幕間「看板娘、敵地に立つ。」
飛行機。
船。
電車。
バス。
「どこへでも行ける」
そんな高揚感が包む。
でも、降り立つのは大抵の場合、普通の町だ。
【望澪星環群、伏露(居住星環)】
検疫を済ませた希倫はロビーに出ると、迎えの姿を探した。
まだ、耳鳴りが残っている気がする。
瑞穂を出ること自体が生まれて初めてで、
気圧調整室も検疫ブースも興味深い体験だった。
一番きれいな空は瑞穂にしか――
プロモで兄が言っていた口上を思い浮かべた。
ガラス越しではあるが、伏露の空の色も瑞穂と同じように綺麗な青だった。
それは、そうだ。
同じ構造で光ファイバーで運ばれた、同じ太陽光。
違っているなら、設備か自分、どちらかが故障している。
「こんにちは。希倫さん、お待たせしました」
自分が来ているのと同じ、
バーガンディ色のスカジャンを羽織ったおじさんが声をかけてきた。
落ち着いた上品な暖色が似合っていた。
希倫はお辞儀をして挨拶を返した。
身長は、兄より低目で希倫より少し高い。
肩幅、胸板は二人分くらいある。
角刈り、四角い輪郭、人のよさそうな笑顔。
最近、赤銅騎士団事務所で兄、大地と顔を合わせるときは大抵一緒。
鋼谷琢磨。
アドバイザー兼サブパイロット。
黒崎さんとは違う種類で兄と相性が良いっぽい。
あちらは悪友、こちらは兄貴分?
白石さん以外で兄が他人にこんなに懐いているのは記憶にない。
ただ、希倫は会うと挨拶を交わすくらいの仲なので何とも気恥ずかしい。
『赤錆色のスカジャンのペアルック? 趣味悪ぅ』
(赤錆はもっと明るくて、赤みが強い色だね)
『……山猿って、例のアレじゃない?』
(慣れろ。黒崎さんの言ったことを思い出せ)
(あえて名乗るし、あえて呼ばせているんだ)
『冠試合取ったのに、こっち開催ってさ、
北斗って試合会場とか観戦会場も用意できないの?』
(言わせておくんだ)
(試合が終わるまで、溜めるんだ)
「……希倫さん、上着、止めとく?」
せっかくの鋼谷の心遣いだが、希倫は首を横に振った。
「山猿を莫迦にするものは、山猿に泣かされるのです」
割と大きな声になったので、鋼谷は驚いた顔をして、周囲を窺った。
……別にこれぐらいは、いいだろう。
自分の声が良く通ることを忘れていたのは、マイナスだけど。
『なんだ、あの態度……』
『泣いて帰るのは、お前の方だ』
(向けろ、向けろ、その悪意を。兄だけではなく私にも)
鋼谷は希倫をかばうように悪意を背にしながらロビーの外に誘導する。
希倫は、今度は鋼谷にだけ聞こえる声で、
「そのために、来たんです」
自分は、完全アウェイの伏露の地にわざわざ呼ばれたのだ。
来た早々、泣いてなどやるものか。
なかなか気風のいいお嬢ちゃんだ。
こんな場所に白石さんが呼ぶはずだ。
鋼谷は希倫を伴ってタクシーに乗り込み、
騎士団が泊っているホテルを行先として指示した。
タクシーの運転手は一瞬いやそうな顔をしたが、黙っていた。
降りろと言われないだけ、まだましだな……
赤銅騎士団のメンツは3日前の便で伏露に到着していた。
なかなかに厳しいアウェイの洗礼は、前回にも感じた通りだ。
とはいえ、俺が現役での時は、ここまで露骨じゃなかったんだがな。
若い出世頭と地元の古くからの英雄って組み合わせのせいなのか。
さほどの間もなく、前回の対戦でも利用したホテルに到着した。
これが、住民から向けてくるのが、悪意だけならいいのだが――
チェックインの前に食事をしたい――
希倫のリクエストで、ホテルに隣接したカフェを選んだ。
この店のサバサンドは、大地のお気に入りである。
いつものように、入口とは反対側にある奥の人の少ないオープンテラス。
ホテルの客層も良いので、ここの客層もそれなりに。
さすがに気分を害することも……
『もちろん、高瀬だよ』
『終わったら、奢ってよ』
『倍率、低いんよな。1.4切らないのが不思議……』
オープンテラスにいた、わずかな人数の先客の、特に悪意のない会話。
聞こえる範囲が高瀬の贔屓だけならば。
「鋼谷さん」
河岸を替えるか検討した鋼谷をよそに、
「沖騎士のオッズ、教えてくれない?」
可愛らしい、それでいてオープンテラスどころか、
その先の屋内席まで通る声で。
凍り付く鋼谷を尻目に適当に席を決めて座る希倫。
「お小遣い、突っ込んじゃう!」
それだけ言うと鼻下で合掌。
これ、見方によっては睨んでいるように感じるらしい。
わずかな先客が、居心地の悪そうな目をして屋内席に移動していった。
屋内席に移ったぐらいなら、まだ営業妨害じゃない。
「わーい、貸し切りみたい!」
子どもっぽく見える外見を利用して、
わざと大きく手を広げてはしゃいで見せる。
誰にも見えない角度で、鋼谷に対してニヤリと悪い笑みを浮かべて見せた。
悪意がない相手には、無邪気に振舞いますよ――
「まだ、未成年だろ。投票券は、買えないよ」
呆れた風で向かいの席を引いて座った鋼谷の声も良く通るバリトン。
脚を組み、席にもたれ掛かりながら
鋼谷は携帯端末で店のメニューを呼び出して、何を注文するか希倫に尋ねた。
悪ぶって私の壁役になるとか、さりげなく大人ですねえ。
でも、それじゃあ、私を呼んだ意味なくなりますって。
「もちろん、名物のサバサンド。せっかくだしー、トリプルでっ!」
自分が思ったより店内に伝わったようだ。
見える限りの屋内の店員や客が希倫を振り返っていた。
そのほとんどの顔に、本当にトリプル食べるの、と書いてあった。
……あれ、食いしん坊と思われただけか?
