第38話「憧憬(あこがれ)の原光景(げんこうけい)」
こどもの頃の文集の定番。
『大人になったら、何になる?』
憶えていますか?
叶いましたか?
【望澪星環群、澪安(研究星環)】
まだ、誰かに手を引かれていた頃。
杉原行成は星環連絡バスの操縦士になりたかった。
澪和航空の技術・整備本部長である父を持つ杉原は、伏露(居住星環)にある大規模な観戦施設に父母とともに招待席で観戦することも多かったようだが、その当時はまだ星環騎士に関心はなかった。
人型の船が宇宙を飛び交い、度胸と技量を競う騎士戦よりも、当時杉原一家が住んでいた澪安(研究星環)と伏露(居住星環)の往復の際に乗っていた星環連絡バスの方に興味津々だったのだ。
両親とどこかへ出かける非日常の象徴。
おめかしをして、時には美味しいものを食べられる。
出発前に乗客に挨拶をする星環連絡バスの機長や副操縦士の制服も、
乗客を送り迎えしてくれた客室乗務員も、
少年の杉原の目にはとてもキラキラして見えていたのだ。
「ぼく、大きくなったら、星環連絡バスの機長さんになる」
まだ小さかった頃の、杉原行成の夢。
そうして、何度目かの騎士戦観戦施設へのお出かけのこと。
回数を重ねると、運の悪いこともあるのだろう。
星環連絡バスの搭乗口で、いまかいまかとはしゃいでいた行成。
《R28便―TIをご利用のお客様にご案内いたします。
先ほど発令されましたデブリ警報の範囲に航路が一部重なっております。
そのため、現在安全確認を行っております。
出発時間の見通しは現在のところ、未定でございます……》
星環連絡バスが遅延すること自体は珍しいことではなかった。
直前に整備不良が発見されることもある。
だが、デブリによる遅延は行成には初めての体験だった。
《出発時間につきましては、わかり次第、館内放送、掲示板、当社……澪和航空アプリの遅延状況案内にて発表いたしますので、随時確認いただきますようお願いいたします……》
ロビーにいた人たちの顔が曇っている。
行成たち杉原一家のように、観戦施設へ行く人たちにとっては、生配信を見逃すことに繋がる。
特に今回は、望澪から久しぶりに生まれた新鋭と同世代の好敵手との対決なのだ。
3時間も過ぎたころ、行成の父は予約のレストランにキャンセルの連絡をした。
「……残念だけど、お食事は戻ってからにしようか」
楽しみにしていた星環連絡バスに乗れないうえに、滅多に食べられない大好物のハンバーグが消えていった。
母がすぐそばの売店で買ってきたサバサンドを家族みんなに分けてくれたが、行成の機嫌は治まらなかった。
《安全確認が完了いたしました――》
やがて、待ちかねたアナウンスが流れた。
まだ出発時刻のアナウンスがされていないのに、行成は搭乗口の先頭に並んだ。
《R28便―TIの出発時刻は――
なお、使用機到着遅れのため、搭乗口が29番に変更――》
「ほれ、行成。聞こえたろ。
向こうの端の29番まで、競争だーー」
行成は父に負けず駆けだした。
運が悪いときは、重なるものらしい。
R28便―TIの座席に設置されたモニターの「機内エンターテインメント(IFE)のフライトマップ」が表示されなくなった。
これは、GPSデータを用いて航路、3D相対位置、速度、到着予定時間などをリアルタイムに表示するもので、座席モニターや自分の端末で、航空会社のサービスとして提供されているものだ。
「遅延の次は、故障かい?
通信? それともモニター?」
行成の父は自分の端末を取り出して、機内エンターテインメントアプリを開こうとした。
繋がらない。
心なしか、R28便―TIが加速を上げた気がする。
次の瞬間、大きな衝撃が機内を襲った。
《当機は、大きく航路を外れております。
当機をご利用の皆さまは、備え付けのマニュアルに沿って、
衝撃防止姿勢を取ってください》
聞きなれない、耳障りな警告ブザーの中、いつもとは違う機械音声によるアナウンスが繰り返し流れている。
行成は父の真似をしてシートベルトを締め直し、前傾姿勢を取り、頭を前の座席の背もたれに預け、両手を頭の後ろで組んだ。
星環連絡バスの機長さんになる。
その夢を友人の前で誇らしげに話したときのことを思い出す。
『事故るんじゃ、ねーぞ?』
『宇宙空間で、星環連絡バスが事故を起こす確率は、
毎日乗っても8000年に1回の確率。
宝くじが10回当たってもお釣りがくるくらい滅多にないんだ』
一方で、事故に遭ってしまった時の生存率は――
行成は父さん、と呼んで安心したかった。
父は、こわばった顔で、それでも笑顔を浮かべて行成に頷いて見せた。
隣の母が行成の肩を震えを隠せない手で抱きしめてきた。
それでも怖くなってきて、涙が零れ落ちた。
いつも行成を安心させてくれる機長も副操縦士も客室乗務員さえ、姿を見せない。
楽しい星環連絡バス行は、どこに行ってしまったのか。
どうして、こんなことになってしまったのだろう?
