第53話「魔法の……」
楽しくて眠れなかった夜も
言えずにいるごめんなさいも
包みこむ優しい生地。
焼きあがったら
窓を開けて
おいでよ
幸せのパンを食べに
あたたかいうちにどうぞ
星環騎士戦、第43期トップリーグ、4年度。
星環群連合の端も端、北斗星環群は北斗の遊架(廃棄星環)において行われた首位攻防戦。
4年度では二度目となる、諸角と北斗との間での代理戦争。
先の大地による杉原退治の記憶もまだ新しく、対戦する二人の人気が高い諸角でもこの試合は注目されていた。
諸角の世評と騎士への期待は、概ね次の通り。
『礼文慎の仇討ちを果たした沖なる者、まことに天晴なり。
なれど、あれなる不遜なド辺境の粗忽者、見事討ち果たして来やれ』
年間1位で独走するのは、ホームの沖大地。
昨年度順位はトップリーグデビュー直後の怪我もあり圏外。
年間2位でかろうじて追走するのは、アウェイの津々路隆乃。昨年度は大地と同じくデビュー年度でありながら8位。これはまずまずの戦績であったが……
この年度、潰し合いをしていた2位以下を大きく引き離した大地は、その2位につけている津々路を今回の試合で弾き返すと、年度最終戦まで最大で7戦の日程を残しながら、4年度優勝を確定してしまう。
礼文慎の長期不在で諸角の代表に繰り上げされた津々路は、目の前で胴上げされてなるものかと息巻き、また、前年度のホーム戦において大地に完封されたことに対する雪辱戦でもあり、必勝を期してアウェイに来たという。
星環騎士戦の開始から打ち合うこと数合。
津々路の駆る騎士艇が槍を構え、ひた隠しにしていたニトロ機構を全開にした必殺の吶喊を、沖大地が駆る『赤銅驥』が紙一重で躱した。
そのまま相手の持ち手を取ってのハンマースルーから態勢を入れ換えると、背後を取っての『赤銅驥』による胴締めフルネルソンホールドへ移行した。
それは、搭載された新型空気圧機動の真価を見せつける脱出不可能な締め上げ。
身動きすることもならず、騎士艇の腰椎を破壊手前まで追い込まれた津々路は、昨年度に引き続いて『参った』と言うしかなかった。
北斗星環群初の、騎士戦トップリーグ年間優勝確定に、瑞穂だけでなく北斗全体が沸いた。
正式な順位は年度完了を待たねばならないが、もう2位以下が大地に届くことはない。
大地を称える様々な見出しが、ニュース配信や切り抜き動画、SNS上で躍りまわった。
《新生・瑞穂の奇跡、前評判は伊達じゃない!》
このところは本家である風鈴寺博士には元祖、大地には新生、をつけての呼び分けが瑞穂では一般的になっている。
星環群の頭脳と称されて久しい風鈴寺博士に次ぐ、この瑞穂の奇跡という二つ名も、看板倒れと呼べなくなってきた。
大地本人がこんな重そうな看板、いらないと思っていても。
場所や相手や状況を問わず堂々と振舞える風鈴寺博士が、大地にはときに羨ましくもあった。
風鈴寺博士登場以前は、星環群連合でも最貧常連だった瑞穂。
天才の大活躍があってなお、経済面で下から数えた方が早い瑞穂から、今度は星環騎士戦の破壊と再生を司る新たな天才が現れた。
それはまるで原初の、至高なる存在の使者。
今回の4年度優勝確定を経て、当初の『ダイチ・フリークに非ずば、瑞穂に非ず』から、瑞穂を大きく超えた熱狂は『ダイチ・フリークに非ずば、北斗に非ず』へと歩み出した。
瑞穂は元より北斗星環群においては、厳しい宇宙生活に不安や不満を溜めている民衆の中で、大地をアイコンとした、あたかも新興宗教のような熱を帯び始めていた。
《十三番目の終焉、4年度の優勝をもたらす》
タロットカードの主要な札である大アルカナのNO.13、死神のカードのことらしい。
物事の決定的な終わりや過去との決別、それらの意味から派生した新しい始まりや転機の象徴。
津々路との前回アウェイ対戦において、大地を『北斗の死神』と不名誉なキャッチコピーで紹介された意趣返しを兼ねているのか。
大地と戦った騎士たちの引退や消息不明が続いたのは事実であるが、ただの偶然だというのに。
《新たな星環群の秩序、来たり!》
最貧層から、英雄へ――
困ったことに、星環群連合の民衆が各星環群のナショナリズムさえ飛び越えて、大地本人を置き去りにしたまま、反逆のアイコンとして担ぐ兆候が見えていた。
