幕間「意地を通すな、窮屈だ」
これは槍ではない。
これは盾ではない。
聞く耳がないのなら
せめて踏みにじらないで
私たちは邪魔しない
だから私の愛を――
どうか邪魔しないで
ことは、杉原VS大地戦から、少し前に遡る。
『礼文慎ファンクラブ北斗支部』。
去年あたりから10人ほどの有志で楽しいオフ会を開催していた。
今では公認となった『礼文慎ファンクラブ北斗支部』。
実際に礼文慎とお茶をした希倫が、栄えある支部長を務めることとなった。
希倫にとっては純粋に好きを表現できる大切な場所だった。
つい、はしゃいだこともあったかもしれない。
この『好き』を共有できることが嬉しくて、誰かの癇に障るかもしれないという警戒を、うっかり忘れてしまっていた。
……いや、そんなのは、ただの言い訳だ。
パイプ椅子で殴られて足元に横たわる同好の仲間を見てしまっては。
「希倫さん……
あいつらを見かけたら、
それが楽しみにしている試合開始前でも早々に引き上げてください」
当初からのファン、今ではいっぱしのフリークスチームのリーダーを務める青年から、忠告はされていた。
家族だからこそ、応援という立場ではなく。
応援しているのは、兄ではなくまったく別の騎士。
その青年をはじめ理解はされていた。
だから、軽く見てしまっていたのかもしれない。
私設の、割と品の良い私設観戦施設だったことも、気を緩めたのかもしれない。
忠告は、最悪の形で現実となった。
突然、入口を叩き割る勢いで、私設観戦施設に踏み込んできた者たちがいた。
大地狂信者。
大地信者から見ても狂気的で排他的な振る舞いで眉をひそめられる一部のグループ。
それぞれが何かを怒鳴っていたようだったが、意味をなす言葉として聞き取れなかった。
そして、彼らのうちその場のパイプ椅子を手に取った数人の手にかかり、希倫たちが眺めていた生配信中のモニターが叩き壊された。
次の標的は立ち尽くしていた礼文慎ファンクラブ会員たちだった。
奇声とともに、いきなりパイプ椅子で殴られ、次々と倒されていく。
足元に横たわる、さっきまで笑顔だった希倫の仲間たち。
気に入らないなら、まず言葉で来いよ。
いきなり殴るのは、違うだろ!
十秒もたたないうちに、半分ほどの会員が床に叩き伏せられてしまった。
残りのほとんどの会員はパニックに陥っていて、抵抗できているのは希倫含めて二人か。
暴漢の数は、ざっと見てこの集会に参加していたクラブ会員の倍くらい。
頭上から降り下ろされるパイプ椅子を、希倫は暴漢の脇に踏み込みながら躱しつつ、腕を押さえて捻りこむ。
暴漢の一人は何が起こったか理解する前に床に叩きつけられた。
「倒れた人を担いで、逃げて。
奥の勝手口から、外へ!」
希倫は奥の勝手口を指さした。
我に返った数人が倒れた仲間に肩を貸して奥に向かう。
暴漢たちの注意を集めるため、希倫は鬨の声を上げた。
多数決の正しさで、
私たちの『好き』を裁かないで!
憎しみではなく愛を叫ぶなら、
傷つけるために使わないで!
見回すと、10人ほどいた自分たちの、ほぼ倍の人数の暴漢たち。
視界の端で店主がどこかに通報しているのが見えた。
間もなく警察が来るかもしれないが、それまで持ちこたえられるか。
暴漢たちは何かしらの凶器を手に襲い掛かろうとしている。
自分たちは、素手なのだ。
目立つ希倫めがけて、別の暴漢がパイプ椅子を横殴りに叩きつけようとする。
希倫はとっさに伏せながら、暴漢の無防備な膝に、思い切り踵で蹴りつけた。
その膝関節がありえない方向に曲がり、その暴漢は脚を抱えて転げまわる。
一瞬やりすぎかもと思ったが、手加減するには人数に差があり過ぎる。
囲まれる前に全員行動不能に追い込むか、残虐に潰して見せることでこの場を引こうと思わせなければならない。
もし失敗したら……自分の命があれば勝ちとしよう。
動けるクラブ会員たちと手負いの同志全員が勝手口に回ったのを横目で確認した希倫は、その勝手口へ続く通路を塞ぐように立ちはだかった。
ふいに後ろから衝撃が襲った。
大皿が投げつけられたようだ。
希倫の頭に血が上った。
すぐそばにある丸いカフェテーブルを手に取った。
丸テーブルを楯にして、立てこもる?
