第32話「抜倒(ばっとう)」
技術や
経験が
積み重なるほどに
より準備した者には
勝利の門がより大きく開く。
すなわち、
大半は
開始時点で運命づけられている――
【望澪星環群、旭多(廃棄星環)】
『翠銀弓』操縦席。
「このまま場外まで……」
押し出して……
癖で計器類にざっと目を通した。
レーダーでは端になりつつある旭多。
一瞬、『赤銅驥』を廃棄星環の外壁に叩きつける誘惑に駆られる。
高瀬は頭を振ってその想像を追いやる。
それより、数秒前から稼働中のニトロ機関がレッドゾーンになり始めていると警報が鳴っている。
高瀬は柔らかく息を吐き出し、ニトロ機関をオフにした。
先ほどまで体に伝わってきた揺れが治まっていく。
冷静に、冷静に。
挑発してきたということは『赤銅驥』には策があるということ。
それも、高瀬を興奮させたい動機を推理すると、前回の再現、すなわち旭多 内部での策を弄していると考えられる。
脚を潰されてからの「燕返し」のほか、脚を残していた場合に使えたはずの作戦に縋ってリターンマッチを要求したのだろう。
つまり、その策は旭多ありき。
北斗星環群には、該当しない何かがあるからこそ、ホーム開催を捨てた――
「そういうことなら、
意地でも旭多に近寄らせるわけには、いかないな」
どのみち、無重力環境下の宇宙空間において、航続時間ではやや譲るものの、加速、最高速は圧倒的に『翠銀弓』が勝っている。
場外への押出しが叶わずとも、どうにでも料理できよう。
このときに高瀬が『翠銀弓』の速度をしっかり確認していれば、思ったほどに速度が出ていないことを不審に感じたかもしれない。
【望澪星環群、伏露(居住星環)】
ドーム空間。
《舞い散る火花は、断末魔の予告状か―っ
『赤銅驥』、
盾にへばりつくのに精一杯。
これではもう、打つ手なしか―っ。
ニトロの『翠銀弓』は、止まらない―っ》
『高瀬―っ』
『弾き出せ―っ』
《――おや、『赤銅驥』が『翠銀弓』の盾の持ち手を掴んだぞ?》
【望澪星環群、旭多(廃棄星環)】
『赤銅驥』操縦席。
もう外装で派手に弾けていた火花はない。
『翠銀弓』のニトロ機関停止に合わせて、
『赤銅驥』も電磁力スラスターを停止した。
これで、盾と『赤銅驥』との摩擦力は先ほどより減っているはず。
姿勢を調整して、にじり寄る。
盾の持ち手の位置は、高瀬の過去映像で散々確かめた。
狙うのは、左腕。
今日だけ、違うなんてことはない。
高瀬は、熟練の騎士なんだから……
第五段階――
『翠銀弓』の腕を確保……よし、した。
ここまで、合っている。
……合っているはずだ。
第一段階は、
『翠銀弓』のシールドアタック最適距離までの接近。
第二段階は、
高瀬が尻尾撒いて逃げられないように選択肢を縛り付ける煽り。
第三段階は、
ニトロ前提の高速シールドアタックに対して、
衝突面積を最大になるように調整。
第四段階は、
『翠銀弓』の推力と逆方向に電磁力スラスターを噴かしてブレーキ。
第五段階は、
『翠銀弓』のニトロ解除後に
『赤銅驥』の電磁スラスター解除、
摩擦力を減らした状態で『赤銅驥』の姿勢を制御して
盾を持つ『翠銀弓』の腕を確保する……
よし……
さて、ここが一番の綱渡り。
理屈では成立している。
『赤銅驥』の左手は盾の端を。
『赤銅驥』の右手は『翠銀弓』の左腕を。
そして、様式美ではない、ハンマースルー。
だが、俺のこの弾けそうな心臓の鼓動が。
疑っている――
怖がっている――
世界は、冷たい方程式で満ちている。
だから――
「世界を、信じる」
魔法の呪文で恐怖に蓋をして、
再び、電磁力スラスターを点火。
ただし、今度は『赤銅驥』の左側面から。
第六段階。
『赤銅驥』を盾の外側に滑らせつつ、『翠銀弓』の左腕を力の限り引き付ける。
反作用で『赤銅驥』の機体が『翠銀弓』の左わきを潜り抜けて、二機の位置が入れ替わっていく。
【望澪星環群、伏露(居住星環)】
ドーム空間。
《なんだ、これは? 魔法?》
ついさっきまで歓声に沸いていた観客席にどよめきが走った。
《『赤銅驥』、
小賢しくも『翠銀弓』の背後を取ったか?》
MCが相変わらず陽気で邪悪なシャウトで煽る。
《だが、近いぞ。近すぎるっ。
そこは、お前の距離じゃないはずだ―っ》
第七段階。
ここからいよいよ本番だ。
自信をもって鋼谷はそう希倫に言った。
「作戦名、名付けて、死地天、抜倒」
作戦名を聞いた希倫が眉をしかめた。
「ダジャレというか、オヤジギャグ?