「なるほど、悪くない。俺は若くないから、ハーフにするよ」
健啖家そうな風体で、ハーフ……
残しそうなら、引き受けるよってこと?
また、庇われましたかね。
名物サバサンドの特大盛を鋼谷に頼らず楽しんだ後、
ようやくホテル古珀苑にチェックイン。
当初の作戦目標とはズレましたが、
お腹いっぱいに美味しかったので、作戦成功と言っても過言ではありません。
全部を食べきったときの、
店の人たちと野次馬と化した伏露の住人達からの
感嘆と拍手喝采が、その証拠です。
鋼谷の方を窺うと、希倫の苗字を見たホテルマンが、
沖の身内かと尋ねているようだ。
ホテル側で情報を共有してよい範囲の確認だと言う。
希倫は最近の赤銅騎士団事務所の苦情・嫌がらせの電話の嵐を思い浮かべた。
……普通に嫌がらせとか、あるんだろうな。
なるほど、良心的なホテルのようです。
IDをホテル端末に読み込ませ、自分から沖の妹であることも正直に伝えた。
ホテルマンはほっとした表情を浮かべたすぐ後、少し気の毒そうな顔になった。
おっと、どうした?
「前回は、本当に大変でしたね」
えーと、
むしろ大変だったのは伏露の医療スタッフさんたちかと。
私、兄が元気になってからしか顔を会わせてなかったし。
こちらこそ、
愚兄が手を煩わせてしまって、申し訳ねえ――
希倫が頭を下げかけ、
「今回、何が起こっても、気を落とさないでください。
私たちが、ついてます」
前言撤回。
善良な人たちだ。
けど、勝ったつもりになってるね?
そこは、やっぱり飲み込めねえよ。
でも……きっと善意だよな……
「……お世話になります」
希倫はギリギリ笑顔と呼べる表情を返した。
ごめん、やっぱり瑞穂の空が、一番青いかも――
希倫は、ホテルの部屋のクローゼットに荷物を仕舞ってから、
兄、大地の部屋を訪ねた。
「ああ、来たんだ。ありがと」
個人主義のくせに一人の部屋を嫌がる兄は、家族部屋だ。
前に会ったのは、赤銅騎士団にお掃除ボランティアに行った時だから、
2週間ぶりになるだろうか。
ほぼ家に居つかなくなった兄と顔を合わせるのが、かつて兄を取り返すために直談判に訪問した騎士団事務所というのが、皮肉が効いていた。
奥にいるであろう健ちゃんの声が聞こえてきた。
「久々の兄妹水入らずで、ご飯でも行ってきなよ」
カチャカチャとキーパンチの音が漏れてくるのは、何かの作業中なのか。
二人にホテルのすぐ近くで食事を済ませたばかりだと伝えた。
「……トリプル? デブになるつも……」
蹴りと拳は勘弁してやる。
試合前だからね。
「……顎っ。しかも張り手でもなく掌底だろっ」
……肘で顎を守ったね?
痛いじゃん。
掌をぶらぶらと振って痛みを散らす。
改めて兄の顔をよく見る。
こんな顔だったっけ?
兄はことあるごとに「可愛く産んでもらっておいて」と言うけど、
兄も美形ではないけどかなり愛嬌のある顔立ちだ。
行動がそう印象付けるのか、軽い印象が先に立っていた。
その軽さと人当たりの良さで人渡りが上手な兄だった。
高瀬に負けた後は、見るからに萎れて話しかけるのもはばかられたが。
それが、随分と精悍な……
これなら、礼文慎と並んでも、恥ずかしくない程度になったのでは?
「よくもまあ、褒めるふりして貶してくれる」
あれ、口に出てましたっけ?
「俺に読心術が使えるとでも?」
まあ、安心したわ。私、来る必要なかったんじゃない?
「そう言うな。最後のピースだ」
妹を、部品扱いしたか?
兄は両手を前にかざした。
まるで降参のポーズ。
「違う、パズルのピース」
部品じゃねえか。
「これで、勝つ」
勝てる、じゃないんだ。
兄が前と変わって見えるのは、眉のラインと目つき、あとは、唇の形かな?
覚悟と自信が顔つきに出ていて、男前と呼んでもいいところまで来てますね。
今なら、また、これがわたしのお兄ちゃんよぉ、をやってもいいぞ。
「したけりゃ、勝手にやってろ」
「お喋りしたいなら、2階のロビーにでも行ってくれ。
まだ最後の詰め、やってんだ」
奥から苛立った声が聞こえた。
健ちゃんのこんな声も初めて聞いた。
ごめんね、と奥に声をかけて、兄を置いて部屋を立ち去った。
騎士団の首尾は上々。
なら私がすることは、ここにいること。
普段の私は、パン屋の看板娘。
ここでの役目は兄の護符。
この伏露で、瑞穂になる――
伏露に持ち込まれた、最後の一片。
それは、少女の形をした護符――