ブッブーー!
踊るように振り回された丸テーブルが、希倫に近づいてきた3人ほどを立て続けに弾き飛ばす。
対話の扉が閉ざされているのなら……
私は、扉に鍵をかけましょう。
パン屋は見かけによらず力仕事。
そして看板娘である希倫も可憐な見かけによらず力持ちだ。
そして、希倫の奥深くに眠る、子熊を守る母熊のごとき勇猛さがむっくり目を覚ます。
希倫は通路に殺到しようとする暴漢たちを、片っ端から丸テーブルを振り回して弾き返していった。
勇ましき希倫が立ち回ること、数合。
だが、守る位置から動けない以上、すべての攻撃はかわせない。
背後から氷の詰まったアイスペールを投げつけられ、希倫の肩に鋭い痛みが走る。
別の暴漢の拳が頬をかすめ、視界が一度ぐらりと揺れた。
怯んだところに額に硬いグラスが投げつけられた。
とても、痛い。
一人の暴漢が、希倫の横をすり抜けて逃げる仲間を追おうとした。
丸テーブルを振り上げる余裕はない。
希倫は床を蹴って、脚先から低く宙を滑るように飛びかかった。
大地の空中胴締め。
兄の試合を見て身体が覚えていた動きの、咄嗟の翻訳。
暴漢の軸足の膝裏へ、容赦ないスライディングを叩き込んだ。
変な音がして暴漢が前につんのめり、希倫もまた激しく床を転がった。
すぐさま立ち上がるが、数の不利は一向に覆らない。
周りをパイプ椅子を手にした暴漢たちが取り囲んで、距離を詰めてくる。
それでも希倫は一歩も引かなかった。
いつの間にか店主も店員も姿を消していた。
そして店主の通報からどれだけ経ったのか。
希倫が全身ボロボロになりながらも通路を塞ぐために孤軍奮闘を続けていた。
荒くなる息を何とか整える希倫。
並み居る暴漢を上回る凶暴さで。
やがて店内で、暴漢もそれ以外の者も、希倫以外の誰も立っている者がいなくなった頃。
「動くな!」
治安維持部隊レベルの装備をした警察官の一団が店内に踏み込んできた。
目的を果たした希倫は、ゆっくりとカフェテーブルだったものを床に置いて、両手を挙げた。
仲間たちは、全員、無事に逃げ延びただろうか。
ベテランっぽい警官が数人を率いて希倫の方まで歩み寄ってくる。
そのベテランっぽい警官は、しばし希倫の顔をしげしげと見つめるとポンと手を打った。
「……驚いたな。希倫ちゃんじゃないか」
そう言われてみると、その警官の顔には見覚えがあった。
昔、貧乏長屋でお世話になったお兄さん。
竹島より少し上だったような。
そう、名前は――鹿嶋太朗さんじゃないか?
