第31話「死地転(しちてん)」
怪我せずに
帰ってきてね。
……違った。
勝って――
【望澪星環群、伏露(居住星環)】
高瀬長門 VS 沖大地
因縁の二人が再び相まみえるこの日のために開放されたドーム会場。
ドームの中央、立体映像は、試合会場である旭多(廃棄星環)が映し出されている。
『高瀬!』
『長門!』
『高瀬!』
『長門!』
観客同士の自然発生的なコール&レスポンス。
会場そのものが、一つの生き物のように脈打っていた。
まるで儀式か、祭礼。
いや、兄を生贄にした星環ぐるみの聖餐ではないのか。
関係者席の希倫は居心地が悪そうに腰の位置を変えた。
土地が呼吸しているような音の暴力。
耳鳴りが酷い。
これが敵地なのか。
理解していたはずだったのは、まやかしだった。
何万人分もの声が、床を震わせていた。
増幅され続ける声援。
床、壁、大気そのものさえも。
希倫の履く靴までも反響で震えている。
耳鳴りがどんどん酷くなる。
自分でも、血の気が引いていくのがわかる。
胃液が、喉の奥までせり上がってくる。
ここは、巨大な生き物の腹の中か――
気持ちが悪くてたまらない。
「……すみません、少し……」
たまらず関係者席を離れた希倫が通路へ出たとき、あれだけ苦しかった音響が嘘のように遠のいた。
『高瀬!』
『長門!』
それでも壁の向こうで、高瀬コールは止まらないのがわかる。
「沖、大地!」
壁を殴る。
「沖、希倫――!」
繰り返し。
「私は、ここにいる!」
呼吸が――戻る。
一段と強く壁を殴る。
拳の痛みも、構うものか。
通り過ぎる人に奇異な視線を向けられたが、構うものか。
護符の私が――
踵を返す。
「沖、大地!」
痛む拳を突き上げる。
強い足取りで、
逃げてきた道を、踏みしめる。
【望澪星環群、旭多(廃棄星環)】
ドームの狂騒は、高瀬の耳にも届いている。
いつもと同じ。
騎士は、観客とともにある。
高瀬長門の心を支配しているのは氷のような静寂だった。
シートに深く腰掛けた高瀬の肢体には、力み一つない。
高瀬が対峙しているのは、かつて完膚なきまでにねじ伏せた男。
妙ではあった。
今回もまた、冠試合。
冠試合を申し出たのは、敵方のオーナーだ。
それにもかかわらず、舞台は望澪。
ホーム開催権を放棄してまで、この地を選ぶ合理が見えない。
主催の大網グループは、瑞穂(居住星環)を中心に北斗星環群に網を張る一大ネットワークだ。
資金不足で澪和航空に泣きついたと、
巷間ではそう囁かれている。
とても信じがたいが、
現に興行権の実質は、協賛の立場の澪和航空に渡っていた。
『今度はお手柔らかに、と言っても、聴かないのでしょうね』
前回は沖を死なせてしまうところだったと、澪和航空代表の横にいた重役の一人から苦情を賜った。
あの時は、やり過ぎてしまったと頭を下げた。
本音では……
【望澪星環群、伏露(居住星環)】
杉原行成は観客席の一角にいた。
スケジュールの調整が昨日までうまくいかず、ギリギリで空いたところを澪和航空スタッフに頼み込んで、一般席を確保したのだった。
礼文を相手に秒殺した高瀬完全復活からは控えていたのだが、沖戦だけは見届けなければいけない気持ちになり、試合スケジュールさえ無理やり調整したのだ。
澪和騎士団のマネージャーからは何度も小言を言われたが、最終的には押し切った。
『言葉に、うまくできないのだが』
杉原は、数日前の高瀬との会話を思い返していた。
『どうにも、
この世に置いていてはいけないという予感に
囚われていてね』
高瀬は、誰をのことを指しているかまで言わなかったが、沖であることは明白だった。
高瀬が何を恐れているのか、いまだに杉原には思い至るものがなかった。
ドーム会場立体モニタに目を向けるとそのすべてが、高瀬の過去試合特集を繰り返している。
神聖なる電磁竜巻。