貧困星環である瑞穂のさらに最貧困層から躍り出た大地の存在は、この4年度優勝のニュースを火種にして、ある種の持たざる者たちからは救世主のように捉えられ始めたのだ。
北斗以外の他の星環群においても、本人不在で英雄大地崇拝の風が吹き始めていた。
民衆、特に経済的弱者から救世願望を切り離すことは、星環群連合首脳にとって政治的急務であったと気づくのは、まだ先のこと。
「今日は、どうするの?」
車の運転席についた佐祐倫からの問いに、沖大地は助手席から生返事を返した。
瑞穂中が星環をあげてお祭り騒ぎの夜。
大地たちも赤銅騎士団と身近な身内での祝勝会をたった今、終えたばかりだ。
主役ではあるが、ホストでもある大地は、何度かの乾杯のお酒以外はほとんど口にできなかった。ホスト役の大地を補佐していた佐祐倫にいたっては、大地の送迎運転手も兼ねているのでお酒すら呑んでいなかった。
改めて呑み直すのも、口直しに食事に行くのも、遊戯施設で気を紛らわせるにも、人に囲まれてかえって疲れてしまいそうだ。
かといって、このまま帰宅するよりも、今日の試合で興奮した体をどこかで冷ましてからにしたいところではあるのだが、それを口にしたら、佐祐倫さんが例によって自分の部屋に誘ってきそうな気配もある。
というか、既に期待の籠った佐祐倫からの視線が、大地には痛い。
いっときの好意をいいことに、
佐祐倫さんに甘え過ぎだよな、俺……
気持ちいいことは嫌いではないが、ナイチンゲール効果と呼ばれる一時的な状態異常――佐祐倫さんが酷く落ち込んだ状態から回復した時にたまたま傍にいた俺を好きになる――が続いている佐祐倫を自分に都合よく利用している罪悪感が澱のように大地の心に溜まっていく。
佐祐倫が以前ほど大地との距離を詰めてこなくなったのはいいことなのだが、逆に躱すタイミングを取りづらくなった気がする。
4年度の優勝確定を決めた試合直後で、さらに何度目かの完封。
五体満足で健康な男児である大地は、いまだ興奮冷めやらない状態である。
何とか理性を総動員して、逸る衝動から目を逸らしてはいるが、佐祐倫から浴びせられる無言の秋波に身を任せたいのが本音というもの。
でも……
自制できるときは、するべきだよな、うん。
年貢は、きちんと納めなさい――そう兄貴分の竹島からも言われたことは頭の隅に追いやって。
もう一人の兄貴分である鋼谷からも似たような小言を……
そういえば、鋼谷さん、もう家に着いたかなあ。
長い休暇を利用した帰省のあと、しばらくして鋼谷琢磨の長男が瑞穂にやってきたのだ。
独りが寂しいと家族に同行を懇願する琢磨に、惣菜屋を切り盛りしている奥さんが譲らず、見かねた長男の全力が、父の膝元で料理修行すると宣言し、身辺整理をしたのち父・琢磨の元に引っ越してきたのだった。
以前に家族のこと尋ねたときは、奥さんに離婚するって泣かれたって言ってたけど、離婚しないでって泣きついたのって、鋼谷さんの方だったんじゃないかしら?
情報源が全力からとはいえ、鋼谷家の真の重鎮は、むしろ女傑よりである。
といって、わざわざ琢磨に真相を追求するのも忍びない。
全力が琢磨と一緒に住むようになって、頻度が週4回が週3回に減ったとはいえ、大地は相変わらず鋼谷宅に入り浸って、食事を振舞われたり振舞ったりしている。
その全力だが、琢磨から紹介された際の緊張した面持ちがあまりにおかしかったので大地はつい過剰に弄ってしまい、それを怒った全力の頭突きをみぞおちに食らってしまった。
人の縁はわからないもので、そのことで逆に急速に打ち解け合った全力の修行先として、大地は妹の希倫が勤めるパン屋を紹介したのだ。
希倫に電話したところ、ちょうど厨房に急な空きが出たところだと聞いて、
『え……僕は、料理の修行に来たので、パン屋は、少し畑違い……』
ま、そう言わずに。
瑞穂じゃ、大人気のパン屋なんだぜ。
一度、食ってみろよ。
働くかどうかは、その後でいいじゃん。
……そういや、店の名前、何て言うんだっけ?
パン屋、としか聞いたことないな。
大地は半ば強引に全力の手を引き、早めの夕食も兼ねて、長年の付き合いであるにも関わらず店名も知らないパン屋へと出かけたのだった。
店の前に到着した大地たちが目にした看板には、大きな字で『パン屋』としか書いていなかった。
店名だったのね……
そうだ、まだ、『パン屋』は開いてるかな?
