第125話「聞こえている」
経験と
実績重ねし熟練と
正しき規律
交わらぬ道
【局道星環群と北斗星環群間のデブリ空域】
長距離危険デブリ除去作業。
局道星環群と北斗星環群を結ぶ、実証実験用通路の工事現場。
さすがにデブリ除去作業歴五回では、単独での作業を任せられなかったのだろう。
杉原行成は、チームを組んでの参加となった。
行成のほかは、危険デブリ除去に慣れ始めた若手作業員/河東海里と、取りまとめと教育係なのだろう、この道15年のベテラン作業員/須堂開司。
この三人一組、交代制での作業だった。
慣れてくれば、若手の河東がこのチームから卒業し、その次は行成、となる段取りらしい。
――教官付きのひよこリーグのようなものか
行成はそのようにこの教育的チーム編成を理解していた。
行成のチームは、割り当てられた空域での作業を順調に消化していた。
三人の中では、行成がもっとも作業経験が浅い。
しかし、行成はベテランの須堂が担当するときの作業には、ずっと違和感を覚えていた。
「……そこの手順、飛ばしていいのかい?」
「大丈夫、大丈夫」
須堂は軽く答えると、行成の指摘を気にもせず次の手順を進めていく。
確かに手際はいい。
作業速度は行成より遥かに早い。
工事の中断もあって、作業効率が求められているため、このベテランは最適なことをしていると信じているのだろう。
一方、行成はマニュアルを遵守したい。
手順を省略していることがはっきりと分かる須堂の作業に、毎回とは言わなくても口を挟みたくなる衝動が多々あったのだ。
そして、行成はついに我慢できなくなったというわけであった。
マニュアルについて、制定が200年以上前で、更新も50年以上行われていない骨董品ではある。ベテラン作業員から見れば、現場で培った感覚の方が優先されてよい場面だってあるのだろう。
ただ、兄弟爆弾の反応チェック『爆発の覚悟』については、慎重に運ぶべきではないかと行成は考えるのだ。
なにせ、この工事そのものが中断されていた原因の一つでもあるのだから。
「長年の経験から、大丈夫という判断はわかる。
ただ、それでも『爆発の覚悟』は、確認した方がいいのではないかな?」
まあまあまあ、と若手の河東が苦笑しながら二人の間に入る。
「杉原さん、元騎士だけあって慎重なのは分かるけどさ」
河東が『元騎士』とわざわざ断ったのは、現場の外の世界の規律を持ち込んでくる行成相手に腹に一物抱えているからだった。
もっとも『騎士崩れ』『騎士上がり』と言わなかっただけ、まだ言葉を選んでいるのかもしれなかった。
「現場じゃ、全部が全部、教科書どおりにはいかないですよ。
……そうですよね?」
そのくせ、河東は肝心な部分で須堂に投げるのだった。
ベテランは任せな、と空いた方の腕で胸を叩くと、その腕を天井に向けてくるくる回した。
行成には分かっている。
現場の人間が、自分より現場の経験を積み重ねてきたことくらい。
それでも、守るべき手順には理由があるのではないか。
別の分野とはいえ、自分はそれを知っている身である。
そして、行成は頑固とまでは言わなくても、納得のいかないことは置いておけない口だった。
「……『爆発の覚悟』のチェックですよ?」
河東はやれやれと肩をすくめて、それ以上は行成を相手にしないことにしたようだ。
密室で揉めることを避けるのは、宇宙生活者の知恵でもある。
「まあ、落ち着きな。
マニュアルに書いてある『兄弟爆弾』、
確かに凄く怖がらせるように書いてある。
杉原くんが慎重になるのは、当然だよ。
わかってる。わかってる」
須堂の方も慣れたものなのか、杉原に向けた言葉とは裏腹に、自分が手順省略していることを責められたことを気にも留めていない様子だった。
須堂にすれば、行成に限らず新人はこういうものだと思ってやり過ごすのが常である。
むしろ、河東のように自分を妄信しないだけ、健全であるとも思ってはいるのだった。
通常は、このような遠距離作業に新人はあてがわれないため、面と向かってこのようなやりとりが起こらないだけである。
互いにそれ以上の言葉を飲み込んだ操縦室の空気が、少し重くなった。
結局、判断は二対一のまま、平行線である。
そして、ベテランの須堂がキャプテンを務めている。
船のルールでは、『キャプテンに従え』である。
行成はそれ以上は口を出さず、計器に目を戻した。
【北斗星環群、瑞穂(居住星環)】
瑞穂中央病院。
産婦人科の待合室に、度の入っていない縁の太い眼鏡、鬘を施して正体を隠した男女一組がいた。
場所が病院だけに、顔の下半分を覆うサージカルマスクも景色の一つとして馴染んでいる。
大地と佐祐倫である。
