第83話「雌伏雄飛、または静かに燃える何か」
虎視眈々(こしたんたん)?
いいや
枯死淡々さ
爪を見せるのは獲物にだけでいい――
【望澪星環群、澪安(研究星環)】
澪和航空附属病院 整形外科診察室。
杉原行成の診察が行われている。
医師は電子カルテを閉じて、診察室の端に向かう行成の足元を観察している。
行成は診察室の端で向きを変え、再び医師の前まで歩いて戻る。
医師はうん、と頷いた。
運ぶ足に慎重さこそ残るものの、行成には一カ月前のような危うい不安定さはない。
痺れについて行成に改めて問うてみると、もうないという。
首の痛みは、リハビリ訓練終わりで疲れていると少し張るとのことだが、事故直後のような痛みはないという。
医師は再び頷いた。
「めまいや頭痛もなく、落ち着いています。
予後経過は良好と言っていいでしょう」
医師が電子カルテを開いて「経過良好」と入力した。
行成と大地との騎士戦の最中に起きた爆発事故。
救出の直後、病院で意識が戻った行成が四肢に痺れを訴えたときは、脊髄損傷までを疑った。
脳震盪の強い疑いもあってMRI検査も慎重に行い、脊髄に損傷がなさそうだとわかったときには、関係者がどれだけ安堵したか。
だがしかし、それでも頚椎捻挫は決して軽く見てよい怪我ではない。
まず首を保護する安静期間。
それから毎日毎日リハビリ。
立ち上がり、歩き、着替え……
はじめは自力で行えず、赤子のように介助されていた。
それでも黙々と二か月間、積み重ねてきたのだ。
着替えも階段の上り下りも、もう全部一人でできるところまで回復した。
先週から行成は一切の歩行補助具を使っていない。
改めて行成の口から確認した医師は、ようやく笑みを浮かべた。
「ここまで回復できたのは、相当に順調です。
努力は耳にしていますが、あなたは運も相当良かった。
事故に遭った人に運が良いというのもおかしな話ですが」
穏やかな表情のまま、しかし、医師は人差し指を立てた。
「忘れないでほしいのです。
医療としては『治癒』と表現しますが、
完全に元に戻ったのではありません」
行成は医師を見つめる。
「頚椎捻挫は、疲労や温度変化で痛みがぶり返すことがあります。
急に重い物を持ったり、首を強くひねる動きは、
当分の間は避けてください」
はい、と行成は頷いた。
「筋力も落ちているはずです。
歩けるようになったからといって、
以前と同じように動こうとすると体がついてこないことがあります」
電子カルテを映した画面を医師が指先で軽く叩く。
「退院してからも、
軽いウォーキング、無理をしない程度の散歩から始めてください。
入念なストレッチも忘れずに。
もちろん少しでも疲れを感じたら、まず休む。
我慢してまで続けないで。
まだリハビリが続いていると考えてください」
少し間を置いてから、さらに続けた。
「それから脳震盪の方ですけど、今は症状が落ち着いています。
しかし集中することが長くなったり睡眠不足が続くと、
頭痛やめまいが再発することがあります。
無理は禁物です」
「分かりました」
これで入院生活ともお別れかと思うと、ここで終わりではないと言われても、やはりもホッとする。
「日常生活には戻っていいでしょう」
その一言に、行成は小さくため息をこぼした。
行成をもってしても、先の読めない入院生活でその精神が摩耗しているのである。
結果だけを見ると、事故から二か月という早目のタイミングとはなった。
しかし、歩くことも、着替えることも、食事をすることも、人の手を借りなければできなかった日々があった。
車椅子で便所まで運んでもらって、介助されて用を足した。
松葉杖で一歩踏み出すにも、思うように支えてくれない脚に汗を流した。
何度も足がもつれそうになっては、歯を食いしばった。
まだ、首には違和感が残り、疲れやすい体を抱えている。
それでも――
行成は医師にお世話になりましたと挨拶をして診察室を後にした。
行成は、今日、自分の足で帰るのだ。
【北斗星環群、和刻(工業星環)】
承知工業 研究棟 第二開発室。
開発室内には、『赤銅鏡』専用に開発された星環騎士艇の操縦シミュレーターが設置されていた。
そのすぐ横のデスクでは、承福鉄平が端末を眺めて稼働状況を確認している。
CU95SN―6、『赤銅鏡』。
星環騎士戦という非常に限定された用途に資する宇宙船でありながら、プラグイン構造を全面に押し出した大地専用の特注機体。
存在に矛盾を抱える超汎用騎士艇。
「超汎用……なのに、
今この騎士艇を使いこなせるのは、沖くんだけって、
設計した自分でも意味わからん……」
星環騎士戦の可能性を広げる機体だからこそ、硬直した星環騎士戦法を取り続ける騎士たちにはあまり意味をなさない……
シミュレーターのNITRO版プログラムについては、昨日、山津(研究星環)の自分の研究所に帰るついでに承知工業に寄った風鈴寺博士が、大地が訪れるより早く嬉々として自ら入力してしまった。
それもパッチ作業ではなく、手打ちで。
まったくどういう作業速度なのだろう。
というか、すでに実証段階レベルで設計も材料吟味も済ませているということだ。
