第126話「鳴りやまぬ激励」
礼文慎には、親友がいない。
礼文慎は誰からも好かれるが、友人付き合いは浅い。
礼文慎の友人になりたがっている者は、その十倍以上いる。
【諸角星環群、丹鶴(居住星環)】
少し、時を遡る。
それは、礼文慎と沖大地との最終戦が決まった翌日のことだった。
充電スタンドに差し込んであった個人端末に久しぶりに目にする名前が表示された。
『根部理史』。
大騎士候補生学校では、慎の同期だった人物だ。
根部からの呼び出しなど無視しようかと思ったが、慎の指が滑らかに動いて通話開始ボタンを押していた。
勝手に指が動いたと言って切ろう、などという幼稚な言い訳が浮かんだ慎だった。
しかし、三十路を迎えた、いい大人であることを思い出し、諦めて通話に出ることにしたのだった。
『礼文、俺だ』
「……わかるけど、名乗れよ」
『久しぶりだな』
慎と根部との仲は、悪い方ではない。
ただ、学生時代から、連絡を頻繁に交わすような間柄でもなかった。
何かと孤立しがちな慎を気にかけて、一方的に声をかけていたのが根部である。
根部は面倒見のいい気質なのであった。
その根部は、群雄割拠で激戦となった今季のセカンドリーグで優勝を決めたところだった。
来期からトップリーグへ昇格してくる根部に、慎は祝いの言葉も贈っていなかったことに今さら思い当たった。
遅まきながらの慎からの祝辞に、電話の向こうから根部の苦笑が聞こえてくる。
『俺のことは、まあ置いておいて……』
根部の声のトーンが少し高くなった。
『今度、同窓会を開催したいんだ』
「同窓会?」
慎への同窓会の誘いは、過去に数えきれないほどあった。
ただ、これまで忙しさを理由にして、ほとんど顔を出したこともなかった。
最近では、めっきり誘いも減ってきたところだったのだ。
根部が何を企んでいるのか、慎には想像がついてしまった。
『ぶっちゃけてしまうと、礼文、お前の激励会だな』
予想通りの展開になり、慎は押し黙った。
『第43期、今度が最終戦、正真正銘の首位攻防戦だろ。
優勝をかけた大一番だ。同期だけじゃなくて、前後の世代からも、お前を元気づけたいって声が上がってるんだ』
勝ってほしいなら集中させてくれ、そう慎が断ろうとした時だった。
『そっとしておいてくれって言いたいのは、知ってる。
それでも、来てほしいって言ってるんだ』
根部は先回りして逃げ道を塞ぎに来たようだ。
慎は椅子の背に体重を預けて思案した。
同窓会を断る理由なら、いくらでも思い浮かんだ。
敵地への出発前、ピリピリする時期に人の集まる場所へ行く必要が見当たらない。
慎は下戸ではないが、好んで酒を嗜むことはしていない。
試合前に限らず、騒ぐこと自体、好きではない。
激励されて、試合でできることが増えるわけではない。
応援は、戦況に影響しない。
運動会に親が見に来てはしゃぐ子どもではないのだ。
しかし、慎は断るでもなく、そして電話を切るでもなく、根部が話を続けるに任せていた。
『まだ、同窓会の日程は決めてない。
参加希望者みんなの都合を聞き集めているところでな。
もちろん……
主役のお前の都合も聞かないといけないからな』
まだ慎は返事もしていないのに、同窓会に参加することが前提で根部に進められている。
どうしたものか、と慎は窓の外へ目を向けた。
北斗星環群へ向かう日まで、そうそう空いた時間はない。
「出発までの期間だと、あまり空いてなかったと思う……少し時間をくれ」
『いい返事、待ってるぞ』
根部は、慎が断ると考えていない素振りで通信を終えた。
慎は個人端末を充電スタンドに戻した。
時計を見ると、遅い時間ではあるが、眠るにはまだ早いようだ。
先ほどまで眺めていた星環騎士戦の資料に目を向けた。
沖大地の戦績。
炎城志朗の戦績。
杉原行成の戦績。
第43期を彩った好敵手たち。
根部との電話の後だと、眺めているだけでも腹立たしく感じてしまう。
特に、沖大地。
眠るには早いが、寝ておいた方が良さそうだ。
こんなに興奮した夜は、きっと眠れない。
それから間を置かず、礼文・但馬・太陽に呼び出されたときのこと。
『第43期の総合優勝に、こだわらなくていい』
何度となく耳にしたその言葉を聞いたとき、慎は硬直してしまった。
今までなら、すぐに何か言葉を返せた。
何なら、無視だってできていた。
『北斗には、もう根回しを済ませてある。
君が勝ってもいい。
沖が勝っても、礼文家としては次へ進める』
第42期の総合優勝は慎だった。
あのときは『辿り着いた』と思った。
少年時代から慎の心の中にある天秤のイメージが、ようやく吊り合ったのだと。
しかし、天秤のイメージは傾いたままだった。
――まだ足りないのだ。
そうだ。
第43期も総合優勝を取らなければ辿り着かないのだった。
なぜ、たった一期だけで、足りると勘違いしていたのか。
その先が何かを、慎は明快に理解できていたわけではない。
ただ、『辿り着く』ことに意味を見出していただけだった。
それは、何のためなのか?
