第82話「余震――カカオのチャンス」
そっと含んだ茶色の宝物
たちまち解ける甘い魔法
とろりと広がる未知なる歓び
それこそカカオの深み
何て美味しいの……
まるでおとぎ話の中のよう
私の世界が息づくの
カフェ/千代ノ音。
「全力のやつめ。
料理研究とか抜かしやがって、希倫が目当てだったか。
後できつく搾り抜いて……」
「大地くん、
リンゴジュースみたいに、
人間を搾ったらダメだから……」
数日前の鋼谷家。
チョココロネの味のルーツを探りたい。
突然、全力がそんなことを言い出した。
「それは……
お店の一番売れ筋のレシピを教えてもらうのは、
骨を埋める覚悟を見せないと」
父の鋼谷琢磨は大それたことを言いだした息子を諫めようとした。
自分はともかく、全力はいずれ実家がある賛星に返さなくてはならない。
そうしなければ、妻の志伸にどんな仕打ちを受けるかもわからない。
いや、そうではなくて、と全力は父に一から説明した。
「コロネのチョコクリームは、先月から僕も作業させてもらっているので、
材料配分も手順も、もうわかってる。
目を瞑っても……
瞑りませんけども……
作ることはできる。
そうではなくて、
肝心な、チョコレートという素材のこれまでの扱われ方、
料理としての文脈を確かめたい」
なるほど、と琢磨は顎に手をやった。
砂糖や味醂を使った料理は作るものの、自分は甘味を積極的に食べていない。
言われてみれば、チョコレートを口にしていないのだ。
「そう、僕が知る限り、
僕らが住んでいた賛星でチョコレートを見たことはないんだ。
賁星星環群にもないかもしれない。
気になって調べてみたけど、
賁星星環群では小豆餡か枝豆をすり潰したずんだ餡が主で、
チョコレートの原料であるカカオ自体、流通のデータに出てこなかったんだ」
何と、まだ見ぬ味だと……
琢磨の目にも探求者の輝きが灯った。
「よし、そうと決まれば、父さんと一緒に甘味処に……」
「いえ、父さんには、
今度チョココロネをお土産に持って帰りますので、それで……
大地兄さん!」
鋼谷父子の暑苦しい料理談義は毎度のことだったので、大地はソファに寝そべってのんびりしながらプロレス動画を眺めていた。
突然、自分の名前を呼ばれた大地は面倒くさそうに顔だけを全力の方に向けた。
何?
話は聞いてなかったぞ?
「チョコレート料理のルーツを探るべく、探求の旅に出たいのです」
何? 瑞穂からも出るの?
元気だな、全力?
「そうではなく……
以前、チョコレートコースのあるお店の話を、
大地兄さんがしていたじゃないですか」
えーと?
チョコレート……
千代ノ音のチョコレートコース料理のことか?
そこしか知らんけど。
頼られているようなので、少し話を真面目に聞く気になった大地は、寝そべるのを止めてソファに座り直した。
コース料理は美味しかった。
それは、間違いない。
ただな……
ティーセットくらいならいいけど、
コース料理ともなると子どもには少し値が張るんじゃないか?
親父さんに連れて行ってもらえ。
何なら……俺と行くか?
