5-6 おっさん、ヴェスタリアを解放する
崩れ落ちるグレゴールを横目に、俺は廊下の奥へ向かい走り抜けていく。突き当たりの部屋の扉は開けっ放しになっており、部屋の中からは人の気配がした。
「いい加減に、観念しなさい!」
「うるさい! おい、グレゴール! 何をしているっ!」
どうやら、マリアたちは無事にヴォルフガング総督を追い詰めているようなので、俺は二人の手助けをするべく、悠々と部屋に入っていった。
「グレゴールならそこで寝ているぞ」
部屋の中には、壁際に追い詰められているヴォルフガングと、奴を挟むようにして立ち塞がっているマリアとエラの姿があった。
執務机の上にはワインとチーズが置いてあるので、おおかた直前まで優雅に酒でも呑んでいたのだろう。
「……は?」
ヴォルフガングは俺の言葉が理解出来なかったのか、しばらく固まった末に出てきた反応がそれだった。
「分からないか? グレゴールは倒したと言っているんだ」
「ば、馬鹿な! あいつはルーンベルグ騎士団でも有望な若手だったはずだ! だから大金を払って儂の護衛にしたのにっ! …あの役立たずめ!」
ヴォルフガングが唾を撒き散らしながらそう喚いている。だが、そんな事より今この男は、言ってはならない言葉を吐いたので、俺は殺気を籠めて奴を睨みつけた。
――豹変した俺の姿に、マリアとエラも隣で息を飲んでいるのが伝わってくる。
「…今、なんて言った?」
「ヒッ!」
「グレゴールは、己の弱さと向き合い、必死になって実力をつけた。…それを、役立たずだと?」
「…あ、あわわ」
俺の殺気にすっかり充てられて、ヴォルフガングが腰を抜かしてしまった。そんな情けない姿を見て、此奴には何かを言う価値すらないと思った俺は、早々に殺気を収める。
「もういい。さっさとヴェスタリアから出ていけ」
「わ、儂がいなくなったら、誰がヴェスタリアを統治すると言うんだ」
「元々はヴェスタリアはヴェスタリア人の国だ。侵略者のルーンベルグが言うべき言葉じゃないな」
「ルーンベルグはスタンピードから、ヴェスタリア人を救ってやったんだぞ! その恩を忘れるのか!」
(なるほど…"真実"を知らないのか)
だから、ルーンベルグ人はヴェスタリア人を下に見ているのだろう。仮にも総督の地位の人間が知らないのなら、恐らく王家の人間くらいしか、オズワルドの語った真実は知らなそうだ。というか、あくまでルーンベルグは"正義"の国で無くてはならないのだから、王家の秘密となっていると言うのが正しいだろうか。
となれば、やはりこれ以上ヴォルフガングと問答しても意味はない。
「その借りは、もう既に返しきった筈だ。長きに渡る不遇と重税に置いてな」
「ぐ、ぐぬぬ…」
ぐうの音も出ないのか、ヴォルフガングは俺を睨みつけながらも黙り込んでしまった。これ以上は拉致が明かないので、俺は強硬手段に出る事にした。
「もういい。縛って連行しよう。マリア」
「え、ええ」
やっと我に返ったマリアが、背負い袋からロープを取り出してヴォルフガングへと近づく。
すると、その様子を見ていたヴォルフガングの口元が、一瞬だけ上がったのを、俺は見逃さなかった。恐らく年下の娘ならどうとにも誤魔化せるとでも思ったのだろう。ヴォルフガングは必死の表情でマリアに対して縋るように命乞いを始めた。
「か、金か? 金ならやるぞ! 儂を総督のままにすれば、これからは税も軽くしよう! これまでの差別も撤廃する! だから見逃してくれ!」
(…嘘だな)
ヴォルフガングの目を見れば一発で分かる、その奥にはほの昏い憎しみの光が宿っているのが。今ここで見逃せば、ヴェスタリア人は更に厳しい境遇に落とされるだろう。
(マリアは気付くか?)
教えるのは簡単だ。だが、これからはヴェスタリアの事はヴェスタリア人がやると言ったマリアの言葉を信じるなら、ここは口を出すべきところでは無い。これからもきっと同じような事は起きる。その時に決断をするのはマリアたちヴェスタリア人で無くてはならないからだ。
だが、そんな俺の不安を余所に、マリアはヴォルフガングの提案を鼻で笑った。
「話にならないわね。自分が不利になってから、こちらに有利な提案なんてされても、信じられる訳ないでしょ? エラ」
「はいはーい」
「…くそ、小娘が!」
取り繕うのを止めたヴォルフガングが暴れるのを、エラが取り押さえる。その隙にマリアがヴォルフガングを縛り上げていった。マリアは最後に猿ぐつわをして、まだ喚き散らすヴォルフガングを物理的に黙らせる。
「クヌート、これでいい?」
「ああ、百点満点だ」
「そう? ふふっ」
マリアが楽しそうに笑うのを見て、エラが面白いものを見つけたような目にした。
「おやおや、マリア? クヌートさんに褒められて、随分と嬉しそうね」
「そ、そんなことないわよ」
「ついに春でも来ましたかー」
――モガモガ!
「そ、そんなことないわよ!」
「照れちゃって、もー」
「そ、そんなことないわよっ!」
――モガモガッ!!
