第121話「ヨーソロー」
白い息
名残留める
夜の果て
懐手せんと
袖に差し込む
【局道星環群、納兆(居住星環)】
納兆近辺の空域。
その日の作業を終えた杉原行成は、作業艇の操縦席の背もたれに身体を預けていた。
危険デブリ除去作業は、星環ベイエリアの誘導に入ってしまえば、やることは少ない。
航路を確認し、接近物体の警戒を続け、規定された速度で居住星環へ戻る。
それだけだ。
もっとも、そのそれだけ、を怠ると命取りになることもある。
行成は義足の位置を確かめるように軽く脚を動かした。
操船中にも違和感はなかった。
気になる頚椎も、少し張る程度だ。
この作業艇の癖もわかってきた。
近辺空域の飛行感覚も、身体に馴染んできたように思う。
今回の成果も悪くない。
指定された空域を予定より早く処理することができた。
予定外の、回収できない大きなデブリもあったが、安全な軌道まで移送できた。
危険デブリ除去作業に、星環騎士戦のような派手さはない。
ひとつずつ漂流物を見極め、接近し、絡め、押し、牽引する。
その繰り返しで、分かってきたことがある。
デブリの動きには、いくつかの癖がある。
船体がどの角度で入り、アームをどの瞬間に伸ばせば、余計な力を使わずに絡め取れるか。
教本よりも、実際の空間で身につく感覚のほうが頼りになる場面も増えてきた。
それでも、行成は手堅くマニュアルを遵守する。
帰還航路の速度や各計器の数値を厳密に確認し、想定と寸分違わない数値を見て、ほんのわずかだけ口元を緩めた。
まだ完全復活には、ほど遠い。
それでも、生計を立てる仕事としては手応えを感じていた。
作業艇が、納兆(居住星環)ベイエリアの誘導灯を通り過ぎた。
行成は誘導に従って、作業艇を所定の場所へ係留させた。
ほの暗い納兆近辺の宇宙から、まばゆい納兆内部への帰還だ。
これで、五回目となる日帰り作業が無事に完了した。
【北斗星環群、瑞穂(居住星環)】
商業施設。
大地と佐祐倫は、仲良く腕を組んで歩いていた。
とりあえず、人目を避ける工夫はしましょう。
佐祐倫はそう言って、大地にほど良く変装を施したのだった。
幸い、通り過ぎる他の客たちに大地が見つかって大騒ぎになることもなく……
ほどなく、でかでかと松明のマークが飾られた店の前で足を止めた。
ここは、北斗星環群で知らない者はないくらいに有名な、松明屋の瑞穂支店である。
『二人で入ると、目立つから』
そう言って佐祐倫は大地を置き去りにして店の中に消えた。
することもなく、大地は店のショーウィンドウのディスプレイに目を向けた。
そこには、風船や雲、星であしらった背景に、その店のお薦めアイテムが小綺麗に並べられている。
また、贈答品にいかがですか、という意図だろうか。
大地の目の前にある大きなマネキンは、ギフトセットを包装した手提げカバンや化粧箱を抱えている。
すぐ横には、流行のアウターのコーディネートを着せられた小さいマネキンがいくつか置いてある。
そのどれもが、今にも走り出しそうな元気なポーズを取っている。
身に着けているのは、これまたいずれも赤と紅と白を基調にした『赤銅鏡カラーリングモデル』でのコーディネート。
それにしても靴まで、赤なの?