まさに全盛期の高瀬長門は神に等しい。
ドーム会場立体モニタの一つが観客席に切り替わる。
いや、関係者席か。
スタジアムレポーターが画面に大写しになった少女に近づいていく。
《今日はこちらに、沖騎士のご家族……》
「……さすがに下種じゃないのか?」
しかし、今日の杉原は観客席。
スタッフに抗議を申し入れる手段がなかった。
「今日の高瀬はいつ吶喊占いするか、賭けようぜ」
「賭けるなら、どこまで壊すかにしねえ?」
「今日も、派手に飛ばされっかな」
「いや、機体も新調したし、ちょっとは見せてくれるでしょ」
「さすがに前より長く持たせるでしょ、相手企業のとはいえ冠試合だし」
「沖も意外に人気あるから、すぐ終わるの、もったいないよね」
「沖の負け顔、映えるよね。とってもキュート」
「沖くん、今回は無理しないでいいんだよ」
「高瀬相手なら、リターンマッチを申し込んだだけでも立派よ」
「28連勝がまぐれじゃなかったって、少しは見せようね」
「敵地で冠試合とか、前代未聞、天晴。いやー長生きするもんじゃ」
観客席の誰一人、高瀬の勝ちを疑う者はいない。
確かに、勝利はすでに約束されている。
だが、誰に約束されているのかは、神のみぞ知る――
【望澪星環群、旭多(廃棄星環)】
「不思議だ。
君を叩き伏せてから、
宇宙がとてもクリアに感じられる」
モニターの中で、沖大地の駆る『赤銅驥』が映し出されている。
《澪和航空、エ~~ンド、大網グループ、プレゼンツ――!!》
主催の方を、先に言わないだと?
高瀬が訝しんだ。
《高瀬長門駆る『翠銀弓』》
《沖大地駆る『赤銅驥』》
後で、あのMCには苦情を入れなければなるまい。
【望澪星環群、伏露(居住星環)】
ドームの中央に浮かび上がった高瀬長門と『翠銀弓』のビッグポスター。
向かい合うように沖大地と『赤銅驥』のビッグポスター。
慣れたようにドームを煽るMCの声。
《前代未聞の、身の程知らずを、弾き返すは!!》
今日も調子っぱずれの、勢い任せの絶叫。
MCのリズムに酔った観客席が躍りだす。
《高瀬――!! 長門――!!》
関係者席。
全身が強張った希倫の手に、覆いかぶさるものがあった。
「白石さん?」
白石の手のひらだった。
こんな中でも余裕の笑みを浮かべている。
悔しい。
「可愛い、は正義」
唐突に何を言うのか。
「どんな形でもいいから、笑って」
表情筋がうまく動いてくれない。
無理で……違う!
思い直して、両掌で自分の頬を二、三度叩いた。
無理やり笑え、私!
小首を傾け、人差し指を頬に当て、強引にモデル笑いを思い出しつつ。
「よく、できました」
《高瀬長門が駆る『翠銀弓』
VS
沖大地が駆る『赤銅驥』、
ただいま開始です!》
【望澪星環群、旭多(廃棄星環)】
あの時の再現のように、開始ブザーが、互いの操縦席内に響いた。
「若者は伸びが早いと、言ってあげたいのだが」
『翠銀弓』目指して高速で接近してくる『赤銅驥』。
「沖くん。
思ったより成長していないね」
その軌道、タイミング、狙い目。
高瀬には透けて見えた。
予感は、杞憂でしかなかったようだ。
「クリアすぎる。
もっと……私を驚かせてくれないか、沖くん」
沖の描く軌跡を見ながら、高瀬は鼻で笑った。
その呼吸は静かだ。
突然『赤銅驥』が、停止した。
そこは中間距離。
高瀬の最も得意とする間合い。
今回の沖はどのような罠を仕掛けようとしているのか。
『赤銅驥』の中では、大地が含み笑いをしていた。
作戦の第一段階は完了。
すぐに第二段階だ。
『翠銀弓』への回線開け。
モニターに操縦席におさまった高瀬が映し出される。
「試合中の通信は、褒められた行為ではないぞ?」
降参したいなら別だがな、と高瀬が言った。
その間、大地はニヤニヤと嫌らしく笑うのを止めない。
あんたさ、この3年で初手を譲って勝てたの、俺だけだろ?