楽しそうに話す二人と、モガモガと今だに騒ぐヴォルフガングの姿に、俺は少し気が抜けてしまった。ずっと気負っているよりはマシだが、今はそんな状況でない。下ではフーゴたちがまだ戦っているのだから。
「二人ともそこまでだ。マリアとエラはヴォルフガングを下に連れていって兵士たちの武装解除をさせてくれ」
「ええ」「はーい」
「俺はグレゴールを縛っておく。ロープは置いていってくれ」
「了解よ」
マリアはロープを置いて、エラとヴォルフガングの両肩を掴むと、まだ抵抗をするヴォルフガングを引き摺るように下の階に連行していった。
俺は廊下で気絶しているグレゴールを後ろ手で縛り、気付けをして意識を取り戻させた。
「クヌギ…いやクヌート殿?」
「歩けるか」
「…はい」
「なら行くぞ」
俺がグレゴールを立たせて歩くように促すと、グレゴールは黙って俺の指示に従い歩き出した。だが、事態を把握したのだろう、その表情は重い。
「…そう、我々は負けたのですね」
「ああ」
「…生き残った部下の命だけは助けて貰えませんか?」
「最初から誰も殺していないぞ」
グレゴールは一瞬、何を言われたのか分からないようだったが、俺の言葉を理解したのか、目が大きく丸く見開かれた。そして徐ろに笑い始める。
「はははっ! 敵いませんね」
「そうか?」
「ええ。アシッドヴァイパーの時から、貴方にはやられっぱなしです」
「そうか。なら素直に従ってくれるか?」
「ええ。でも…」
言葉を切ったグレゴールは、ここで真顔になって、俺の目をしっかりと見てきた。
「…我々を殺さないという事の意味は分かっていますよね」
「当然だ」
「そうですか…それでも貴方はそうするのですね」
「言っただろ? 何の為に戦うのか考えろと」
「本当に貴方って人は…」
グレゴールは呆れたような、納得したような、それでも何かを吹っ切れたような表情になっていた。そんな彼を見て、俺もわざと明るく振る舞う事にする。
「俺も色々と覚悟を決めたんだよ」
「覚悟、ですか?」
「ああ、真実と向き合う覚悟だ」
「真実?」
「それは自分の目で確かめる事だな」
「…はい」
それからグレゴールは、口を閉ざして何かを考え始めたようだった。
そんなグレゴールを連れて俺が正面階段まで戻ってくると、兵士たちが武器を捨てて、両手を上げているところに出くわした。
その反対側では、傷だらけのフーゴたちが床に座って息を切らしている。
俺がグレゴールの背中を叩くと、グレゴールが兵士たちに声をかけた
「注目!」
「た、隊長! 総督が!」
「わかっている! この戦い、我々の負けだ」
「そんな…」
「敗者である我々は、勝者の指示に従うだけだ」
グレゴールはここで、俺の顔をじっと見てきた。なので、俺はマリアの方に視線を送る。
俺の意図をしっかりと受け取ったマリアが、この場にいる全員を見回すと、口を開く。
「我々、ヴェスタリア解放軍の要求はただ一つ! ヴェスタリアからの即時撤退よ!」
――モガモガ。
「わかった。受け入れよう」
――モガモガモガモガッ!
あっさりと受け入れるグレゴールと、それを見てまだ往生際が悪く騒ぐヴォルフガング。そしてグレゴールの指示の元、ルーンベルグ軍の撤収準備が始まった。とはいえ解放軍の監視の元、彼らに与えられたのは、数台の荷馬車の水と保存食のみだった。
――空は既に白み始めている。
準備を終えたルーンベルグ軍は解放軍の監視の中、縛られたままのヴォルフガングを荷台に乗せて、ぞろぞろと総督府から出ていく。
貴族街を進み、内門を越え、ヴェスタリア人の居住区に差し掛かると、騒ぎを聞きつけたヴェスタリア人が、ぽつりぽつりと物陰から様子を伺っているのが見えた。
やがて外門まで辿り着きグレゴールが門番に現状の説明をすると、外門の内部にある詰所が、ばたばたと騒がしくなった。そうして、手早く撤収準備を果たした彼らを引き連れて、ルーンベルグ軍はヴェスタリア市から撤退していく。
最後に、殿として残っていたグレゴールと、俺の目が合った。
「では、またお会いしましょう」
「ああ――」
ここで、俺が一度息を呑むと、グレゴールが怪訝そうに見てきた。
なので、俺は真っ直ぐにその目を見返して低く、重く言葉を紡いだ。
「だが、次は容赦はしない」
気圧されたグレゴールが、今度は息を呑む番だった。
その様子なら、俺の意図は正確に伝わっただろう。
「――覚えておきます」
それだけ言い残して、グレゴールは踵を返していった。
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そうして、ヴェスタリア市の中央広場が朝日に照らされる頃、ルーンベルグ軍が撤退していく様を見届けた市民の口から、ヴェスタリア全体に事態が広まっていった。
自主的に中央広場へと集まってくるヴェスタリア人たち、その中にはオズワルドの姿もあった。
――マリアが民衆の前に立つ。
「皆! 今までの厳しい境遇をよく耐えてくれた。我々ヴェスタリア人は、ついにヴェスタリアを取り戻したのだ!」
「「…おおっ!?」」
「我々は、自由だ!!」
「「自由だっ!!!」」
マリアが高らかにそう宣言すると、じわじわと、そして確実にその事実が中央広場全体に広がっていった。拳をぶつけ合う者、肩を叩き合う者、抱き合う者、三者三様の喜びが中央広場には溢れていた。
俺がオズワルドの元に向かうと、彼の目にも光るものが見えていた。
「来たか」
「ああ」
「気をつかわせたか?」
「気にするな」
「そうか、だが…」
「ああ、おそらく来るだろうな…」
俺とオズワルドは、揃って外門の方を見た。
その先にあるであろう光景を予想して、市民の熱気とは裏腹にただ静かに佇んでいた。




