6-4 おっさん、大図書館に入る
「あ! さっきはありがとうございました!」
突然背後から声を掛けられた俺が振り向くと、そこには昼間ぶつかった銀髪の女性が立っていた。相変わらず中身がパンパンに膨らんだ鞄を、腕に抱くようにして肩から下げている。
「ああ。昼間の」
「はい。お陰様で講義に間に合いました。ところで、大図書館に何かご用ですか?」
「それはそうなんだが、貴女は?」
「あ! すみません。私は大図書館の研究員で、リリア・イオディスです!」
リリアと名乗った女性が、ペコリと頭を下げた。
そんな彼女に、今までの話を聞いて、ふと疑問に思ったことを訪ねてみる。
「大図書館の研究員が、講義を?」
「…ああ! 私は魔導学院で講師もしているんですよ」
第一印象が慌てている姿だったからかもしれないが、どうやら彼女は見かけによらず優秀らしい。少し照れたように笑っていた彼女だが、すぐに再び先程と同じ疑問を口にする。
「それで、ご用件は?」
「ああ。ある人に頼まれて、館長にこれを届けに来たんだ」
「館長に…わかりました。ご案内します!」
俺の雰囲気からリリアも只事ではないと察したのだろう。詳しい事は聞かずに、リリアが俺の案内を買って出てくれた。
昼間とは違い、大図書館の入口までの石畳の道の両脇には、魔道具の明かりが並び、その通路を照らしていた。建物自体は白い石造り――大理石のような艶のある荘厳な印象を見る人に与えている。五階建ての本館と幾つもの別館に分かれていて、正面の本館の中心の天井はドーム状になっていた。本館の入口は石の段上にあり、その両脇には石柱が並んでいる。
リリアに連れられて階段を登ると、そこには青銅性の巨大な扉があった。その扉をくぐり建物の中に入ると、先程までの賑やかだったアルカスの街とは一転して、辺りはしんと静まり返っている。
目の前には受付カウンターがあり、五人の受付嬢たちが座ってそれぞれの仕事をしている。その内の一人がリリアに気が付いて声をかけてきた。
「リリア、お帰り! その人は?」
「館長に用があるそうなんだけど、まだいる?」
「いるはずよ」
「ありがとう!」
リリアと一緒に居るお陰だろう、俺は受付を素通りして、そのまま奥へと案内されていく。館内はどことなくインクの匂いが漂っていて、静まり返っている。コツコツと言う俺の足音が、その雰囲気にそぐわないと思い、俺は思わず足音を殺していた。
受付の両脇には、左右それぞれに二階へ登るアーチ状の階段があった。リリアがその階段を上がっていったので、俺も彼女の後を追う。階段を登ったところ、二つのアーチの中心に当たる壁には、更に上へ登る階段があり、リリアは迷う事なく三階まで上がっていった。
三階まで登ったリリアが、廊下を奥の方へと歩みを進めていくと、辿り着いたのは、ぽつんと独立している小さな部屋の前だった。そして、リリアがノックしようとした瞬間、部屋のドアが開いて、中から腰まで届く蒼い髪の女性が出てきた。その顔には眼鏡がかけられており、髪色と同じ蒼い瞳が俺の顔をじっと見つめている。
「貴方がクヌートね。ありがとう、リリア。もう行っていいわ」
「え? あ、はい! 失礼します!」
状況を理解出来ずにいるリリアだったが、館長であろう女性に促されるまま、この場から去っていく。
それを見届けながら、彼女は俺に対して声を掛けた。
「さて、詳しい話は中で聞きましょう」
「分かった」
彼女の後を追うように、部屋の中に入っていく。
その部屋は壁一面に本棚が並んでいて、中にはみっちりと本で埋め尽くされていた。部屋には窓は無く、本棚の他には彼女の執務机が置いてあるだけの無装飾な部屋は、ティグリスのものとは真逆だった。その部屋の中を、天井の魔道具の明かりが、ゆらゆらと照らしている。
部屋に戻った彼女が、自分の机の元へ向かって椅子に座ったので、俺はその正面に立った。そして、ティグリスからの紹介状を彼女に渡す。すぐに彼女はそれに目を通すと、微笑みながら口を開いた。
「事情はわかったわ。立たせたままでごめんなさいね」
「いや、構わないさ」
「改めて、私がここの館長を務めているセレスティア・グラウクスよ」
「クヌートだ。どうやら俺の事を知っているようだが」
「ええ。冒険者ギルドから先触れが来ているわ、クヌートさん」
セレスティアはそこで言葉を止めて、何かを探るように俺の目をじっと見つめている。だが、次の瞬間、彼女の口から発した言葉は、俺に大きな衝撃を与えるものだった。
「…いえ、ルーンベルグで召喚された勇者の付き人、クヌギさんとお呼びした方がいいかしら?」
「…何の事だ?」
「ここは叡智の国アルカディアよ。全ての情報が集まるの」
(…何故知っている?)
その事だけはバレないように充分な対策をしてきた筈だった。セレスティアの言った理由では到底納得は出来ない。だが、それも織り込み済みなのだろう、俺が警戒しているのを察したセレスティアは、優しく微笑んだまま言葉を紡ぐ。
「心配しないで。私は、アルカディアは、ルーンベルグにもゼノビアにも味方はしない。ただ中立を保つだけよ。それに、今は逆に”クヌート”という名前を知られる方が問題ではなくて?」
(確かにそうだが…)
冒険者ギルドのマスター、ティグリスは本部からの通達を止めてくれるだろうが、受付でコローネには名乗ってしまっている。誰かが俺の名前を聞いていたかもしれないし、他所の支部から流れてくる可能性がある。俺が”クヌート”だと知られない方がいいのは事実だった。
――俺は深く息を吐くと、気を取り直して微笑むセレスティアと正対する。
「どうして”俺”の事を知っている?」
俺は語気を強めてセレスティアに問い掛けるのと同時に、『慧眼』でセレスティアの『ステータス』を調べようとした。鑑定系のスキルを持っているのかと疑ったからだ。だが――
(…見られないだと!?)
