5-8 おっさん、足止めをする
そして、ヴェスタリアから逃亡する日の朝を迎えた。
中央広場に集まったヴェスタリア人は、およそ二千人。アルカディアへの決死の逃避行がこれから始まろうとしていた。
「じゃあ、マリア、デヴィット、フーゴ。アルカディアで会おう」
「分かったわ」「うん」「おう」
「…くれぐれも気をつけてね」
そう言うマリアの目が不安で揺れていたので、俺は安心させようと明るく振舞った。
「ああ。大丈夫だ」
「本当に?」
「約束する」
俺の言葉に、どうにか自分を安心させたのだろう、マリアがぎこちなく微笑んだ。
「エラ、道案内は頼んだ」
「はいはーい、アタシに任せて」
「ソフィアさん、トーマスや皆を頼みます」
「はい。クヌートさんも無理はしないでくださいね」
「おじさん! またね!」
エラはいつもの調子で応えるので大丈夫だろう。
ソフィアはトーマスの後ろで、彼の肩に手を置いているが、その手は少し震えていた。
だが、トーマスが俺に手を振っていると、ソフィアも覚悟を決めたのだろう、その手の震えは止まっていた。
――そして、マリアたちはアルカディアへと出発していった。
ヴェスタリア解放軍の皆とヴェスタリア人が出発するのを見届けた俺は、再び土壁を作りに向かう。
オズワルドは、この場には居なかった。きっと大聖堂で祈りを捧げているのだろう。もう彼とは別れの挨拶は済ませてある、これ以上言葉を交わす必要は無かったのだ。
ルーンベルグ軍が来るまで、予想ではあと四日。それまでに、土壁の他にも落とし穴などの”罠”を仕掛けておくつもりだった。
まずは隙間の後ろに土壁を築き、二重の防壁にしていく。そして、それを抜けた場所に同じく[土遁]で落とし穴を掘り、[水遁]で沼を作るなどの自然の罠を次々と設置していった。
何度も魔力枯渇になりそうになり、頭痛と吐き気と戦いながらも、ひたすら一人で罠を設置していく。
慣れというものは怖いもので、少しずつ回復までの時間は短くなっていったので、日を追う毎に作業効率は上がっていった。
そうして三日経ち、いよいよ明日にはルーンベルグ軍がここまで到着しようとしていた前日、今日は丸一日休む事にしていた。ここ数日、ずっとここで野営をしながら作業をしていた。さすがに最初の二日と、マリアたちが出発してからの三日間、『忍術』を使い続けていたので、身体が限界に近づいていたのだ。五千の兵を相手にするには、体調は万全の状態にしておかなければならない。
俺は土壁の上に登り[物見]でルーンベルグの方向を覗いてみると、遥か遠くに軍勢の影のようなものが見えた。あの進軍速度からすると、恐らくは予定通り明日の昼頃にはここに到着するだろう。
俺は大地に寝そべると[息吹]を使い、全身に魔力を巡らせるようにゆっくり、深く呼吸していく。
何度も何度も繰り返し、身体の疲れを解していった。[水遁]で手拭いを濡らし身体を拭いて、そのまま頭も洗う。そうして全身をさっぱりさせて仮眠をとろうとしたが、大規模な戦闘の前に今の自分の状態を確認しておこうと思い、『ステータス』を見た。
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クヌート(タケシ・クヌギ)
42歳 男
ジョブ:剣士(侍)
レベル:16
力:160 (420+150)
技:170 (420+150)
速:170 (420+150)
体:160 (420+150)
魔:150 (420+150)
抗:150 (420+150)
運:150 (420+150)
スキル
剣技5、危険感知5
(剣術7 、抜刀術5、忍術8 ↑、投擲術3、格闘術4、偽装8、隠密7 、慧眼2、危機察知4、毒耐性7、精神耐性9、剣舞8、魔力回復3 ↑)
称号
なし
(『侍マスター』『忍者マスター』『巻き込まれし者』)