いつの間にか見かけなくなり、どこへ行ったのかと時々思い返していた。
ちゃんと就職していたらしい。
懐かしい知人の姿を見て安心したのだろう。
張り詰めていた気持ちが一気に途切れた希倫の意識は、すうっと遠のいていった。
瑞穂の警察署内。
カタカタカタ……
希倫の供述を受けて、鹿嶋が記録に落とし込んでいく。
警察が到着したときに、観戦施設の床には十数人の怪我人が転がる大惨事。
立っていたのは希倫だけ。
その希倫でさえ、打撲と裂傷だらけでショックで失神。
通りでは、助けを求める礼文慎ファンクラブ会員たち。
会員の中には、大怪我をしている者もいた。
結局、希倫は逮捕ではなく重要参考人かつ保護の扱いとなった。
むろん、警察の鹿嶋と知り合いだったからではない。
店内の監視映像には、動かぬ証拠があった。
フーリガン側が前触れもなく襲撃したこと。
明確に凶器で加害していたこと。
店主の通報と店員たちの証言もある。
希倫が相対したのは、丸テーブルを手にしていたとはいえ、なんと18人。
希倫も暴力は振るっている。
丸テーブルを凶器としていたさまもしっかり記録されてはいた。
しかし、一対多数で仲間を逃がすための殿を務めていた。
自分から被害を増やしたのではなく、あくまで裏口に近づいたものだけに手を出している。
結果として、全員をノックアウトしたのであるが。
そして、希倫自身にも多数の打撲と裂傷があった。
18人のフーリガンを向こうに大立ち回り。
やんちゃで体力おばけの希倫でなければ、命に危険があったかもしれない。
任意同行と聴取の末、防衛の範疇とみなしてくれそうなのは、幸運だった。
だが、鹿嶋の表情は硬かった。
床に転がっていた暴漢たちが身に着けていた沖大地グッズ。
腕章、ワッペン、ステッカー、そして赤いスカジャン。
大地の狂信者たちが、希倫を襲うという、厄介な構図。
「希倫ちゃん。
やむを得なかったのかもしれない。
それでも過剰防衛である疑いは、完全には消えない」
警察署を出た希倫の耳に、鹿嶋の言葉が重く残った。
翌日、身体の痛みに顔を顰めながら身を起こした。
顔が重い。
体がだるいが、洗面所に向かう。
鏡に映る自分の姿。
目の下には大きな痣。
額には裂傷を覆う大きな絆創膏。
髪は、ボサボサ。
ところどころはいつの間にか切られたのか、長さが不自然。
うがいをすると、口の中を切ったのか痛みが走る。
改めて顎を触ってみたが、骨や歯に異常はないようだ。
『可愛く産んでもらっておいて――』
大地が見たら、叱られるだろうか。
「好きなものは、好きでいいじゃないの……」
問答無用で私たちを襲うなんて。
しかし、希倫は考えざるを得なかった。
仲間を守るためだった。
それは間違いない。
だが、力任せに殴り倒して、一体何が解決したというのか。
沖大地の妹である報道リスク。
礼文慎にだって風評被害で迷惑をかけてしまいかねない事態。
自分の身には、暴力に訴えてしまった感触が残っている。
高揚感はあった。
意地を通すための喧嘩。
しかし、何か、座りが悪い……
これは……そう、平衡ではない。
間違っていないと思うなら、なおさら殴ってはいけない……
殴り合いに持ち込んでしまったら、表で『好きなものを好き』だと言えなくなっていく。
礼文慎が好きだ。
それは、希倫の胸から消えない思い。
自分の芯。
性急な立ち振る舞いを……改めていこう。
まずは、巻き込まれた形のファンクラブ会員に謝ろう。
危険なままに表に引っ張り出してしまった。
そして、一緒に歩んでほしいとお願いする。
殴ってきた狂信者は腹立たしいが、年がら年中いつでも興奮しているわけでもないだろう。
こちらが殴ったことについては、謝罪しよう。
歯や骨くらいは叩き折っただろうし?
手打ちができたなら、私たちの『好き』も知ってもらおう。
自分たちを憎む人には、知ってもらうことから、はじめよう。
すでに狂信者たちの合間では、希倫が人間熊として、『手を出すな。やり過ごせ』と回状が回されているのは知る由もない。
届かないときは、仕方がない。
まだ、そのときではなかったのだと諦めて。
届く時代を待って、距離を取ろうじゃないか。
理解してもらえないからって、最初から諦めるのは違うだろ?
やってやろうじゃん。
沖希倫、決意の朝。
影の中で育んだ、
私だけの愛おしい世界
光にさらせば
冷たい言葉の雨が降る
刃を向け返すのは違うよね
ただ、知ってほしいだけ
届かぬ願いであるならば
鍵をかけて、胸の奥にしまおう
互いに傷つけぬ場所へ
閉じた楽園で
自分だけの花を咲かせるも一興