もう少し、着る側の普段使いを考えてデザインしたらどうなのよ。
買う側の好みなんだろうけどさ。
さらにその先には、木目調の美しいベビーベッドが展示されていた。
大地は両の掌を望遠鏡のようにして、ベッドを眺めた。
そして、ゆっくりと右手の人差し指で照準をベッドに合わせた。
ヨー、ソロー。
古い航海用語で、『そのまま進め』。
松明屋まで出向いておきながら、やはり気が早かったかと、大地は思わなくもない。
千代の音での告白のすぐ後に、実物を実店舗で下調べしようと提案したのは、大地の方であるのだが。
なにせ、この瑞穂に揃って居るのも、そう長くはないからだ。
まあ、あちらで揃えるにせよ、入用なものを知っておくのもいいよね。
ベッドに照準を合わせた右手を返して、掌を上に向けた。
この松明屋は、北斗星環群でも指折りの子ども用品店である。
――その少し前。
千代の音/カフェ
動揺する自分の肩を抱いた、落ち着き払った様子の大地は、佐祐倫にはずいぶんと頼もしく見えたのだろう。
十歳近く年下の彼氏に抱きついて、わんわんと泣いたのだ。
奥に控えていた千代の音の店主や店員たちが心配して様子を見に来たほどだ。
佐祐倫が平静さを取り戻すのを待ち、コース料理を再開してもらった。
そうして、コースのデザートが届く頃のことだった。
『この先の生活に、何が必要かも確認しておこうよ』
『……あの、今さらだけど、
両親にも大地くんのことを、正式に紹介させてほしいの』
『……本当に、今さらだね。
そうだね、言われてみれば仕事場の同僚としか、
紹介を済ませてなかったような気もする』
つい先ほど、コース料理一時中断の前のこと。
大地から佐祐倫に、諸角星環群の丹鶴に移住すること、礼文家に養子入りすること、そして……
結婚して、一緒に生活してほしいことを告げたのだった。
一方、佐祐倫からは……
『……子どもが、できたと、思う。
いえ、今朝、お医者さんに行ってきたの。
そうしたら、5週目ですって――』
大事な首位攻防戦を控えた大地に、言おうかどうか迷っていたところだった。
その大地からのプロポーズを受けて、嬉しい気持ちと安堵とで、佐祐倫は堰が切れたように泣いたのだった。
そして、現在――
松明屋の前。
一人でショーウィンドウを眺めていること、しばし。
急に不安を覚えた大地は、松明屋の扉を開けて中に入ったのだった。
ねえ、一人でぼっ立ちしている方が、悪目立ちしそうなんだけど?
松明屋の奥から幸せそうな笑い声が聞こえてくる――
【局道星環群、納兆(居住星環)】
杉原行成の働く資源回収・再生業者の事務所。
完了報告を済ませた行成はすぐに宿舎に帰ろうとした。
そこに、事務所の奥から慌てて出てきた小太りの係員に呼び止められた。
その係員が言うには、提出した作業記録について、いくつか確認したいことがあるらしい。
行成は端末を受け取り、記録された数字を眺めた。
除去量、作業時間、燃料消費、危険判定。
どれも大きな問題はない。
「どうかしましたか」
行成が訊ねると、係員は行成の成績について説明した。同じ時期に入った作業員の中では、突出して良いという。
もちろん、話はそれだけではなかった。
局道星環群と北斗星環群を結ぶ実証実験用通路の開通計画の工事が、噂通り再開されたらしい。
ただ、その再開された開通計画について、中断期間に多くの危険デブリ除去作業員に星環群外に出ていかれてしまって、今のところ数がまったく足りていないという。
数が揃わないと、せっかく再開されても計画が遅々として進まなくなってしまう。
「開通計画のための危険デブリ除去作業というのは、
今回まで杉原さんが従事していたような日帰りではありません。
ベースキャンプを拠点として、何週間か……
少なくとも一カ月は現場で滞在するものです」
船内での生活、連続する作業、事故時の対応。日帰りとは負担が違う。
身体への負荷も当然、『日帰り』以上にある。
「私たちは、杉原さんに、
その開通計画のための危険デブリ除去作業員として、推薦したいのです。
杉原さんの実績は、確かにまだ五回です。
判断するには早いと言われるかもしれません。
しかし、その内容は、推薦するには充分すぎる成績なんです」
行成は提示された端末の画面を黙って見ていた。
義足が不自由なのは、どこへ暮らしても変わらない。
欲しいのは、宇宙作業の実績だ。
求められるのが長期に渡る作業なら、是非もない。
つまり、行成に断る理由はなかった。
「受けます」
係員は安堵したように頷くと、正式な依頼を送信すると告げた。
行成は、ほどなく個人端末に届いた依頼に目を通した。
先ほど説明された内容と寸分違わない。
行成は依頼を読み終わると、受諾手続きをした。
「最後に、確認です。
食事や水は先方で確保されています。
食事は一日あたり三千キロカロリー保証です。
ただし、嗜好品的なものではありません。
必要であれば申請のうえで、許可を得て持参してください」
酒も含めて、行成には嗜好する飲食物はない。
「あとは、着替えと諸々ですね。
一応、非常用の被服品や日用品はあるとのことですが、
どうしても数に限りがあります。
できる限り、自前かつコンパクトにお願いします。
生活の準備を整えて……
明後日のお昼ごろには、ベイエリアの18番口で待機をお願いします。
その先は、担当者が誘導する段取りです」
往く夜の
名残を惜しむ
旅衣
行く先々に
光差し込む




