第44話「再起なる孤狼」
凍える星の海に
小さな光
それは
いつか見た遠い灯――
【望澪星環群、澪安(研究星環)】
莫迦なことをしたと今では思っている。
礼文慎も自分も負傷してしまうような危険な戦法を選択したことではない。
『蒼炎山』ごと『翠銀刀改』を破壊したことでもない。
骨折などの大怪我は、静養して治癒を待つものだ。
無理に動けば骨の再生が遅れたり、偽関節が出来て治りが遅くなる。
冷静になってみれば、迷うことすらない当然の理屈。
まして沖大地と食べ比べなど、正気の沙汰ではなかった。
とはいえ、沖大地が隣に座ったのは、行成が既に入院先を自主退院した後のこと。
すべてを仇敵のせいにはできはしない。
あの日、途方に暮れた澪和騎士団のスタッフの一人がホテルのカフェで寛ぐ行成を発見し、即刻タクシーに連れ込まれて再入院となった。
透視検査の結果、術後の骨折部にズレは見られず、再手術せずに済んだのは僥倖であった。
とはいえ、無理な過食は消化器系を荒らしてしまい、術後回復を遅らせる一因にもなった。
諸角での静養を終え、望澪へ戻ってからも、さらに3ヶ月の安静を強いられた。
沖と戦う舞台を整えるための年間優勝のはずが、代償として長期間の戦列離脱となってしまった。
色々と本末転倒である。
100日ほど満足に運動していない体は、まるで別人の体のようだ。
固定していた左肩周りは理学療法でどうにか可動域を戻したものの、日常生活を営むにも苦労するほどに体力全般が落ちていた。
前にも辿った道だ。
いや、以前は初めての義足訓練も込みだった。
それに比べれば今回は、さほど不安も感じない。
戻れる。
今年34歳になる体に、まだ不安を感じるのは早い。
……それにしても、沖め。
こちらの消化器系統に追加ダメージを与えて、復帰を遅らせてくるとは、噂以上の策士だった。
わざわざこちらの隣に座ったのも、気づかないふりで無邪気を装ったのも……
礼文以上に警戒をしなければ――
行成のいないトップリーグ第43期4年目。
前年度で逆転されて年間2位となった礼文慎もまた、背骨骨折のダメージから回復できていないようだ。
礼文が28……29歳だったか。
今年度、もしかすると礼文の出番はもうないのかもしれない。
……もし、神が望むのであれば、また相まみえよう。
行成が原因の負傷ではあるが、礼文のことはノイズとして脳裏から追い出した。
現在注目すべきは、昨年度は怪我明けでランキング圏外にありながら今年度序盤から凄まじい躍進を見せるニューフェイス。
見事なスタートダッシュに成功、連勝を積み重ね暫定1位を守っている。
沖大地。
まだ22歳だったか?
様々な戦法を駆使するこの若者に、世間は喝采と批判に二分されている。
行成は高瀬の言葉を思い浮かべる。
試合でだけは、何をしても良い――
高瀬の言葉によらずとも、星環騎士規則前提であれば、沖大地ほど真っ当な騎士はいない。
政権を含めた権益の奪い合い、その代理戦争が星環騎士戦であることを鑑みれば、勝利すなわちシーズン通しての勝点を積み上げていくことが、本来ならば星環騎士の正義のはずである。
沖大地は、観客の喝采を受けるべくして受けていると言える。
とはいえ、沖の所属する北斗星環群は、大統領選出権や大統領府設置の獲得に意欲的なのだろうか?
お世辞にも裕福と言えない経済圏であったと記憶している。
むしろ、その優勝賞品は北斗の負担になりは……
行成は他所の星環群のことを慮ることの無意味さに思考に蓋をした。
一方で、星環騎士道前提であれば、邪道であろう。
星環騎士戦は、代理戦争であると同時に、民衆の娯楽装置としての側面もある。厳しい宇宙生活を送る者たちの日々の不安や不満を逸らせ、かつナショナリズムを煽るには恰好のイベントである。
ゆえに、より美しい勝ち方を求められもする。
沖大地は、観客の批判に曝されるべくして曝されていると言える。
沖の存在は長く続いて形式化した星環騎士戦への警鐘。
これは技術的特異点。
あるいは技術革命。
もしも沖大地が杉原行成の弟であったなら、もしも高瀬にともに憧れて星環騎士を目指していたのなら、全力で応援していたのかもしれない。
賛否の世評を受けてなお我が道を突き進むその姿、自分の後を任せるには、なんと頼もしい若人であることか。
行成には不幸なことに、沖大地は赤の他人で、違う文脈から誕生した星環騎士で。
高瀬を失くした行成は、未だに孤独なままで、自分の居場所を求めて自分流を抱えて走り続けるしかなくて――
『翠銀刀改』は修復不能。
澪和航空を定年退職し、澪和騎士団マネージャーとなった父から改めて告げられた。
「もう、外を歩いているのだね。リハビリ代わりに、一緒に来なさい」
父の運転する車に乗るのは、いつぶりなのだろうか。
車種は違うのに、今は遥かに遠くなった少年時代の記憶を呼び起こされる。