(忍術)
[火遁][水遁][土遁][雷遁][風塵][風遁][空蝉][縄抜け][開錠][息吹][身体操作][物見]
(剣舞)
[いノ型][ろノ型][はノ型][にノ型][ほノ型][へノ型]
[暗器]:試作刀
[空蝉]貨幣、保存食、衣類、魔物素材、重要書類
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あれだけ忍術を使い続けたせいか、『忍術』のレベルが二つ上がっている。その上『魔力回復』というスキルを覚えていた。途中で休憩時間が減ったのは、間違いなくこのスキルを覚えたおかげだろう。ちなみに魔力回復の説明はこうだった。
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『魔力回復』
空中に漂う魔素を取り込み、自らの魔力に変えるスキル。何度も魔力枯渇状態になる事で覚える。
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どうやら、あれだけの無理をする事で覚えてしまったらしい。皆を逃がす為に必死だったから耐えられたが、普通の状態ならあれだけの無茶が出来たかどうか怪しいものだと、俺は思わず苦笑してしまう。
だが、おかげで準備は整った。出来る限りの準備を済ませた以上、後は敵の到着を待つだけだ。
(グレゴールは来るだろうか)
出来れば”忠告”を聞いてほしいところだが、どうなるかは分からない。忠告はしたし、それでも攻めてくるのであれば、こちらは戦うしかないのだ。
(…考えても、仕方ないか)
俺はヴェスタリアへ戻って、三日ぶりのまともな食事をした。そしてヴェスタリア支部へと顔を出して事情を説明すると、副ギルド長はどこか安心したような表情をしていた。それだけ俺という”厄介者”の扱いに困っていたのだろう。
それから総督府に戻って風呂に入ると、まだ早い時間にも関わらず仮眠室のベッドに倒れこむ。明日になったら朝一番で”国境”の壁に向かい、ルーンベルグ軍を待つ事にしていたのだ。
長期間の作業で精神的にも疲れていた俺は、そのままあっという間に眠りについた。
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明けて翌日、すっかり回復した俺は露店で朝食をしっかりと採ってから”国境”の壁へと戻る。
余裕を持って到着し、土壁の上からルーンベルグ軍の様子を[物見]で探りながら、到着を待っていた。やがて、ルーンベルグ軍が土壁に近付くにつれて、流石に気付く者が出始めたのだろう、兵士たちが何やらざわついている様子が見て取れた。
そうして、肉眼で視認出来るようになる距離までルーンベルグ軍が近付いてきたところで、俺は土壁の上に立ち上がった。素顔がバレないように忍者の覆面のように黒い布を顔に巻き付けてあり、他人からは目しか見えなくなってある。
そんな俺に気が付いた、ルーンベルグ軍の指揮官と思しき男が一歩前に出て、俺に目掛けて怒鳴り散らして来た。
「何だ、これは! 貴様の仕業か!!こんな物は無かったはずだ!」
よく見れば、それはヴォルフガングだった。相も変わらず喚き散らす様に、小物だなという印象しか抱かない。この様子ならグレゴールは来ていないだろう。それなら幾らでもやりようはありそうだ。
「それで?」
「…は?」
「これが某の仕業なら、如何すると?」
パレないように念には念を入れて『偽装』のスキルで声も変えてある。敢えて高圧的に対応してやると、分かりやすく青筋を立てて、ヴォルフガングは叫んだ。
「邪魔だ! こんなものはすぐに無くせ!」
「お主は馬鹿でござるか?」
「……な、なんだと!」
「邪魔をする為に築いた物を撤去する訳なかろう」
「ええい、生意気な! 構わん! あれを殺せ!」
