは、先ほど大地のサイン入りの水族館パンフレットを大事そうに抱えて帰っていった。
「どう、子どもに囲まれた感想は?」
大地に声をかけたのは赤銅騎士団マネージャーの白石美月。
……子どもは苦手ですけど、懐かれて、悪い気はしません。
それより、大地には気がかりなことがある。
いつも通りなら、大地の傍らに張り付いている騎士付秘書の佐祐倫がいない。
この手の、デートコースにもなるような営業先に飛びつかない彼女じゃないはずだが?
「知らなかったの?
あの娘、海洋恐怖症、アクリルパネル越しでも足がすくむのよ」
彼氏がそれだと相当に苦労してるわね、と白石が嘆息した。
彼氏ではないと大地は反論したいが、傍から見た生活サイクルがまさに恋人同士なので何も言えない。
だけど、いつぞやの展望台のときって、水圧エレベーターに乗って……
そう言えば、ずっと下を向いてたっけな。
黒百合と名乗っていたあの頃は、いつでも俯きがちだったから気にも留めていなかった。
……その海洋恐怖症の彼女が、水族館の仕事を、入れた?
白石は含み笑いを浮かべた。
「大地くんの、その察しの良さと、察しの悪さ。
相変わらず、都合が良くて助かるわね」
佐祐倫さんに聞かせられない話があるんですか?
首肯した白石が体をずらして、いつの間にか控えていた人物を紹介した。
「話は、私じゃなくて……騎士団オーナーからよ」
「……白石君も、無関係じゃないだろう」
多忙を理由に祝勝会にも滅多に来ない、久しぶりに会う都並オーナー。
大地と並んでアクリルパネルの向こう側を眺め始めた。
「水槽の方を向いてくれないか、大地くん。
私もこうやって、
水槽の方を向いたままで独り言をいう。
反応は、しなくていい」
どんな話、なんですかね。
いい話じゃ、なさそうだけど。
【諸角星環群、丹鶴(居住星環)】
礼文本家、書斎。
ソファに体を預けて目を瞑る礼文・但馬・太陽。
繰り返し大音量で流されるクラシックな歌曲。
作曲者は、オーストリアの作曲家フランツ・シューベルト。
作詞者はドイツの詩人クリスティアン・シューバルト。
これはピアノ五重奏曲(D.667)。
第4楽章の変奏曲。
『鱒』
『In einem Bachlein helle
Da schos in froher Eil
Die launische Forelle
Voruber wie ein Pfeil.
Ich stand an dem Gestade
Und sah in suser Ruh
Des muntern Fischleins Bade
Im klaren Bachlein zu.
(きらめく小川で
喜びにあふれたせわしない鱒が
矢のように泳いでいた。
私は岸辺に立ち、
穏やかな気持ちで眺めていた。
元気のいい鱒が、澄んだ小川で泳いでいるのを)
Ein Fischer mit der Rute
Wohl an dem Ufer stand,
Und sah's mit kaltem Blute,
Wie sich das Fischlein wand.
So lang dem Wasser Helle,
So dacht ich, nicht gebricht,
So fangt er die Forelle
Mit seiner Angel nicht.
(釣り竿を持った釣り人が
岸辺に立って
冷ややかな目で、
鱒が泳ぎ回る様子をじっと観察していた。
私が思うに、
川の水が澄んでいる限り、
釣り人は鱒を釣り上げることはできないだろう)
Doch endlich ward dem Diebe
Die Zeit zu lang. Er macht
Das Bachlein tuckisch trube,
Und eh ich es gedacht,
So zuckte seine Rute,
Das Fischlein zappelt dran,
Und ich mit regem Blute
Sah die Betrog'ne an.
(しかしついに、その釣り人はしびれを切らせて、
川をかき回して濁らせたのだった。
私が気付いたときには、
鱒は竿の先で踊っていた。
そして私は、
川を汚した釣り人の行為に腹を立てながら、
罠にかかった鱒を見つめたのだ。)』
【北斗星環群、瑞穂(居住星環)】
……俺の腕を、転売したい?
まあ、話だけは聞きましょうか。
君の手は魔法だ
誰かの言ノ葉
魔法は札束に
言ノ葉こそ魔法に
この腕前はただの捧げ物
誰かの何かになるための