ダサっ……」
肘をL字に曲げた鋼谷の決めポーズが、空しい。
可愛い声と顔で、きっついな、この娘……
【望澪星環群、旭多(廃棄星環)】
『翠銀弓』操縦席。
背後を取られた。
それ自体は、初めてでもない。
だが、なんだ、これは。
2機の相対距離が、あまりに近すぎる。
これでは、『赤銅驥』の
至近距離兵装、パンチングナイフだって使えまい。
高速で振り切れば――
計器を見やると、ニトロ機構がまだクールダウンタイムであると示している。
通常の機動では、左腕が固定されているせいで振り切りきれそうにない。
それにしても、沖め。
何を企んでいる……
突然、モニター上に『翠銀弓』の左腕と頸部にイエローシグナルの警告が発せられた。
「何が、起こっているんだ??」
『赤銅驥』操縦席。
第八段階、クリア。
『ハンマースルー』で位置を入れ替える勢いそのままに、
『翠銀弓』の背後から、左腕と首を抱え込んだ。
間を空けずに、『赤銅驥』の両脚で『翠銀弓』の胴体部を挟み込む。
よし、第九段階へ移行。
思惑通りに行き過ぎて、恐ろしくもある。
心臓が口から出て行ったのか、
あれほど激しかった動悸が収まっていた。
高瀬はここにいないものとして、粛々と進めましょう。
行くよ、空気圧起動。
ここからは、最新鋭装備のお前が、頼み――
大地は空気圧起動の液化水素バルブを解放した。
その瞬間に『赤銅驥』内部で膨張圧が立ち上がる。
解き放たれた水素の生み出す暴力的な圧力が、両脚と両腕へ流れ込む。
【望澪星環群、伏露(居住星環)】
ドーム空間。
《どういうことだ?
『赤銅驥』が『翠銀弓』の背後から、
ただ抱き着いている?》
観客席には困惑が広がっている。
自分たちは一体、何を見せられているのだろう。
《赤子のように背中に抱き着いた『赤銅驥』、
慈悲か?
慈悲を乞うているのか?》
腕組みをした鋼谷が嬉しそうに解説する。
「技そのものは、古代からある」
禁じ手にもなった時期もあるという必殺技――
「必殺技ぁー?」
騎士団のメンバーには、割と評判良かったんだけどな……
鋼谷は救援を求めて周囲を見回した。
白石さん、どこに行ったんだ?
あんたしか、コントロールできねえみたいだぞ、この娘――
観客席の一角。
ただの観客のつぶやき。
「…胴締め、チキンウィング、フェイスロック?…」
ほかの誰も聞いていないつぶやき。
たった一人の、正解者。
【望澪星環群、旭多(廃棄星環)】
『翠銀弓』操縦席。
左腕と頸部にイエローシグナルの警告よりも、
腰椎にかかる負担の方が深刻なようだ。
画面上のダメージレートが見る見るうちに増えていく。
「掴まれただけで、
こうもダメージが通るわけ、ないだろうがっ」
だが、現実は残酷だった。
シートを通じてもニトロ機関とは違う嫌な軋みが背中を通じて響いてくる。
ついに、腰椎のダメージがレッドアラートを発した。
「冗談じゃないぞ!
こんな、こんな……」
高瀬の叫びは、誰にも届かない。
『赤銅驥』操縦席。
「腰椎を砕いたから、もう何もできないよね」
どのスラスターを使おうが、反作用を受け止めるのは、最終的に星環騎士艇の背骨である腰椎だ。
まして高瀬の『翠銀弓』の生命線は高速機動だ。
もう、何もできはしない。
再び、『翠銀弓』との通信を開いた。
言うこと、あるんじゃない?
「……」
まだ、やるの?
そういえば、さっき、
試合中の通信が褒められないとか、言ってたけどさ。
前回の試合中に勝ち誇って、
いろいろとくっちゃべってなかったか、あんた?
自縄自縛?
「……」
またも通信が一方的に切られた。
返す言葉も、なかったか。
あ、言質、とってねえ。
しゃーねーな……
トドメ、刺すか。
何の感慨も沸かない。
この先こそ、ただの作業手順。
残業が怠いだけだ――
【望澪星環群、伏露(居住星環)】
ドーム空間。
MCの声は、聞こえない。
どこへ行った?
今日の試合は、10万人札止め。
満員のはずの観客の声も、聞こえない。
どこに消えた?