礼文戦のことは、あえて無視。
何をもって初手とするかなんて、高瀬に考えさせりゃあいい。
何が言いたい、と高瀬が言い切る前に、
まぐれで勝って、天狗になってるんじゃねえの?
挑発と同時に、『赤銅驥』に仕込んだ炸薬で鎖の網を十六方向に広がるように打ち出した。
さしずめ宇宙に浮かぶ蜘蛛の巣。
あんた一人だから、一網打尽ってのは大げさだけどな。
大地は腕を組んだ。
高瀬の目の前であるにもかかわらず。
距離、取ってもいいよ。
『赤銅驥』じゃ、
『翠銀弓』に追いつけねえし。
「……」
無言から、モニターが暗転した。
あちらから通信を切られたようだ。
よしよし、続いて第三段階へ。
『赤銅驥』はわかりづらいように補助スラスターを使って『翠銀弓』に対して微細な円運動をしている。
微妙に照準しにくい軌道のつもりだろうか。
あからさまに罠臭い。
高瀬は逡巡したが、距離を取るという選択だけはあり得ない。
高瀬に期待されている最低ラインは、前回並みの完勝である。
新機種に乗り換えたとはいえ、公開された性能のほとんどで『翠銀弓』が上回っている。
騎士の実績においてはなおさらだ。
協賛とはいえ、冠にはこちらのメインスポンサーも乗っている。
高瀬はシートにもたれかかって深く息を吐いた。
自分は何を迷っていたのか。
予感という不確かなものに躍らされ過ぎていた。
「終わらせよう」
冷ややかな声に高瀬のすべてが圧縮されていた。
「お望みのものを、お前の望まぬ箇所にくれてやろう」
ニトロ機構へ火を入れた高瀬。
数々の星環騎士艇を屠ってきた、信頼の暴力装置。
骨格が軋む轟音とともに、翠銀の矢が放たれた。
Gにあらがいながら自身の姿勢と『翠銀弓』をコントロールする。
幻想すら拒否する圧倒的な加速が、『翠銀弓』を包み込む。
狙うは『赤銅驥』の胴体中央。
「運よく、
腰椎で済めば良いね。
沖くん」
悪ければ、両断――
『赤銅驥』の機影が目の前に迫った『翠銀弓』は、盾を前面に構えた。
高瀬は、獲ったと確信した。
獲った。
……次は、第四段階。
【望澪星環群、伏露(居住星環)】
《沖の『赤銅驥』、
体を何とか横に向けて、
かろうじて『翠銀弓』の
高速シールドアタックに耐えたーっ》
「今日も絶好調だぜーっ」
「吶喊占いの結果はいかに?」
「聞く必要あるのか、それ」
超満員の観客席は沸きに沸いている。
希倫の後ろから肩に手が乗せられた。
「大丈夫、真正面ではなく横へ機体を流した。
受け身を取れた。
衝撃は、逃がしているよ」
立体モニターでは、凄まじい火花が散っている。
本当に受け身とやらは取れているのだろうか。
「火花は、『赤銅驥』から。
つまり、騎士艇内部で点火せずに放出した推進剤を
電磁力でプラズマ化し……
要は、相手に見えにくい形でブレーキングしているんだ」
画面を注視していた希倫の目に、『翠銀弓』の持つ盾の縁に『赤銅驥』の手が掛かっているところが映っていた。
「第五段階、クリア」
立ち上がり、腕組みをした鋼谷が何か言っていたが、希倫には意味が分からなかった。
観測されるはずだったのは、完勝。
これから観測されるのは――




