第107話「明鏡止水には遠すぎる」
本当に怖いものは
誰もいない暗闇ではない
自分の不安が作り出す幻
沖大地 VS 炎城志朗の当日。
【北斗星環群、遊架(廃棄星環)】
『赤銅鏡』操縦室内。
炎城志朗の『轟焔騎』に遅れること10分。
ようやくベイエリアから発進許可の信号が発せられた。
いつものように余計なことを口走りそうになった大地は、慌てて口元を抑えた。
そう、今回のフルオープンチャットマッチ。
全体配信はまだまだ先であるが、観戦施設限定配信などではすでにチャット音声が流されているチャンネルがあるとのことだ。
――物好きな連中もいたものですよ。
トップリーグ昇格後だけでも20戦以上、セカンドリーグも合わせれば優に30戦は宇宙戦をこなしてきた大地であったが、この毎回の廃棄星環にあるベイエリアからのスタートがだるくてしょうがなかった。
試合開始までに連絡船などでベイエリアまで星環騎士艇を運んで、同じく運ばれた騎士が乗り込んで出発して、宇宙で戦って、終わったらベイエリアまで戻れたら戻って、騎士を回収して、星環騎士艇を連絡船で本拠地の星環まで運んで……
――連絡船から星環騎士艇を既定の場所で発進させて、
連絡船が試合の区域外から出たところで
試合開始でもいいじゃないか。
素直に、燃料資源を浪費する二度手間だと大地は思っている。
各リーグにおける試合開始までの手順について、明確な規定はない。
試合会場となる廃棄星環の由来である軍事星環からの戦闘発進を模した形式が、そのまま200年以上も続いているしきたりとなっているのだ。
ガガガ、とノイズのようなコールサインが鳴った。
完全にオープンであるため、誰が今しゃべっているのか判別しにくいのではないかということで、AI判断による自動と手動でそれぞれコールサインが出るよう設定されている。
今のは、炎城志朗がこれからしゃべりますよ、という合図だ。
『済まないな、沖くん。
小さなものだったが、デブリに接触してしまってね。
思いのほか、点検に時間がかかってしまった』
ピピピ……
そりゃ、大変でしたね。
そういえば、北斗星環群ってトップリーグは俺一人。
セカンドリーグは、黒崎健吾が辞めてからは所属ゼロ。
サードリーグも、つい最近まとめて引退したって聞いたような?
北斗星環群の事前のデブリ除去って、業者だけになってしまったのではなかろうか。
――きついし、危険だし。
負けるのも、怖い。
そこに加えて、北斗星環群には育成システムがまだ、ないからね。
居なくなった時の補充が難しい。
滑るように『赤銅鏡』がベイエリアの外に出た。
後はビーコンに従って、既定の空域まで移動するだけだ。
リリリ……
『こちらは赤銅騎士団、オペレーターチーム。
滋野だ。
小僧、調子は、どうだ?』
――えーと?
ああ、フルオープンチャットマッチ用の会話デッキだったね。
ピピピ……
『赤銅鏡』は上々です。
ありがとう。
俺の方、は最高だよ……土踏まずが痒い以外は?
リリリ……
『勝って帰ってきたら、いくらでも掻いてやる。
負けたら、自分でやれ。
それじゃ、補助AIの言うことをよく聞いて、
定位置についてくれ』
ピピピ……
了解。
いや、勝っても負けても自分で掻きますよ。
――デブリに接触って言ったよな?
炎城が出発したときはまだ通信がフルオープンじゃなかったのか?
それに、高速機動戦が売りのトップリーグなんだから、
デブリに接触なんて耳にした騎士運が
延期とか中止を通告してきそうなものだけど?
大地はデブリ予報・警報・注意報をチェックしてみた。
全くの快晴で、星環騎士戦日和だ。
それでも極小デブリが徘徊していることは珍しくない。
ステルス材質のデブリだって存在する。
大地は唇を軽く噛んだ。
――試合前から、やってくれる。
炎城志朗が提供したデブリの話がもし本当なら
『言ったとおりじゃないか』。
もし虚偽だったら……
――俺がデブリを警戒しすぎるだけになるのか。
遠距離レーダーを全方位360度で稼働させるとなると、エネルギーの浪費も大きい。
だが、デブリが本当なら場合によっては命にかかわる。
考えてばかりでもらちが明かないと、大地は意を決した。
ピピピ……
炎城さん。試合開始までで構わないので、
そちらの、『轟焔騎』の長距離レーダーと
こちらをリンクさせてもらえませんか?
――本当だったら、拒めないでしょ?
嘘だったら、掘られる穴が二つってことです。
【北斗星環群、瑞穂(居住星環)】
観戦会場の沖アリーナ。
アリーナ中央の立体モニターでは他会場の結果が次々と流されている一方で、大地と炎城のオープンチャットが館内放送ですでに流されている。
関係者席。
佐祐倫は大地印チョコバーを一口齧り、星環環境局にデブリ情報についてのファクトチェックを依頼しつつ、星環騎士戦運営委員会北斗支部にも、探りを入れた。
どちらも、『デブリ雨の存在は認められないが、極小またはステルス材質由来のデブリの存在までは否定できない』との見解だった。
「それは、そうなんだけどさ」
仮に炎城からのデブリ情報がブラフだったとして、その場合の騎士運の見解は、『悪意があるかどうかまでは確認できない以上、禁止行為に抵触するかどうかの審査もできない』というものだった。
また、証拠のない時点でブラフを疑って責める発言は、見た目によろしくないので内輪に留めてくださいと釘を刺された。
【北斗星環群、遊架(廃棄星環)】
『轟焔騎』操縦室内。
炎城志朗の足元に中身の入った汚物袋が置いてあった。
少しずつ丸みを帯びてくるのは、中身が溶け始めたのだろうか。
――レーダーに氷片が表示されたときは何が起こったかと思ったが。
すぐ近くだったので『轟焔騎』で確保してみると、そのデブリは純度99%を超える水だった。
廃棄星環の水層から漏れたのであればこんな量では済むまい。
――何かの作業中に船内の水が漏れたか。
あるいは?
水とはいえ、高速で衝突すれば十二分に危険な硬い氷塊だ。
放置するのも憚られたので、とりあえず操縦室内に取り込んで、今は汚物袋の中というわけだ。
――とりあえず、すでに通信はオープンになっているようだし、牽制だけでもしておくか。
罠にしても、デブリのようなコントロールの利かないものを利用するとは炎城には思えなかったが、氷塊であったことは告げずに『デブリに接触』、それだけを通信で流した。
炎城は、相手の反応をじっくりと窺った。
ピピピ……
『炎城さん。試合開始までで構わないので、
そちらの、『轟焔騎』の長距離レーダーと
こちらをリンクさせてもらえませんか?』
ガガガ……
「いいとも、コードを読み上げる……
のは、オープンチャットではまずいのか。
……艇外灯でモールス信号を
……沖くん、モールスでわかるかな?」
ピピピ……
『正規の騎士訓練は受けちゃいませんがね。
こっちは元々、危険デブリ除去作業経験者です。
目をつぶってても、読めますよ。
それよりも、繰り返すときは、
区切りの合図を忘れないでくださいね』
忘れる人がたまにいて、何を言いたいのかわからないことがある、と大地がこぼしたのを聞いて、炎城は思わずクスリと笑った。
――言うじゃないか。
これなら、少なくとも大地くんはシロ判定でいいかな……
まもなく、試合開始――
深い空の青さを知っていても
目の前の小石ひとつで
波紋は大きく広がる
波立つこの心こそ
生きているという確かな証