附子島に詰め寄っていたのは先週だったはずだから、そのときには翠シリーズ独自のニトロ機構と騎士艇のリバースエンジニアリング?はすでに終えていて、あくまで単なる確認だったのだろう。
風鈴寺博士は、過去に浮かんだアイデアのほとんどを研究助手に引き継いでいて、博士発の新技術の発想は相当数にのぼる。
ただ本人曰く、それらは過去に生み出された技術や知識の組み合わせに過ぎないという。
だから、インスタントなのだと。
……冗談ではない。
本来なら、一人の研究者が人生を懸けて積み重ねるような推論と試行錯誤が必要なはずなのだ。
そんな、余っていたパンに昨夜の残り物を挟んでサンドイッチを作りました、みたいなノリで……
何か、いろいろすっ飛ばして結果だけ持ってくるのは、反則じゃないか……
風鈴寺博士が10人いれば、この北斗星環群は10年も経たずに星環群連合のトップに躍り出るのではないだろうか。
……いや、この世界に風鈴寺博士は10人もいらない。2人だって多過ぎる。
鉄平は頭を振って雑念を追い出した。
今は大地の、『赤銅鏡』NITRO版のシミュレーションだ。
NITROの採用については、大地をはじめとした赤銅騎士団の面々と騎士団に乗り込んだ風鈴寺博士とが喧々諤々(けんけんがくがく)とやりあったらしい。
風鈴寺博士曰く、
『名前がかっこいい。緊急時パワーアップかっこいい』
滋野さん曰く、
『使うかどうかは小僧次第。
通常燃料機関、化学燃料機関、電磁モーター、空気機動装置、
ここにNITROとか、さすがに全部は積み過ぎ。
前3つは必須だから、外すとすれば空気機動装置か。
水素ガスを使う空気機動とモーターの回転数を上げるNITROとは相性悪い。
できればNITROの周辺は窒素かなにか不燃の気体で囲みたい』
騎士艇の整備を預かるチーフメカニックらしい考えだ。
附子島さん曰く、
『説明で内容はわかった。
大地次第だが、とにかく名前が縁起悪い
できれば目にしたくない名前』
澪和騎士団を辞めた原因は、口にしないけどニトロ機構がらみだろう。
大地くんも巻き込まれた、あの事故だってつい最近だからな。
違う仕組みとは頭で納得はしても、その名前で忌避感を覚えるのは当然と言えば当然だ。
そして、沖くん曰く、
『また妙なものを持ってきたな。
名前もニトロとか爆発を思い出して嫌な感じ。
ただ、緊急とはいえ出力ピークを上げられたら、やれることが増えるかな。
どうかな?』。
操縦シミュレーターの中にいるのは、大地である。
今日一番の便で承知工業までやってきたのだ。
『赤銅鏡』に正式に積み込むと決める前に、肌感覚を試してみたいとの大地の希望があったのだ。
星環騎士艇の操縦シミュレーターから大地が顔を出した。
思ったより、変わり映えしないというか。
「そりゃ、まあ……」
承福鉄平にすれば、さもありなん、といったところ。
NITROがいくら最新鋭技術とはいえ、星環騎士戦に活かせるかは別の話だ。
先の、空気圧機動を新戦法に結びつけられたのは大地のセンスあってのことである。
そうそう毎度毎度、都合よく新発明装置をフル活用できる手段が降ってわくわけもない。
大地のこれまでの戦法・戦術の傾向からして、一時的とはいえ電磁モーターの出力ピークを上げたところで何か選択肢が増えるという具体的なイメージが湧いてこない。
推進力が増すニトロ機構なら、まだ目に見えた変化もあるのだろうが。
網にしても、投げっぱなしにしかしてないしね。
地曳網みたいに一網打尽にして引っ張り込むなら、また話が違うんだろうけど。
「宇宙空間で、相手を絡め取って引っ張り込む……」
それは物理法則がツッコミきれないと呆れるレベルだ。
戦法や戦術で考える場合、偶然に頼れない。
無重力環境下では、網で包囲するまでならともかく、ガッチリ絡めとるには慣性のほかに動力が必要になる。
だからと言って、兵装に動力を持たせるのは、規則に抵触しそうだ。
よって、これは没。
また、引っ張り込むには当然足場が必要だ。
だが宇宙に足場など、ない物ねだりもいいところだ。
そうすると、異なる二点を絡め取ればCU95SN―6、『赤銅鏡』のNITROを発動させて両方を引っ張る……
それとて固定するものがない宇宙空間で、さらにもう一点をどう見つけるのだという話である。
しかもそのもう一点は、足場代わりなのだから簡単に動いてもらっては困るのだ。
つまり星環騎士艇と比べて相当大きな質量……星環?
廃棄星環を絡め取ることができる網……
鉄平はバカバカしくなってきたのでその辺で考えるのをやめた。
そうかな?
星環を足場かその代わりにするってのは悪くないと思ったけど。
大地の眼差しは真剣だった。
鉄平は自分の口元を押さえた。
「……口に出てました?」
うまいこと考えはまとまらないけど、飯にしようよ。
ここの近くにある一膳飯屋さん、楽しみにしてたんだよね。
まだモツ煮込み丼、やってるかしら。
ぐつぐつ、ことこと
魔法の時間
味噌が奏でる甘い湯気
ほろりと溶けるモツ
生姜がピリリ
感謝を込めていただきます
冷えた心
空腹の夜
この一杯で
明日への力が湧いてくる