杉原行成は頭を抱えた。
何が起きているのか、理性が理解を拒む。
『赤銅驥』の狙いは首でも腕でもなかった。
立体モニターには、非情にもダメージレートが詳細に映し出されていた。
「本命は……
『翠銀弓』の腰椎か――っ」
姿勢制御の要である腰椎を示す文字が、
真っ赤な色に置き換えられて機能不全であることを示している。
これでは、もう『翠銀弓』は戦えない。
業腹ではあるが、負けを認めるしか……
しかし、高瀬からのギブアップ宣言は一向に出る様子がない。
やがて、『赤銅驥』は飽きたように『翠銀弓』の首を手放した。
いや、離した手で『翠銀弓』の残った腕を取って、
その両の腕を鳥の翼を広げるように絞り上げ始めた。
先ほどまで腰椎にダメージを与えてきた『赤銅驥』の両脚は、
するりとスライドして『翠銀弓』の両膝をフックした。
まだ、辱めようというのか……
「やめろー」
杉原はたまらず立ち上がった。
周囲の注目も気にしていられなかった。
『杉原?』
『杉原じゃね?』
「もう、勝負はついたじゃないか――」
本当は、杉原にもわかっている。
高瀬がギブアップしない以上、沖は攻め続けるしかないことを。
中央の立体モニターを指さし、再び解説する鋼谷。
「今度こそ、決着だ…漫画版のほうだがな」
「漫画?
本当に何、言ってるの?」
「……無重力環境下の宇宙で、最も脱出不能な技、
パロ・スペシャルだ。
瞬発力こそないが、
最大出力、ねばり、柔軟な対応力で
大きく他の駆動装置を凌駕する、
『赤銅驥』に搭載された空気圧起動は、
まさに、このためにある!」
兄が勝ち筋に乗ったことは、希倫にもわかってきた。
立体モニターの『翠銀弓』の両肩が、両股関節が、同時にがくんとずれた。
それと同時にモニターに表示された機能停止の数値が50%を、超えた――
大地の勝利を宣言する機械音声がドーム中に無常に響いた。
モニターの背景で青白い光が激しく明滅している。
《沖、大地。ダメージ0%での勝利は、これが初となります》
《Congratulations
on
your first no-damage victory!》
第2戦は、前回と全く逆の展開。
高瀬は結局、何もできないまま、
大地と『赤銅驥』の軍門に下った。
【北斗星環群、瑞穂(居住星環)】
「すげえ。
前にボロボロにされたのに、完勝じゃん……」
大地たちの勝利は、次の誰かの心に届く。
【望澪星環群、伏露(居住星環)】
高瀬長門に約束された勝利を、
記録付きの完全勝利で暴力的に奪われた望澪(星環群)、伏露の観客たち。
起こったことの意味を飲み込めず、誰も席を立たない。
動けない。
声もしない。
スタジアムMCも声を失い、立ち尽くしている。
大地の完勝に、コールも出せないMCの元に、
急遽、差し替え原稿が届いた。
「大の大人が揃いも揃って、いつまで、惚けてるの」
「え? え?」
届けたのは、赤銅騎士団の白石美月。
「早く、仕事して」
落とされまくった評判を巻き返す一手。
高瀬第1戦での完敗では、ここぞとばかりにアンチ情報が流された。
大会賞金だけでなく、チームのグッズの売り上げも騎士団の大事な収入である。
チームの象徴である沖大地が悪印象を擦り付けられたままでは困るのだ。
白石マネージャーは、大地を信じている。
だが、祈るだけの女ではない。
MCが呆けた場合のことも、計算していた。
大地の勝利にあっけに取られる隙に
スタッフの目を潜り抜けてMCスタジオに潜り込み、
今、MCに原稿を渡したのだ。
美人の笑顔を添えて。
《辛いことがあれば――っ》
原稿を前にしたMCの体が、勝手に動き出す。
《俺を、見ろ……》
そう、イメージ戦略。
《そう、沖大地を、見ろ……》
大地の評判を少しだけ上げるために徹夜で推敲した原稿。
《そうすればぁっ》
持ち上げすぎると世間の評価と乖離して浮く。
《大抵のことはぁ、》
そう、ただ、いつでも楽しき気分を再現できるように。
《どうでも……良くなる!》
コールは「信じる者は救われる」では、いけない。
誰もが共感できること。
大統領ですら、辛いときはあるだろう。
見てたら、楽しい大地を見ろよ。
楽しんでるときって辛くないだろ?
でも、効果・効能には個人差があります。保証はしません。
本当は、グッズを買ってねぇぇぇと叫びたい、白石マネージャー。
希倫の目から涙がボロボロ零れる。
「ホント、もう、訳わかんない」
前回に流した涙とはまったく異なる。
昨夜に流していたのとも明らかに違う。
そして、胸の奥に生じる違和感も、これまで以上に大きくなっていた。
何で、勝てちゃうのよ。
もう、知らない。
身内の試合でこんなに気持ちをかき乱されるなんて。
生配信で兄の試合を観るのは、これきりにしよう。
勝利は運命づけられる。
しかし、自分で掴み取るしかない。
つまり、
約束された勝利など、一つもない――




