幕間「僕にだけ都合のいい幻想郷」
並んだ影
並んだ足跡
あの頃の手の温もりが
今も僕を支えている
夢の中――
大地は、十一歳の頃に戻っていた。
あの頃の貧乏長屋だ。
食卓には、昔よく作ったおやつが並んでいる。
揚げ玉とめんつゆを混ぜた小さなタヌキおにぎり。
砂糖を振ったシュガートースト。
ケチャップとチーズだけのピザトースト。
耳を落としてジャムを塗り、くるくる巻いたサンドイッチ。
お皿に山盛り盛られ、お宝のように輝いているように見える。
いや、現に輝いている。
こんなにたくさん作って、怒られないかしら。
大丈夫。
だって今日は、お祝いなんだもの。
「美味しい」
八歳になった希礼が、おにぎりにかじりつき、頬をパンパンにして笑う。
「お兄ちゃん、大好き」
その隣には、大地や希礼に背を向けて隠すように巻きサンドイッチを食べている希倫がいた。
誰も、取らないよ。
こっち向いて、ゆっくり味わって食べな?
大地が見たことのない、懐かしい光景。
両親はほとんど家にいなくて。
でも、希礼と希倫がいて、僕がいて。
みんなで食べるものを作って、くだらない話をして。
ああ、お腹がパンパンだ。
こんなに食べることなんて、久しぶりだ。
あれだけあった皿が空になると、かしこまって希礼が言った。
「お兄ちゃん、結婚おめでとう」
気が早いよ。
僕はまだ、婚約しただけだ。
本当、僕にはもったいない、良い人なんだ。
美人で背が高くて、頭の回転も速くて、優しくて。
ここが一番大事なんだけど、僕が大好きなんだ。
礼文との試合が終わったら籍を入れるつもりでいる。
式を挙げる時間まではないから、その先になるだろう。
「それに、赤ちゃん、楽しみだね」
僕が、父親か。
大地は自分の手を見る。
父さんを恨んではいない。
けれど、良い親というものを、大地は知らなかった。
家にいない父。
家を出ていった母。
そんな家庭で育った自分が誰かの父親になることができるだろうかと、大地は怖くなってきた。
希礼が大地の手を取って励ました。
「大丈夫だよ。
私と希倫ちゃんの面倒、ちゃんと見てたじゃない」
だが、大地の脳裏に病院の白いベッドに横たわる希礼の姿がフラッシュバックする。
その顔には白い布が被せられている。
そして、母に殴られる――
大地は顔を上げて希礼の顔を見られなかった。
「いつも、感謝してるんだよ。
だから、お兄ちゃんは、きっと良いお父さんになれるよ」
希礼。
僕は――僕は。
「私のことは、忘れてしまって」
大地の息が詰まる。
「父さんも母さんもほとんど家にいなくて、
哀しかったし、辛かったよ。
でもね……」
笑っている希礼の顔をまっすぐ見られない大地。
どうして?
どうして、見られないんだ。
「私たち兄妹が一緒にいて、楽しかったこととか」
昔と同じ顔で。
「何でもなかった日のことを、憶えていて」
そこで、ようやく大地は気づいたのだった。
ああ。
夢なんだ。
これは、やっぱり夢なんだ。
「ありがとう、お兄ちゃん」
涙が止まらなかった。
拭うこともできない。
こんな、僕に都合のいい言葉を……
希礼が言うはずなんかないじゃないか。
自分だけ幸せになる僕を。
母さんみたいに、この家を出ていく僕を。
希礼が祝福してくれるはずなんかない。
大地は膝から崩れ落ちた。
希礼の笑顔だけが、何でもなかったあの日のように、いつまでもそこに残っていた。
一つ消えた影
僕をあの日に留め置く
消えない温もり