高瀬から『翠銀刀』から『翠銀弓』に乗り換える際、ねだってその星環騎士艇を譲り受けた。
それは、高瀬長門と同義の原光景。
本来なら乗り捨てる旧型機。
他の星環騎士艇と比べて遅れ始めているスペック。
長期の運用で痛みきった機体。
高瀬との戦闘スタイルの違い。
フレームさえ補助を入れて残すのがせいぜいだった。
そのほとんどが『翠銀刀』ではなかった『翠銀刀改』。
「ああ、『翠銀刀改』は、
もう部品一つでさえ、原形ではない。
お前がしでかしたことの、結末だ」
マネージャーから告げられた冷たい現実。
悲しいはずだが、行成に感傷はなかった。
「受け入れているようだね。話が早い」
車が澪和騎士団格納庫の前に到着した。
すぐに馴染みの整備班長が迎えに来た。
整備班長は行成がいるのを見て、顔を顰めた。
だが、目は優しい。
愛憎半ば、といったところか。
自分でも呆れるくらいだから、致し方なし。
「……流石にこれからは、艇の生存性アップに口を挟ませねえぞ」
二度目はない、どころか既に二度やらかしやがって、と整備班長は唸った。
迷惑をかけました、と何かの会見で見た沖大地を真似て、行成は深く頭を下げた。
整備班長はそっぽを向いて、歩けるなら着いてきな、と行って格納庫に入っていった。
似て異なる。
色もシルエットも。
『翠銀刀』でも、
『翠銀刀改』でもない。
だが、このシルエットに見覚えはある。
横に並んでいた父が、マネージャーとして高瀬を解雇処分とした、と伝えてきた。
「……騎士運にも、騎士管にも今朝、通知済みだ。
どちらに提出しても管轄が違うと言ってきたがね?
まあ、制度上は騎士管が正解だったようだが」
澪和騎士団の法務部は優秀だからね、と軽口を叩く父。
騎士団から解雇された。
あるいは次の年度内に所属の騎士団が定まらない。
そのどちらかに当てはまり、かつ引退届を提出していない騎士は、自動的に騎士管の故障者リストに入る。
故障者リストに2年間登録されたものは、原則引退と同等扱いとなる。
事実上、代理者による高瀬長門の遠回しな引退告知だ。
「合わせて、この星環騎士艇を登録してきた。
『翠銀弓』の廃船届と一緒にね。
こちらは騎士運が正解のようだ。
いい加減、組織統合すべきだと思うよ。
自分の管轄でも業務を押し付け合う風潮は、どうにも座りが悪いよ」
つまり?
「高瀬がいなければ、彼に合わせた『翠銀弓』など
格納庫を圧迫するだけだからね。
かといって、長年貢献してきた星環騎士艇を捨てるのも味が悪い。つまり」
杉原行成には、復帰しても乗る星環騎士艇がない。
『翠銀弓』には、乗りこなせる星環騎士がいない。
「できる限りお前に、寄せた改修をした」
整備班長が父の後ろから出てきた。
「セッティングは行成が復帰してから、徹底的に詰める。
さっきも言ったが、自殺する艇作りなんざ付き合わねえぞ。
勝って、無事に戻ってくる戦法に戻せ。
行成が、騎士艇に寄せろ。
高瀬の後追いは柄じゃねえだろ?」
厳しい意見だが、もっともだ。
高瀬長門は天才だ。
後追いしようにも、俺は――
整備班長は行成の右手を掴んだ。
「天才なら、もう一人、いるんだ」
整備班長が人差し指を胸元に突きつけてきた。
「行成は、高瀬とは違う、天才なんだ」
生き急ぐな、と整備班長は言う。
「この艇の登録名は、『翠兵旋』。
この色合いも、
樹木の生い茂る海岸から水平線の彼方を臨む少年のイメージだよ」
技術畑出身、元澪和副社長、現澪和騎士団マネージャーである行成の父の命名。
「……今のお前は、リングワンダリング(※)、
視界の効かない雪山にいる遭難者と変わらない。
目的地を見つけろとは言わない。
せめて、目印を見つけてくれ」
勝チタイ、が止まらない行成への、父からのメッセージ。
「俺の目印……」
水平線など、ここにいる誰も見たことはない。
星環暦時代の今日、見たことのある者は月を見たことのある者以上に限られている。
地球上に残るわずかな人類の生き残りですら、見たことがないのかもしれない。
(※ 地図やコンパス、目印を持たない状態での堂々巡りの遭難。大変危険)
水平線――
旧世界の映像として観たことはある。
空と海の交わる、青と蒼の境界線。
水平線の彼方に、何があるのか。
自宅に戻った行成は、自身が星環騎士を目指した原点である高瀬長門の姿を思い浮かべる。
高瀬は、大地戦直後に失踪したまま、依然として姿を見せない。
「――沖大地がいなくなれば……」
あの頃が、取り戻せるのではないか?
左の拳を強く握りしめる。
手のひらに覚えた痛みが行成に確信を与えた。
戻レル、と。
時間は不可逆。
人の繋がりも、また然り。
相談する相手のいない行成は、間違ったまま突き進んでいく。
水平線のまだ見ぬ彼方へ
恐れず進めと
胸の奥の灯が囁く