――予約の時間に来ても、結構待たされるものだな。
予約時間の三十分前に待合室に到着し、先に超音波写真を撮影してくるように案内され、戻ってきてからも2時間近く経過している。
丁寧に診察しているのか、3つある診察室の出入りは、頻繁ではないようだ。
大地たちが到着した時に待合室にいた人たちは、ほぼ入れ替わったように思える。
《待機番号34番の方、2番出入口からお入りください》
番号を呼ばれた佐祐倫が立ち上がって診察室へ向かうと、大地も慌てて後を追った。
二人揃っての受診は、これが初めてになる。
担当医に勧められて、佐祐倫は背もたれのある椅子に、大地は丸椅子に腰かけたのだった。
氏名確認の後、担当医は電子カルテをモニターに表示した。
健康状態、睡眠時間、直近の献立など細かく聴取している。
佐祐倫は指を折りつつ、真剣に回答していく。
――問診だけじゃ、ないんだね。
そりゃ、そうか。
お腹に子どもがいるんだもん。
そして、一通りの医療面接が済むと、さっき撮影したばかりの超音波写真が映し出される。
モニターに映されているのは、子宮を中心とした母胎内部の断面である。
まだ、子どもの形すら見えない。
「妊娠初期ですから、このエコーでも、何でもないように見え――」
担当医は写真の一角にある、5mmもない小さな黒い点を指した。
「ここが、胎嚢、赤ちゃんを包む袋ですね――」
担当医から説明を受けて、大地は何度も頷いた。
そして、不思議なものを眺めるように佐祐倫のお腹を見た。
すごい。
本当にいるんだ。
俺の子どもが。
佐祐倫と一緒に、超音波写真を目の当たりにして、専門家である担当医の説明を受けると、大地の胸の奥が一気に熱くなるのだった。
「それから、お父さんには――」
お父さん。
まだ、この子はこの世に生まれていないのに、父親と呼ばれる。
大地の意識が薄紙を裂いたように破れた。
その先から医師の言葉が大地の意識から滑っていく。
説明が頭に引っ掛かってこない。
大地には、突然夢の中に突き落とされたようだった。
「睡眠を十分に取ってもらうことと、生活環境――」
聞こえている。
ちゃんと聴き取りたいのに、まるで意味が掴めない。
「妊娠初期は体調が大きく崩れやすいです。つわり――」
――先生、俺にわかる言葉で、お願いします。
説明してくれているのは、わかるんです。
何を言っているか、さっぱりなんです。
「お母さんも、初めての妊娠・出産なら特に精神的に不安に――」
医師から大地への説明に、佐祐倫の方が何度も頷いている。
――俺が父親。
良い父親になれるのか。
そもそも、良い父親って何だ?
「体調を崩したとき、風邪のとき、服用する薬には気を付け――」
大地の父は、仕事の都合で今でも家にいないことの方が多い。
俺の稼ぎで、もう充分食うに困らないというのに。
憑かれたように、瑞穂の外での仕事を続けている。
父自身が家庭にいるのを避けるかのように。
「何より、予防が一番大事なことに変わりは――」
大地の母は、ずいぶん昔に出ていったままだ。
金持ちの旦那を掴まえて。
大地たちを捨てて。
「お父さんも、手洗いとうがいは徹底してください――」
――俺は何を手本に、親に、父になればいいんだ?
「……ねえ、大地くん?」
佐祐倫に声をかけられて初めて、大地は自分が顔を伏せていたことに気付いた。
「先生の説明、聴いてた?」
……聞こえていたよ。
寝ていたとでも、思ったの?
聞こえていた。
聞いていたのは、事実である。
ただ、佐祐倫の質問が、説明を聞いて理解したのかという意味であれば、嘘だった。
自分に向けて説明された内容の半分も、頭に残っていなかったからだ。
何となく察したのか、佐祐倫が唇を尖らせた。
そんな二人の様子を見た担当医が、穏やかに笑うのだった。
「初めて親になることを実感する方は、その責任も実感するからか、
戸惑うことが結構多いです」
そのように、大地を庇ってくれたのだった。
「ただし、あなたのパートナーは、
もう一人分、
赤ちゃんの分まで体に負担がかかっていることになります。
普段どおりに見えていても、
実はそうでないことが、これから多々あるでしょう。
だからこそ、何でもないときを、憶えておいてください。
もしも分からないことがあれば、今でなくても構いません。
焦らず、躊躇せずに質問してください」
ため息をつく佐祐倫を尻目に、大地は壊れた機械のように何度も頷いた。
そして、改めて自分の手を見たのだった。
俺のこの腕で、子どもを抱く……
大地は想像してみたものの、さっきまで容易に見えていたはずの子どもの姿が浮かんでこなくなってしまった。
黒鉄と
黄金の山を築けども
親となる身の震え隠せぬ。