デブリは、宇宙空間を超高速で周回していることが多い。
たとえ1センチメートルに満たない小さなデブリであっても、人工天体に衝突すれば深刻なダメージを与える可能性がある。
過去の大戦において生じたデブリに限ってさえ数が多すぎるため、その全てを追跡することは事実上不可能といっていい。
中には熱反射・吸収率が高い、いわゆるステルス性の高い材料のデブリも混じっている。
R28便―TIは運が悪すぎた。
航路がほんの1メートルずれていれば、起こらなかった不幸。
長さわずか50ミリ程度のデブリ。
それが2ダースほど、雨となって降り注いだ。
まず胴体上部に設置されたアンテナを破壊した。
続いて、予備動力源を、そして、異変を察知して機長の元に馳せ参じた客室乗務員を巻き込んで操縦席を射抜いた。
R28便―TIは操縦者なしに加速を開始、航路を大きく逸れ始めた。
向かう先は、一般船舶の侵入を決して赦さない旭多(廃棄星環)。
少し後に始まる、星環騎士戦の舞台――
R28便―TIにとっての幸運は、緊急用AIがわずかに機能していたこと。
破壊されたアンテナが使えないと判断するや否や、予備アンテナを展開し、救難信号を発したのだ。
直後に電気回路が焼き切れ、緊急用AIもまた、役目半ばで機能を停止した。
さらに、もう一つの幸運があった。
管制官の仕事は、多岐に渡る。
この日は特に発着スケジュールは遅延もあり、超過密だった。
星環内部/ベイエリアの管制(誘導路・エプロン担当)、星環外縁/発着場管制(発着空間担当)、それぞれがいつ、どのタイミングで出発/到着させるかを交信しつつ判断する。結果だけ知らされる遅延への対応から、出入りのレーダー管制まで……
多忙を極めた澪安と伏露星環の管制官は、R28便―TIの事故対応に当たって、ともにMVP級の仕事をしたと賞賛されていい。
両者はR28便―TIの遭難救助にあたり、ほぼ同時に最適解を導き出した。
【望澪星環群、旭多(廃棄星環)】
《――ただいま開始です》
開始ブザーと同時に斧槍を構えなおした『星炎迅』の操縦席に『翠銀刀』を駆る高瀬長門から通信が入った。
「どうした? 怖気づいたか?」
セカンドリーグで高瀬を何度も弾き返した自信が大口を叩かせる。
しかし、画面に映る高瀬の表情は心ここにあらずといった風情だ。
面白くない、『星炎迅』内で操縦者は顎に手を当てた。
「……試合開始の延期を申し入れたい。
無理なら、こちらは、おとなしく降参する」
深刻な整備不良でも見つかったのだろうか。
だが、ここで容赦するいわれはない。
前回のシーズンで彼の星環群が手放した優勝の二文字、少しでも揺らぎを見せるわけにはいかないのだ。
「まだ、打ち合ってもいないぞ?」
だが、口に出るのは思惑と裏腹な言葉。
青いと言われようが、この衝動ばかりはどうしようもない。
だが、対戦相手の高瀬にも同じものがありはしないか?
なぜにこのような弱気な提案を?
怪訝に様子を窺う『星炎迅』に業を煮やしたのか、高瀬はさっさとギブアップ宣言をしてしまった。
……ホームでこれは……
『星炎迅』は降参を受け入れ、構えを解いた。
遠く高瀬のホーム戦勝利を信じて詰めかけた観客たちは騒いでいよう。
幸い、高瀬からの通信は切られていない。
「事情を、聞いても構わんよな?」
「……原因は不明だが、伏露行の星環連絡バスが
制御不能の暴走事故で旭多の周辺空域、
進入禁止ラインをさっき超えたと緊急通報が入った。
どうやら、本物の事故のようだ」
「なんだと?
いやっ、待て。
こちらのスタッフも今、情報を掴んだ。
それなら……」
「操縦席が機能していないのか、進入禁止ラインを超えた後の航路が掴めん。
加速したまま航行しているなら、
救助スタッフの船では間に合わん可能性がある。
だが、俺の『翠銀刀』のスピードと、レーダーなら、
遭難船を見つけられる」
「……遭難船の船種データ諸々こちらに寄こせ。
三点観測より精度は落ちるが、
『翠銀刀』単独よりも早く発見できるはずだ。
聞いた通りだ、騎士運の役員さん方。
澪安と伏露の星環管制官に礼を……よし、受け取った。
基本座標、『翠銀刀』、合わせ。
リンクして飛ぶぞ、高瀬」
「炎城……恩に、着る」
「礼なら、俺の勝ちをもらっている。
面倒ごとは、これきりだぞ」
炎城志朗駆る『星炎迅』と、高瀬長門駆る『翠銀刀』による、最初で最後の編隊飛行。
今なお暴走するR28便―TIを目指して二つの稲妻が宇宙を駆ける。
船体にこれまでと違う揺れを感じた時、行成はこれで最後なのだと恐怖を覚えた。
宇宙のどこかにいる神様にすがった。
今日は、いつもとは少し違った楽しい日になるはずで。
でも、明日はいつものような明日のはずなのだ。
死にたくない――
行成は泣いていた。
父も母も、泣いていたのだろうか。
しかし、行成の予想に反し、終わりはいつまでも訪れなかった。
乗客たちは外の様子を知る術はなく、怯えるしかできることがなかった。
行成やR28便―TIの生存者が、自分たちの無事を確認できたのは、そこからもう少し先のこと。
伏露中央部のベイエリア内でようやく外に出ることができ、外装の3分の1がボロボロになったR28便―TIと、それを大事そうに抱える『翠銀刀』を見た時――
いや、遭難から奇跡の生還を果たした彼らを温かく迎えた、若き星環騎士、高瀬長門の姿を見た時――
『大人になったら、何になる?』
高瀬長門!




