第106話「焦土か、浄土か」
炎、来たれり。
【北斗星環群、出雲(政治星環)】
北斗総督府別館。
夕食を済ませた炎城志朗は、客室としてあてがわれた貴賓室の入口をくぐった。
『瑞穂に伝説のトップリーガーを受け入れられるホテルがないものですから』
一昨日。
北斗星環群総督の、鈴来自らの出迎えでの言葉だった。
泊まる施設のグレードではなく、安全面でのことだという。
沖大地の人気が絶大な北斗星環群のこと。
特に出身地である瑞穂では、熱心なファンが些細な行き違いからどんな風に動くものか、総督ですら危惧を覚えるものなのだろう。
『瑞穂って、ご飯が美味しかった記憶がありますね』
対戦経験のある大野間に、沖大地のことを訊ねたとき、開口一番にそう言っていた。
長きにわたり経済的に厳しいがゆえに、住民の活気の行き先が経済や科学ではなく、すべて料理の手法に向けられたのではないか、との大野間の推測だった。
――瑞穂料理が発展してきた見解が、欲しかったわけではなかったのだが。
炎城は当時を思い返して苦笑した。
とはいえ、大地との試合とともに、一度も味わったことのない瑞穂料理は楽しみにしていたことではあった。
料理。
ふと、別れた妻子のことを思い浮かべた。
絶対王者時代、最後の総合優勝を飾ったその翌年度だったか。
家庭を顧みる時間があまりにも少なすぎたツケを支払うことになってしまった。
引退したときにも顔を出したものの、妻も子も冷たくはないが他人を見る目線だった。
――すでに失ったものを、未練がましい。
炎城は頭を振って雑念を追い払った。
明後日は試合本番だというときに、何を考えているのか。
それよりも……
炎城は個人端末を取り出そうとして、鞄に入れたままだったのを思い出した。
その鞄は、すぐ傍の洗練されたデザインのアームチェアの背に掛けられていた。
アームチェアごと引き寄せようとした炎城は、つま先で椅子の足をひっかけて引っ張った。
そして鞄を手に取った。
しかし、鞄の持ち手が引っかかった。
不機嫌に唸る炎城。
鞄を持ち上げて振ってみても、持ち手はアームチェアから外れない。
鞄に引っかかったアームチェアがゆらゆら揺れて、それが炎城を余計に苛立たせた。
興奮で手がぶるぶる震えてくる。
さすがに落ち着こうと深呼吸を繰り返す。
「武者震い、これは武者震い」
それは、本当に武者震いかもしれない。
本当は事実を知ること、自分は過去の王者に過ぎない、という自分でも把握していない奥底の恐怖で震えているのかもしれない。
本当はどちらも感じて入り混じって混乱しているのかもしれない。
貴賓室から、ガス爆発のような轟音が響いた。
近くに人がいれば、何ごとかと覗きに来ただろう。
「礼文のときは、有利を手放さなければ、勝っていたのは、俺なのだ。
今回だって、落ち着きさえすれば、俺が勝つ。
俺は、勝てる。
俺は勝ちすぎて、横着だっただけなんだ。
勝利に執着した俺は、誰よりも強い」
備え付けの電話の呼び出し音が数回鳴った。
そして、先方からの遠隔操作でスピーカーフォンになった。
『失礼いたします、貴賓室担当の者です。
大きな音が聞こえましたが、
お怪我はございませんか?』
炎城は咳ばらいをした。
「……申し訳ない。
鞄を取る際に、横着をして転んでしまったんだ。
音は派手だったが、大したことはない。
気にしないで、仕事に戻ってほしい」
【北斗星環群、瑞穂(居住星環)】
赤銅騎士団 格納庫
大地はシミュレーター機に乗り込むと、ファーストブラッド方式(先に有効打を与えた時点で終了)を選択した。
レッツ、トライ……
昨日の騎士は、よく菱餅食う騎士だ……
生貯蔵酒、土蔵に貯蔵中、本醸造酒、酒蔵で醸造中……
笹垣に笹立てかけたのは笹立てかけたかったから笹立てかけた……
大地はシミュレーター起動時間待ちの間に個人端末に表示された『早口言葉―ツイスターレッスン―』を見ながら滑舌の練習をしていた。