ヴォルフガングに言われて、慌てて隊列を組み直す様に指示をする兵士たち。動きは揃っている事から、部隊長はそれなりに優秀なようだが、総司令官がヴォルフガングでは宝の持ち腐れだ。という事は、やはりルーンベルグも優秀な人材は、主軸であるゼノビアとの戦争に駆り出されているのだろう。
ルーンベルグ軍の装備は様々で金属性の鎧に籠手と脛あて、そして丸兜が基本装備だった。手に持つのは主に剣と丸盾だが、弓を持つ部隊や大楯を持つ部隊なども居る。
部隊長の指示ですぐに隊列を組み直したルーンベルグ軍は、まず後列の弓隊から、お手本通りとばかりに矢の雨が俺に目掛けて放たれた。だが、俺は踊るようにそれを避け、あるいに掴んで、あっさりとやり過ごす。
「おのれぇ…ならば突撃だ! あれは放っておけ! 目指すはヴェスタリアだ!」
所詮は一人だと高を括っているのだろう。ヴォルフガングの命令に従い、突撃する為に矢の雨が止むと、今度は前列の部隊が、鬨の声を上げながら土壁目掛けて突撃を開始する。
(…悪いな)
目の前で略奪でもしていれぱ心は痛まないが、命令に従うしかない一般兵に多少は同情しながらも、俺は突撃してくる兵士に対して、次々と[水遁]で水の塊を落としていく。
「ぷはっ! なんだ!」
「くそ! 魔法使いか!?」
「うわっ、冷たいっ!!」
突然の事態に色めき立つルーンベルグ軍。それはそうだろう、別段曇ってもいない平原で突然ずぶ濡れにされたら誰だって驚くし、濡れた服は肌に張り付き、体温を奪う。季節は冬に近い今なら、放っておけば風邪をひく事は間違いない。
だが、怪我をした訳では無いので、突撃を止める訳にはいかないだろう。現に部隊長は突撃の指示を出し続けているし、兵士たちは動揺しながらも歩みは止めていなかった。
「小癪な! いいから突撃だ! あの壁を越えろ!」
馬鹿のひとつ覚えのようにヴォルフガングが命令を出し、兵士たちは土壁目掛けて突撃してくる。
なので俺は[風塵]で砂埃を発生させて、今度はその視界を奪った。
「め、目が!」
「くそっ、小賢しい!」
濡れた服に、肌に、砂埃が張り付いて不快で堪らないだろう。忍術のレベルが上がったおかげで、一度の術の行使で、それなりの範囲に広がるようにはなった。特に[風塵]のような砂埃を起こすだけの単純な術だと、その効果は顕著だった。さすがに二千の兵士が横一列とかになられたら不可能だが、ご丁寧に隊列を組んでいる今なら、有効打を与えられる。
そうして視界を奪った俺は、土壁から飛び降りて兵士の群れの中に飛び込むと、次々と先頭の兵士の足を払って転ばす。
「うわっ!」
「馬鹿! こんなところでっ!」
視界が見えずに、急に前の人間が転ばされて、後ろにいた兵士がそれに縺れてまた転ぶ。そんな連鎖を次々と起こしていくと、見兼ねたヴォルフガングの檄が飛んできた。
「何をしている! 落ち着かせろ! 所詮は虚仮威しだ!」
「は、はっ!」
ルーンベルグ軍が一度突撃を止めて体勢を立て直す頃には、[風塵]の砂埃も止んでいたので、俺はさっさと土壁の上に戻っている。
そして、ヴォルフガングから再び突撃命令が出て、兵士たちが動き出そうとしたその時――
「火遁」
――魔力を十分に練り上げて作り出した巨大な火の玉を、ルーンベルグ軍の目の前に落とす。
「ひっ!」
轟音を立てて爆発をする火の玉を見て、ヴォルフガングが悲鳴を上げた。兵士たちもその光景を見て慌てて、足を止める。
[火遁]はあくまで脅しだ。
やはり攻撃系の『忍術』は魔力の消耗が激しく、広範囲にすればするほど、それは更に顕著になる。二千人相手に使い続けられる程の魔力は、今の俺には無いと実感していた。なので足止め用に一発だけ撃ち込んだが、効果は絶大のようだ。
こうして、土壁の前で、俺は二千のルーンベルグ軍と睨み合いをする事になった。