――セレスティアの『ステータス』は、激しいノイズのようなもので隠されてしまっていて、何も見えなかった。決して表には出さないが、初めての事態に俺の背筋に冷や汗が流れる。そんな俺の内心を知ってか知らずか、俺が言葉を荒げてもセレスティアの表情は変わらないままだ。
「先程言った通りよ。人の口に戸は立てられないわ。噂話は広がるものよ。それに百年ぶりに行われた”勇者召喚”だもの、学術都市アルカディアが放っておく訳ないでしょう?」
「…そうか」
「納得がいかない、って顔をしているわね」
「まぁな」
「いいのよ。それくらい慎重で無ければ、信頼は出来ないわ。それにティグリスの頼みなら、貴方を匿うの厭わない。ただ、ひとつ条件があるの――」
魔道具の灯りに照らされたセレスティアの眼鏡が、光を反射してきらりと輝く。
「――しばらく、ここの用心棒をしてくれないかしら?」
そのセレスティアの言葉には、何処か重い響きがあった。そんなセレスティアの態度を訝し気に思った俺は、気になる事を質問していく。
「用心棒? 警備の者をちらほら見かけたが」
「ええ。ちゃんと警備員はいるわ。当然それとは別にって事よ」
「つまり、何かはっきりとした護衛対象があるのか?」
「そう。地下の禁書庫を狙った侵入者がいるみたいなのよ」
「地下?」
「ええ。地下二階にある、選ばれた職員しか入れない区画に、危険な書物が纏めて保管しているの」
「何故、そこが狙われていると?」
「ここ数ヵ月前から職員に、禁書庫について聞き出そうとしていた人物が居たみたい。それだけなら問題ないのだけど、最近になって急に、この近辺で不審者を見掛けるようになったと報告があったわ」
「不審者?」
「そう。大図書館の入口付近で、人の出入りをじっと見ている人物や、夜中に周囲をウロウロし続けている人影など、あからさまなモノよ」
「それで、”用心棒”か」
「そういうこと。不審者への対応をお願いしたいの。四階の職員用の部屋を貸すから、そこを使ってもらっていいわ」
「それは助かるな」
ここで初めてセレスティアの表情が変わり、何処か悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「それに、報酬として禁書庫にある書物の閲覧許可を上げる。そこには、勇者召喚について書かれたものもあるわ」
「なんだと!?」
想像もしない言葉に、驚愕のあまり俺は思わず声上げてしまう。さっきからセレスティアには驚かされてばかりで、困惑しきりだった。
「百年前の勇者召喚の記録よ。貴方にとって、何より知りたい情報でしょう?」
「それはそうだが…何を企んでいる?」
ずっとセレスティアの掌で転がされているような感覚に、俺は思わず彼女を問い詰めてしまう。悪意を感じる訳ではないが、こちらの全てを見透かしているようなセレスティアの言動に、警戒せざるを得なかった。
「ただの善意、って言ったら信じてもらえる?」
「どうかな」
「…まぁ、無理でしょうね。でもね、本当にそれしか言いようがないのよ」
何処か困ったように笑うセレスティアを見て、俺は何かを言おうとしたが、言葉が浮かばなかった。
セレスティアは真剣な目をして、俺の目をしっかりと見ながら口を開く。
「…貴方たち”勇者”は、突然この世界に召喚されて、今までとは違う環境で生きることを余儀なくされた。その蛮行を同じこの世界の人間として申し訳なく思っているわ。だからせめて出来る限りの事をしてあげたいのよ」
沈痛な表情で語るセレスティアの言葉は、ただ俺たちの境遇を心配しているものだった。その真っ直ぐな想いに、俺は黙って彼女の言葉を受け止める事しか出来なかった。
「貴方には、真実を知る権利がある。そして、それを知った貴方がどうするのかを見届けるのが、私の目的よ」
「…わかった。引き受けよう」
セレスティアの真摯な想いを受け取った俺は、彼女の”依頼”を受ける事にした。どの道、冒険者としての活動を一旦休止する必要がある以上、ここの他に行く宛ても無い。何より”勇者召喚”についての知識が得られるというのは、彼女の言うように、俺にとっては最大の報酬だと言えるだろう。
「引き受けてもらえてよかったわ。ティグリスにもいい報告が出来そうね」
「冒険者ギルドに頼んでも良かったのでは?」
「禁書庫だもの。普通の冒険者には頼めないわ」
「なるほど。ギルドマスターのお墨付き、か」
「そうよ。貴方だから頼むのよ」
「期待に沿えるよう頑張ろう」
「ええ、そうして頂戴。じゃあ早速、貴方の使う部屋に案内するわ」
「頼んだ」
セレスティアと握手を交わした俺は、四階にある職員用の個室に案内してもらう事になった。その途中、俺は館内での注意事項を聞いている。
「この後、受付で特別許可証を渡すわ。それがあれば館内の何処でも入れるし、食堂で食事もとれるわ」
「それは有り難い」
「話は通しておくから、貴方は好きに動いて」
「分かった」
そうして、与えられた個室は、机とベッドがあるだけの簡素なもので、リベルタの「運河の旋律」を彷彿とさせた。
「じゃあ、早速明日からお願いね」
――そして、受付で許可証を貰うと、俺の怒涛の一日が終わった。