『フルオープンチャットマッチを受けると決めた以上、
練習しておく方がいいわよね』
佐祐倫の提案で訓練や日常生活の合間に早口言葉を練習するようになって、もう一ヶ月近く経った。
――早口言葉って、頭の体操にもなっている気がする。
明日の試合を控え、大地にはいつも以上に冴えてきている感覚がある。
この新兵装データを追加したシミュレーター訓練でも、この三日間のミッション達成率は九割を超えている。
――口周りの筋肉のほかに、脳の反射神経まで刺激しているのかしら。
それならば嬉しい誤算、余禄であるだろう。
そう、いよいよ明日は炎城志朗と戦うのだ。
明日の、最終試合である。
最終とは、北斗星環群で行われる騎士戦の中だけではなかった。
すべての星環群で行われる騎士戦の中で、正真正銘、当日の結びの一番である。
当初、沖大地対炎城志朗以外のいくつもの試合が、同日同時間帯に組まれていたものがあった。
だが、フルオープンチャットマッチが正式決定してしばらくすると、それらすべての試合が大きく前倒しに組み替えられた。
理由は単純だった。
他の騎士たちが『沖VS炎城』を観たいと主張して、試合時間の変更要望を譲ろうとしなかったのである。
しかし、試合時間変更の理由として緊急性があると認めづらい。
騎士運は、共感はできるものの渋った。
だが、委員長である建花厳治郎の鶴の一声で、騎士たちの要望は通ったのだった。
そうして都合四回のシミュレーションでミッションをなんなく達成し、五回目のこと。
シミュレーション上の炎城志朗の吶喊をするりと躱した大地は、即興の鎖罠で半ば引っかけた状態からのハンマースルーでもう一方の上腕部をパンチングナイフで切り飛ばした。
《もう一回、対戦しますか? 【Y/N】》
大地はNを選択して、いったん訓練を中断した。
武具バグ、武具バグ、三武具バグ、
あわせて武具バグ、六武具バグ……
んー、戦場でこんなにバグが頻出したら、慌てるだろうね。
そりゃ早口言葉にもなる……
いつの間にかシミュレーター機の出入り口に待機していた佐祐倫が、大地の様子をカメラに収めていた。
こんなシーンを記録して、何に使うの?
大地は佐祐倫からドリンクボトルを受け取って、水分を口に含んだ。
すべてをプロモーションに回せるわけではないけれど、と佐祐倫は前置きした。
「どんな需要が出るか、わからないでしょ?」
いろんな場面を保存しておくようにした、と佐祐倫は撮ったばかりの映像を確認した。
「訓練の合間に、
『早口言葉でわかりやすいコメントの練習』もしていますよ……
もっと刺さる言い回しは、ないかしら」
大地の個人端末から呼び出し音が鳴った。
鋼谷からのようだ。
シミュレーター訓練のことで、何か気にかかることでもあったのだろうか。
はい、沖です。
何か、ありましたか?
鋼谷から、今日はもう訓練を切り上げて、明日に備えて自宅で休養を取るようにとのことだった。
自宅、ね……
了解です。
大地は鋼谷との通信を切ると、佐祐倫に向き直った。
佐祐倫さん、今日はこの後、取材とか慰問の予定は入ってないよね?
「久しぶりの、
ほとんど一年ぶりの地元開催で、
取材申し込みは多かったけど、遠慮してもらったわ」
相手が相手だしね、と佐祐倫は肩をすくめた。
元とはいえ絶対王者であった炎城志朗に、勝つ気満々の頼もしい秘書である。
えーと、佐祐倫さんの方は?
「あったら、こんな風に撮影してるかしら」
佐祐倫は再び大地に向けてカメラを構えた。
昼食は、簡単なものにするよ。
材料は、宅配で……夕食と朝食の分は、うちでゆっくり考えるか。
大地を自宅まで送るといった佐祐倫に大地が笑いかける。
一人分も二人分も変わらないよ。
泊まるとなるとさすがにアレだけど、昼食はいっしょに食べよう?
都合が良ければ、夕食もさ。
「そうね……楽しそうな最新情報は車の中より、食べながらにしましょうか」
大地、向かえり。