無意識にその答えを避けている慎には、『辿り着く』ことが不可能であることが思い至らない。
災害で亡くなった両親と親友の飛鳥。
彼らが載せられた天秤に吊り合うものなど。
少年だった慎の将来。
星環騎士戦一色の青春時代。
名立たる星環騎士を蹴落としてのトップリーグ昇格。
奇跡ともいえる第42期の逆転優勝。
何を載せても天秤は吊り合うはずもない。
価値の性質が、まったく違うからだ。
それでも慎には走り続けるしか、できることがない。
太陽は、慎が抱え持つ天秤の存在を知らない。
だから、天秤の意味を否定した言葉ではない。
ただ、気を張り詰めすぎるな、と伝えたに過ぎない。
だが、張り詰めすぎていた慎の信念と、深淵にある天秤に亀裂を入れるには充分過ぎた。
会談を終えて自室へ戻った慎は、ふと、根部から同窓会への誘いを受けていたことを思い出した。
個人端末を取り出して、通話履歴を開くと『根部』の名前がすぐに見つかった。
同窓会は、自分のうちに生じた亀裂を埋められるものではない。
彼らとの会合や激励で、天秤の亀裂が治るとも、天秤が吊り合うとも期待していない。
しかし、少しためらったものの、慎は根部との通話を選んだ。
『礼文か。スケジュールはどうだった』
「……酒は、飲まないぞ」
電話の向こうで根部が笑った。
『構わないよ。
試合の前だしな。
お前が顔を出すのは、久しぶりだから……みんなが喜ぶ』
慎は愛想のない相槌を打った。
『それで、日程なんだけどな。参加希望者の都合は一通り聞いてるから――』
根部は参加希望者の予定データでも引っ張り出しているのだろうか。
電話の向こうから、何やら打鍵音がしている。
慎はため息をつくと、構わず自分のスケジュールの空きを伝えるのだった。
『待て待て待て。
本当にマイペースだな、お前は。
お前の空いている日時で全員の都合が合うのは……
出発の前日の夜だけだな』
それ以外の慎の空きの日だと、半分以上が参加できないのだと根部は残念そうに言った。
慎はその日程で良いと即答した。
『悪いな。本当にいいのか?』
慎が欠席でも良いぞと返すと、根部が出席決定だぞ、と念を押してきた。
『時間は……場所を決めてから詰める。
候補の店は絞ってあるよ。
予約したら、すぐに送る。
念のために必ず『出席』で返信してくれよ。
返事なしは、俺も不安になるから』
了解したと答えると、慎はあっさり通話を切った。
――同窓会に出席すると決めたからと言って、
よく眠れるわけでもないのに。
慎が北斗星環群へ出発する前日。
慎は急に用事が入ったため、遅れて会場へ入った。
同窓会というには、賑やか過ぎた。
同期だけではなく、前後の世代も相当な人数が混ざっているようだ。
見覚えのない顔だらけだった。
慎が同期生たちをよく憶えていないだけかもしれない。
「ようやく、来たな」
いくつかの集団を忙しく回っていた根部が慎を見つけて手を上げた。
根部に案内され、慎は席へ座る。
「みなさん、宴もたけなわ……まだ、終わりませんよ。
夜は始まったばかりだ。
お待ちかね、主役の登場です。
我らが誇り、礼文、慎くんです」
慎は座ったばかりの席から立ち上がって、四方に頭を下げた。
「それでは、もう一度、乾杯を……」
根部が酒瓶を差し出してきたので、慎は掌でグラスを覆った。
「ああ、そうだった。酒は飲まないんだったな。悪い悪い」
すでに酔いが回っていたことを言い訳にする根部に、慎は気にするなと返した。
宴に出遅れたことで、慎には場違い感が既に酷いものだった。
だが、引き返したところで眠れずに焦燥を募らせるだけなら、ここに居ても同じことだと自分を言い聞かせるのだった。
代わりに提供された笹茶で、改めての乾杯に付き合った。
名前も思い出せない誰かが、慎の肩を叩いた。
「明日、発つんだな。勝てよ」
別のところから、聞き覚えのない声が次々に飛んだ。
「勝つぞ」
「沖なんか、蹴散らせ」
「礼文、お前が最後の砦だ」
慎はそのたびに心にもない相槌を打つのだった。