時刻は、20時を過ぎたところ。
希倫人気沸騰をきっかけに繁盛が過ぎて、日中の部(10時から14時まで)、夜の部(18時から21時まで)の営業になったと聞いている。
混雑を避けながらだと閉店間際になるかもしれないが、間に合わないでもないならば……
「ねえ、『パン屋』も、大地くんがらみで大騒ぎになってるんじゃないの?」
希倫が大地とは別種のアイコン、『瑞穂の護符』として人気が沸騰したのはずいぶん前だ。
大地が難敵の高瀬を下したときなどは、『パン屋』名物のチョココロネを護符代わりにしたいという瑞穂住民には、文字通り焼き釜が壊れる勢いで売れたと聞く。
……1年前のことだ。
とはいえ、今日の騒ぎが延焼というか、護符人気までも再燃していてもおかしくはない。
道理だね。
でも、本命はパンじゃなくて、遅くまで働いてる全力を迎えに行ってやりたいかな、と。
「お父さんの琢磨さんより、過保護になってない?」
そうかな?
あの日、初めて食べたチョココロネに感動し、態度を急変させてパン屋に働きたいと熱望した全力だった。
『(綺麗な、お姉さん……)
大地兄さん、僕、ここで働きたい……
違った。
ぜひとも、働かせてください』
年端も行かない少年からお兄さんと慕われては、子どもが苦手というのは脇に置いて一肌くらいは脱がねばなるまい、と大地は『パン屋』の主人に全力を売り込んだ。
希倫が仲立ちしたこともあり、無事、全力は『パン屋』の職人見習いとなったのだった。
んー、年の離れた弟ができたみたい?
妹の希倫に引っ付いていることが多いからか……
なんか、むず痒いけどさ。
でも、不快じゃないんだ。
俺に子どもが出来たら、猫可愛がりしたりするのかな?
どの単語が琴線に触れたのか、佐祐倫が突然発車させた。
「さあ、『パン屋』に急ぐわよ」
何で、佐祐倫さんの鼻息が荒いのかな?
もしかして、ショタ……
佐祐倫は掌底ストレートで大地を黙らせた。
北斗の英雄は、閉店間際の『パン屋』に残っていた食パン2斤を手に入れた。
幸いにして、イートインスペースも含めて店内に客は残っていなかった。
食パン購入から少し後、レジ係に呼ばれて顔を出した全力が大地を見た開口一番。
「大地兄さん、すっげえ青あざだね。
……騎士戦って大変なんだね。
お迎えは嬉しいけど、帰って早く冷やしなよ」
確かに大地の右頬には、大きな青あざがあった。
先ほどの佐祐倫の掌底ストレートによって。
当たり所が悪ければ大ごとでしたよ?
じゃなくて、お前の仕事が上がれば、送っていくから。
いらないよ、と全力は大地の誘いをすげなく断った。
希倫お姉さんを『護衛として』送らないといけないから、帰りはいつもより遅くなるってお父さんに伝えといて、と全力を迎えに来たはずの大地は、その全力に背中を押されて店内から追い出された。
大地が、希倫も車で一緒に帰ろう、などと言い出すよりも先に。
全力が大地を『兄さん』と呼んで慕うのは、初対面から馬が合ったという理由だけではないのだ。
憧れの希倫と並んで帰るチャンスを、仲の良い大地とはいえ邪魔されたくない。
それに、大地のすぐ後ろに控えている綺麗な女の人、笑顔を絶やしていないけれど、自分と同じく誰かに恋をしている瞳だ。
大地の動きに合わせて、きっちり彼女の視線も動いてるのがわかる。
全力の姿なんて、たぶん景色以上に目に入れていない。
むしろ、そちらを邪魔しちゃ駄目だ、と全力の第六感が警戒信号を発していた。
なあ、全力くんよ。
お前が佐祐倫さんに向かって、親指立てているのはどういう意図なの?
佐祐倫さんも、何で全力にピースサインで返してんの?
俺の知らない流行りの合図なのかい?
……まあ、いいや。
佐祐倫さん、俺の家まで送ってもらっていい?
「優勝確定で浮かれた熱狂的なファンに囲まれた家に、
当の大地くん本人がすんなり入れるわけないでしょ」
……道理、もはや真理ですね。
勝利と酒に酔っぱらったファンは味方というより暴徒よ、と佐祐倫は行先の変更を促す。
しかし、佐祐倫は車載ナビゲーターを既に自室付近に合わせている。
まだ車を出さないのは、最後に残った理性なのか。
ともかく、獲物を前にした虎みたいな目で俺を見るのは、どうか控えてください……
夜闇には光らないはずのヒトの瞳が、どういう理屈なのか、大地には光って見える。
錯覚で、あれ――
無事に大地たちを追い返した全力は、『パン屋』の前に看板の切れ端が落ちているのを見つけた。
「また、落ちてるよ。
……もう暗いし、大将に渡しとくか」
大きく『魔法の』と書かれた看板の切れ端を抱えて、全力はまだ明るい店内に引き返した。
今日のお仕事はこれでおしまい
幸せのパンは明日も焼くよ
またいらっしゃい