しかし、全力はきっぱりと断った。
「僕も、パン屋で働いてお給金を受けている身です。
大地兄さんには及ばないけど、蓄えもあるんです。
それに、自分の研究のために食べたいのです。
身銭を切ってこそ、身につくものがあるはずなのです」
言うじゃないか。
なかなか……男前になったな。
よし、行ってきな。
えーと、コースの方だけど、
俺のときは黒崎運輸の特別枠で飛び込みだったからな。
本来は予約しないと準備に時間がかかるからって門前払いされちゃう……
これが、連絡先だ。
お前の端末に飛ばすから、予約しとくといい。
「……コースにも、いくつか種類があるんですね。
どれを選べばいいですかね」
うーん、最初なら、一番安いのにしとけ。
それが気に入ったら、グレードを上げていけばいい。
鋼谷さんは……うんうんと頷いてばかりだね。
可愛い息子の一人立ち宣言に感無量のようだが、俺はどうにも心配だな。
ぼったくるような店じゃないけど、
全力の方でおかしなことしないとも限らないし……
カフェ/千代ノ音。
結局、千代ノ音の馴染みのマスターに声をかけ、互いに姿が見えにくいテーブルに配置してもらった大地。
心配で心配で、店の中で待ち構えていたら、これかよ。
希倫も全力と一緒に来るんじゃねえよ。
ああ、でも、よく見てみると、
希倫の目が完全に近所の小さい子を見守る目だ、一安心……
それはそうと、
「ちょっと、大地くん」
何ですか? 今、大事な……
振り返ると、佐祐倫の笑顔。
ただし、眉がきりりと逆立って……
それに、口角が上がっているのに、
牙をむき出しているように見えるのは何故でしょうか。
つまり、笑っているようには見えなくて……
「人の恋路を、どうこうしている場合なのかしら?」
え?
「でえとにさそわれたものと、
よろこんでいたのだけれど……
ちがったのかしら?」
大地の脳裏に嫌な予感が……
いや、ひらがなの既視感が襲った。
最近すっかり鳴りを潜めていたので忘れていたが、目の前にいる御仁は、かつて獲物を捕らえる虎のような目で自分に秋波を送ってきたのではなかったか。
それに、デートを餌に監視の付き添いとか、
俺が白石さんに巻き込まれた時の逆のパターンじゃないか。
そりゃ……怒るよな……
大地は佐祐倫の方に向いて座り直すと、背を丸めた。
そうなると、元々身長差があるので、どうしても上目遣いになる。
ええと、今日のコースは、マスターお薦めで季節のぉ……
その萎れた様子に、少しばかり尖っていた嗜虐心を満たされた佐祐倫は、よろしいとばかりに吊り上がっていた眉の険を解いた。
危機が去ったようで、ほっと胸を撫で下ろす大地。
自分の地雷が踏まれたからといって――
人の地雷を踏んで良いわけがないのである。
いつの間にか個人端末をいじっている佐祐倫。
大地
「ぼくたち、デート中じゃ、なかったんですか?」
佐祐倫
「ねえ、賁星星環群にカカオが流通してないって、
本当っぽいわね」
大地
「へえ……」
佐祐倫
「へえ、じゃないのよ。
スイーツの歴史には大まかに二度の大変革があって、
最初に精製砂糖、これはのちにメレンゲの発見まで生んだわ。
次にカカオ、つまりチョコレートの発見。
細かくいえばそのチョコレートについても、
ミルク、ホワイト、ルビーといくつものチョコが開発されて、
後にはよりチョコの香りを高める革命的製法が……」
大地
「ごめん、要点をお願い」
佐祐倫
「……つまり、かつて人類をトリコにしてきたのがチョコレート。
ところがどうやら原材料のカカオが偏在しているらしい……
これは、瑞穂だけじゃない。
北斗星環群のビッグビジネスチャンスかもしれないわ。
カカオ製品が当たり前に身近にあり過ぎて、気付きもしなかった……」
佐祐倫はこうしてはいられない、と電話をかけた。
電話の向こうはどうやら、赤銅騎士団オーナーの都並。
彼は北斗の食糧事情をほぼ一手に握る大網グループを束ねる大網商事の総帥でもある。
初めは気の抜けた返事をしていた都並も、じきにことの重大さに気が付いて乗り気に――
かつてシルクロードでは絹を求めた商人たちが行き交い、その道中で地産品の価値の発見・再発見をして交易の輪を広げ、大いに文化を発展させた。
大地は黙って紅茶を飲んだ。
当のシルクロードの方は、人にも交易にも価値の発見・再発見にも興味がないのだった。