それから、話題は二度目の引退宣言をした炎城志朗に移った。
慎は炎城に一勝四敗一痛み分け。
杉原行成には六勝七敗。
慎は第42期王者でありながら、実はどちらの騎士にも負け越している。
一方、沖大地はというと……
炎城に一勝零敗。
杉原に三勝零敗。
悪気のない誰かが、何気なくその戦績を口にして、慎と沖大地を比べるのだ。
「沖、強いよな」
――その通り。
事実である。
認めるしかない。
第42期は、慎にも狂気じみた勢いがあった。
言うなれば、慎は王者の風に乗ったのだ。
慎を激励するはずの参加者たちは、今の沖の勢いを、5年前に例えて語っている。
慎は笹茶を飲み干し、議論が始まった集団を離れた。
ここではもう慎は必要とされない。
ここに居場所はない。
「ただ、あいつの戦い方は……」
話題が、自然と沖の戦い方の論評へと移っていく。
勝つために必要なら、従来なら好まれなかった形も選ぶ。
憎らしいことに、規則には一切違反していない。
誰かが言った『星環騎士道としては、どうなんだ?』に対して、『でも星環騎士規則には引っかかってない』『規則で禁止されていないことなら、何をやってもいいのか?』と口論が繰り返される。
つかみ合いも始まった口論から離れたところで、慎は黙って聞いていた。
星環騎士戦における過去の判定が、例として持ち出される。
その例と沖大地の試合はそもそも同じなのか、違うのであればどの程度の違いがあるのか。
結論の出ない議論は、細かくなり、大雑把になった。
また別の者が別の事例を持ち出した。
とっくに話の中心にいるのが、慎ではなくなっていた。
激励のための同窓会とは思えない空間であった。
違う集団で、また誰かが沖の名前を出したようだ。
そして誰かが答えている。
会場の端の方では、近頃の社会運動の話が出始めた。
そこでは過激な集団によって、沖大地の名や言葉が旗印のように使われているのだ。
沖自身が意図したものではないにせよ。
瑞穂での騒乱。
他の星環群で起きている暴動。
もはや、星環騎士戦の話ですらなかった。
慎は根部の姿を探した。
根部も大地の話題で盛り上がる輪の中にいた。
慎と目が合った根部は、何か言おうと口を開いた。
その前に別の大声が会場中に響いた。
「それなら、星環騎士道の方こそ、考え直すべきじゃないか?」
根部は他の参加者同様にその発言者の方へ視線を移した。
慎は、すっかり冷めていた。
沖大地は近いうちに礼文家の一員となる。
礼文慎の義弟になる身なのだ。
公然の秘密なのかと慎は思っていた。
だが、俎上に上らないのであれば、この会場内で知っているのは、自分だけなのだろう。
『沖大地』という名が、苛立ちとは違う何かの感情を呼び起こして、慎の心を騒めかせている。
沖の話題に興じている者たちは、恐らく直接は沖のことを知らない。
もちろん慎も、一度顔を合わせただけの沖を知っていると言えるほどではない。
夜も深くなり、酔いも手伝って議論は回り続ける。
誰かが主張し、誰かが反対し、誰かが脱線する。
当事者ではない者たちによる、結論ありきの主張が飛び交う。
当然のように、結論は出ない。
やがて窓の外が白み始めた。
人工の朝の光が近づいている。
独りぼっちだった慎は腰をあげて、誰ともなしに席を外すことを告げた。
誰かが一瞬だけ慎を見たが、すぐに沖の話題へ戻っていった。
「気をつけてな」
いつの間にか慎の傍に根部がいた。
慎は何も言わずに軽く手を上げた。
店を出ても、中からまだ喧騒が聞こえていた。
慎は振り返ることなく立ち去った。
期待はしていなかったが、やはり太陽の言葉をかき消すほどの何かは得られなかった。
迷いの答えは、慎に示されていないままだ。
四半日も経てば、慎の体は北斗星環群へ向かう星環連絡バスの中だ。
その先には、沖大地がいる。
沖大地には、秘密がない。
沖大地の噂話は他愛ないが、街中に溢れている。
そんな沖大地の素顔を知る者は、わずかである。




